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荘太君の作戦

『ママが、危ないこと考えてるんだよね』

 そう、灯里が漏らしたのは、数日前のことだった。

『危ないことって?』

 俺は、翠先生に勉強を教えてもらいながら『声』で尋ねた。

『例の、『悲鳴』が聞こえる産婦人科に乗り込もうとしてるの』

 思わず、鉛筆を取り落としそうになった。

 それは、危なすぎるだろう?

 これまで、そこから聞こえてきた『悲鳴』の週数を考えても、あの産婦人科はクロだ。

 でも、それを確かめになど行ったら、無事で済むはずがない。

『しかも、ちょっと確かめてみて、やばかったら、私がパパを呼ぶっている、すごくずさんなプランなの』

『生きて帰れる気がしないな』

『でもね、ママの言う、「これから生まれてこられるはずだった命が、どんどん奪われていくのを黙って見過ごせない」って気持ちもわかるんだ』

 翠先生の言葉が何となく心に突き刺さった。

 俺は、そこで、本来殺されるべきでない胎児が殺されていることを知ったいたのに、何もできなかったからだ。

『だから、荘ちゃん、ママがあそこに入ったら、雅之叔父さんを呼んでほしいの』

 今、俺も同じことを考えていた。警察官がいたほうが、確実に助かりそうだ。

 それに、うまくいけば、赤ちゃんを殺していたやつを捕まえてもらうこともできる。

『じゃあ、本当に危なくなったら、荘ちゃんを呼ぶから!』


 雅之お兄さんがこの地域の巡回担当の日を狙って、俺は、理由を付けて、勉強を休むことにした。

 奇しくもその日は笹岡が夜勤明けであったため、翠先生としては絶好の計画実行日和となった。


 灯里から『ママが家を出た』と聞き、俺は目的地へと向かった。

 物陰から眺めていると、翠先生が現れた。

 しばらく、中の様子を眺めた後、中へと入っていった。

 俺は、迷うことなく、以前に連絡先を交換して知っていた雅之お兄さんの電話番号に電話を掛けた。


「もしもし、荘太君?」

 何コールかした後、雅之さんの声が電話口から聞こえた。

「雅之お兄さん、今、翠お姉さんが、あの、いい噂のない産婦人科に入っていったんです」

「嘘?」

「しかも、出てこないんです」

 視界の端で、笹岡が産婦人科にダッシュで入っていくのが見えた。

「翠さんのことだから、何かやらかしかねないね。ちょうど今、そっち方面を巡回中だから、向かってみるね」

 今のところは、灯里の『悲鳴』は聞こえていない。

 でも、何度も聞いた『悲鳴』のことを思うと、脳裏を不安がよぎる。


 少し待ったが、雅之お兄さんはまだ来ない。

 産婦人科からも、人が出てくる気配はない。

 灯里の『悲鳴』が、聞こえないとはいえ、『悲鳴』が聞こえたら、既に手遅れだ。

 だが、闇雲に突入しても、一緒に危険な目に遭うのが関の山だ。

『本当に、危なくなったら、荘ちゃんを呼ぶから!』

 灯里の『言葉』を思い起こした。

 灯里を信じて待つしかない。

 動き出したくなる体も、叫び出したくなる『声』も、じっと押し殺して、ただ、祈った。

 どうか、灯里が無事であってほしいと。


 灯里に初めて出会ったのは、公園だった。

 その日、俺は、母親からたくさんののしられて、家を抜け出していた。

 もう少ししたら、ばあちゃんが家に帰ってくるから、それまでの辛抱だと自分に言い聞かせながら。

 その時、公園に一人の妊婦が入ってくるのが見えた。

「パパ、怒るかなぁ?」

『きっと、わかってくれるよ!』

「まあ、怒っても、もう、契約もしちゃったし、お金も払っちゃったんだけどね!」

 おなかをさすりながら歩く女の人に見覚えがあった。

 翠先生だ。

「こんなところに公園があるんだ、今のアパートの近くの公園より広いね」

『そうなんだ!楽しみ!』

 翠先生は、公園を見渡しているが、背後に腰かけている俺には気づいていない様子だった。

『ねえ』

 ところが、何故か灯里が不意に俺に話しかけてきた。

『ねえ、泣いてるの?』

『泣いてなんかいない』

 思わず答えてからはっとしたが、灯里は動じることなく言った。

『じゃあ、心が泣いているんだね』

 心の中を、見透かされたような気がした。


「いけない!こんな時間!」

 翠先生が、腕時計を見ると慌てて踵を返した。

『また、来るから、また、お話ししようね』

 灯里は、そう言い残して、翠先生とともに去っていった。

 翠先生がここに来なければまた会うことなどできないというのに、お腹の中の子供が何を言っているのだろうか?

 それなのに、何故だか再び灯里に出会えることを期待する俺がいた。

 苦痛だらけだった俺の毎日に、一筋の光のように灯里の存在がきらめいた。


 灯里の宣言通り、ほどなくして、灯里と再会した。

『あっ!』

 翠先生が公園に入ると同時に灯里が言った。

 何で、俺は何も言ってないし『言って』ないのに、気づくんだ!

『ほら、また会えたでしょう?だってね、今度こっちにお引越しするの!』

 嬉しそうに灯里は言う。

『ねえねえ、お名前教えて!あ、私は、灯里っていうの!パパの「あ」と、ママの「り」をとって、適当につなげたってママが言ってた!』

『それでいいのか?』

『うん、私、この名前好き!』

 まあ、本人がいいならいいか。

『ねえ、お名前は?あと、すごく大人びているけど、何歳?』

 質問が増えた。

『荘太、4歳だ』

『じゃあ、荘ちゃんって呼んでいい?荘ちゃん、うちのパパよりすごいね!うちのパパね、私の『声』は聞こえるけど、『声』は話せないんだ!』

 そういう存在に、何となく覚えがある。

『……ササオカ?』

『そうそう、パパの名前は、笹岡明っていうの!NICUのみんなからはササオカって呼ばれてるんだよ!パパのこと知ってるの?』

『ああ、昔、NICUに入院してて、笹岡には世話になった』

『そうなんだ!パパに教えてあげなきゃ!』

 その時、ちょっとしたいたずら心が働いた。

『俺が覚えてるってこと、自分で伝えたいから、まだ、笹岡には内緒にしといてくれないか?』

『わかった!内緒ね!』


 それから、しばらくして笹岡一家が引っ越してきた。

 灯里は内緒を守ってくれたらしく、さらに笹岡本来の鈍感さも相まって、俺が、あのころの記憶も残っていることも、『声』が聞こえて、話せることも、まったく気づく様子がなかった。

 母親が弟を連れて海外に行っている間も、戻ってきた後でもばあちゃんがいる頃は平和な毎日を過ごしていた。

 あの日までは。


 その日からばあちゃんがしばらく家を空けると聞いて、その時の母親の邪悪な微笑みを見て、嫌