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君の色

 青く晴れた空の下を、翠先生が上機嫌に歩いている。

 翠先生のお腹の中で灯里(あかり)も上機嫌だ。

『新しいおうち、すごくきれいなんだよ、わくわくしちゃう!』

 確かに、今住んでいる家は、古いしぼろいし汚いが、俺は毎日ちゃんと掃除している!

『それにね、きれいな公園が近くにあって、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちがみんな楽しそうなんだ!』

 この近くにも公園はあるが、あまり治安はよくないし、綺麗でもないので、子供たちが遊んでいる姿はあまり見かけない。

 何かと今のアパートと比較してしまうのは、俺もこの街に少なからず愛着っていうものがあるからかもしれない。


『あ、ソーリーだ!おはよう!』

 灯里の『声』に顔を上げると、よく見る妊婦がいた。

 確か、翠先生の高校の先輩の水口さんという人の奥さんだ。

『その『声』は灯里!おはよう!今日は灯里のパパ変なのやらないのか?』

 こ、この男、灯里を呼び捨てだと!

『あ、おなかに抱き着くやつ?ソーリーのママやパパに見られてから禁止されたよ』

 灯里もソーリーとか、あだ名で呼んでいるし、ま、まさか俺の知らないところでこの二人は親密な仲に……?

 ていうか、ソーリーって、名前なのか?どこからそんな名前が来たんだ?

「明君?どうしたの?」

「あ、いや、なんでもないです」

 知らぬ間にボーっとしていたらしい俺は、翠先生の言葉に我に返り、翠先生のもとへと駆け寄った。

『パパ、ソーリーは、将来総理大臣になりたいんだって』

 俺の心境を悟ったらしい灯里がそっと教えてくれた。

『そうだ!僕はソーリーダイジンになる!アイム、ソーリー!』

 元気いっぱいにソーリーが言った。

 それは、英語オンチの俺にでも、尊大に謝っているようにしか聞こえなかった。

『灯里はもちろん将来僕の第一秘書にしてあげるからね!』

 そんな残念な総理大臣の秘書になったら、灯里の将来が危うい!

「そうだ、明君、引っ越しっていつにする?」

「できるだけ早くしましょう」

 俺のこの街への愛着は、一瞬にして掻き消えた。

『灯里、ひっこしって何?』

『えっとね、今住んでいるおうちから遠くに行くこと、かな?』

『そ、そんな!僕のソーリーダイジンの夢はどうしたらいいんだ?』

『ソーリーなら、一人でも頑張れるよ』

『それもそうだな!よし、僕は一人でも頑張るぞ!アイム、ソーリー!』

 ソーリーがそう言って気合を入れたころにソーリーの母親が俺たちとは別の方向に曲がっていった。


 病院に着くころ、心なしか翠先生は浮かない顔をしていた。

「先生、調子悪いですか?」

「ううん、違うの」

 そういった翠先生はそれでもなおうつむいていた。

 しばらくして、何かを思い立ったように顔を上げた翠先生は、俺に言った。

「ちょっと、付き合ってほしいところがあるの」

 たどり着いた先は産科病棟だった。

 俺に入り口で待機するように伝えた翠先生は、一人患者さんの病室へと入っていった。

『ねえねえ、ソラ君、今日だって、聞いてた?』

『うん、そうだね、ハナちゃん』

 何だか聞き覚えのある二つの『声』が聞こえていた。

「明君、『声』いくつ聞こえた?」

 翠先生に聞かれて、二つの元気な『声』が聞こえたことを伝えると、翠先生は、盛大にため息をついた。

 俺は訳がわからないまま、自分の職場へと向かっていった。


『アチョー!』

 NICUに入るといつもと変わりのない面々がいつもと変わりのないノリでそこにいた。

『そうだな、ヨシローは、アチョーって言ってて、黄色着そうだしカレー好きそうだからヨシローイエローだ!』

 そして、いつも通りに元輝が訳の分からないことを言っていた。

『今日はNICU戦隊ベビレンジャーのメンバーカラーを決めるんだって』

 俺がきょとんとしているのに気付いたのか、悠希が小さい『声』で言った。

『じゃあ、あとは、ピンクとブルーとレッドが必要だな』

 結構決まってないな。

『そういえば、悠希、まだ決まってなかったな』

『そうだね』

『じゃあ、悠希は、桜ってのがピンクっぽいから、ピンクな』

 どうやらピンクが決まったらしい。

「笹岡君、何ボーっとしているの?朝礼の時間です!」

 最近機嫌の良くない冴木さんが声を張り上げ、お約束のようにベビーたちが泣き出した。

『採血イヤー!』

『コーケツイヤー!』

『アチョー!』

『……学習能力ないなあ、サエキのおばちゃん』

 皆の『声』に紛れて悠希がぼやいているのが聞こえた。

『そうだ、荒木、いつも一番に泣き出してブルーな感じだからブルーだ!』

 その隣で元輝は、メンバーカラーを考えることに必死だ。

 全員が泣き止み、ナースたちは皆、朝礼に戻った。

「今日は、一人、帝王切開があるので……」

 そう言った看護師長はナースたちを見渡した。

 今日はベテランナースが体調を崩して総なめに休んでいて、看護師長の次に長くNICUにいるのは俺、という状況だった。

 しかも、黒川も日比もいない。

 看護師長は俺と冴木さんを交互に見やった。

「オペ室から連絡があったら、私と笹岡君で向かうので、その間に何かあったら私のPHSに電話をするように」


『くそー!レッドがいない!』

 持ち場に戻ると元輝が叫んでいた。

『戦隊ヒーローにレッド、ブルー、ピンクは不可欠なのに!』

 元輝がレッドになればよいのでは?

 そんな俺の疑問を感じたのか、俺の腕でミルクを飲みながら悠希が言った。

『元輝がレッドになるんじゃないの?』

『いや、僕はブラックだから!』

 ……元輝、戦隊ヒーローに不可欠な三色の中に、ブラック、ないぞ。

 というツッコミを心の中で飲み込んでいると、悠希が言った。

『元輝のパパ、超人戦隊スペシャルジャーのブラックだもんね』

『そうだよ!僕はパパみたいなヒーローになるんだ!』

 それはさておき、NICUは、今は入院数が多くないとはいえ、10人はいるはずだから、その中の誰かにレッドを任命したらいいだけの話ではないだろうか?

『木村ちゃんはブラウン、椎名ちゃんはパープル、ゆう君はグレー、佐藤君はホワイト、村上君はラベンダー……』

 周りを見渡している俺の考えを読んだのか、悠希が小さな『声』で言った。

 何か関係ない色つけてる!

 しかも、パープルとラベンダーって、あんまり違いがわからない!

 悠希に言われながら部屋を見渡して、俺は、すでに入院しているベビーたちは、カラーがつけられていることを悟った。

『心配しなくても、灯里は、ママが翠先生だから、灯里グリーンだぞ!』

 俺は全くその点は気にもしていなかったのだが……。

『そうだ、笹岡にレッドになってもらったら?』

 そう考えているうちに、悠希がとんでもない『発言』をした。

『いや、笹岡はないよ、レッドってキャラじゃないし』

 そうそう、俺はレッドって柄じゃな……失礼な!

 失礼な発言をした張本人の元輝は、何か考え込んでいた。

『そうだ!』

 誰をレッドにするか決めたのか?

『笹岡は、透明だ!』

 それ、色じゃなくないか?

 その時、看護師長のPHSが鳴った。

「笹岡、帝王切開の赤羽さん、いよいよだそうだ」

 そう言われた俺は、げっぷをし終えた悠希をベッドに置き、立ち上がった。

『よし、新入りをレッドにするぞ!』

 立ち去る俺の背後で、元輝が気合を入れていた。


『ソラ君、いよいよだね!ママに会えるの楽しみだね!』

『そうだね、ハナちゃん』

 手術室に近づくと、朝聞いた二人の『声』が聞こえた。

 オペ着を着た翠先生と目が合うと、翠先生は、少し表情を緩めたが、元気なさげに顔を伏せた。

 その理由は何となくここに来るまでの看護師長の話で想像がついていた。

 妊婦のおなかの中にいる双子の片方は生まれつき奇形があって、母親の胎内から出たら、生きてはいけないそうだ。

 今、母親のおなかの中にいる二つの命のうち一つは、生まれると同時に死んでしまうのだ。

『ソラ君、私、先に行って待ってるね!』

『うん、待ってて、ハナちゃん』

 まだ、二人とも、迫りくる運命を知らない。

「正常児が先に出るぞ!」

 執刀している医師が言った。

 ハナちゃんは、速やかに保育器に移され、俺は、ハナちゃんを連れてNICUへと向かった。

『ソラ君!ソラ君!待ってるから!私、ちゃんと、待ってるから!』

『ハナちゃん……僕……うわぁぁぁぁぁ!いやだぁぁぁぁぁ!』

 俺の背後で、母親の胎内から出されたらしいソラ君の『悲鳴』が聞こえ始めた。


『いやだぁぁぁぁぁっ!死にたくないよ!死にたくないよ!ママ!パパ!ハナちゃん!』

 何度聞いても、聞き慣れることはない、『悲鳴』は、そういうものだ。

 何度聞いても、胸が押しつぶされるようなこの感覚が消えてしまうことはない。

『ソラ君?どうしたの?』

 しかし、ハナちゃんは、それがどういうものかを知らない。

『ねえ、ソラ君、後から来るんでしょう?ねえ、生きてちゃんと来るでしょう?どうしたの?』

『うわぁぁぁぁぁぁぁ!いやだぁぁぁぁぁぁぁ!生きたいよ!死にたくないよ!』

 ハナちゃんの『声』は、どれだけ張り上げても、ソラ君には届いていないようだった。

 ソラ君の『悲鳴』は、だんだん小さくなっていった。

 それは、俺たちが遠ざかっているからなのか、それとも、その時が近づいているからなのか。

『ママ!僕、ママのおなかの中にいられて幸せだったよ!』

『ソラ君、これからはずっとママのお顔がみられるんだよ!ソラ君、見たいって言ってたじゃない?』

 ハナちゃんは、まだ知らない。

『パパ!僕、おなかの中で、パパの優しさに触れ合えて、幸せだったよ!』

『ソラ君、これからは、ずっと、パパがやさしく抱っこしてくれるんだよ!』

 ハナちゃんは、気付いていない。

『ハナちゃん、僕、ハナちゃんと一緒にいられて楽しかったよ!』

『お外に出ても一緒にいられるよ!』

 それでももう、ソラ君とのお別れのときは、目前に迫っていた。

『ハナちゃん、僕、ハナちゃんと一緒にいられたことが、一番、幸せだったよ……』

『ねえ、ソラ君!もうすぐ来るんでしょう?ねえ!』

 NICUの扉が見えてきた。

 ソラ君の『声』も『悲鳴』も聞こえなくなっていた。


『ソラ君!ソラ君!ねえ、返事してよ!ソラ君!』

『よ、新入り、今日からキミはNICU戦隊ベビレンジャーのベビレンジャーレッドだ!』

 シリアスな空気を問答無用でぶち壊したのはもちろん、元輝だ。

『へ?ベビレンジャ?何それ?ねえ、ソラ君は?』

『新入りって二人いるのか?じゃあ、めんどくさいから二人ともレッドだ!』

 おい、本人を目の前にしてめんどくさいとか言うなよ。

 それにしても、きっとここにも『悲鳴』が聞こえていたはずなのに、みんな平静を装っているし、ハナちゃんに、真実を漏らそうとするベビーはいなかった。

『皆には、ちょっと口止めしといた。ハナちゃんが、今、知るのはちょっとしんどいかなと思って』

 最年長の悠希が言った。

 さすが最年長だ。

 悠希がちらりと元輝を見た。

『ちょっと心配なのは、元輝がちゃんと理解できてるかなんだよね』

『あ、そうだ!ベビレンジャーレッド、ハナちゃん』

『何?』

 元輝、余計なことは言うなよ。

『お前さ』

 元輝、頼むから余計なことは言うなよ。

『一緒に、決めゼリフ考えてくれない?』

 それかー!

 ていうか、まだ決まってなかったのか!

 俺のツッコミは無色透明な空気の中に掻き消えた。

またしても、長い!

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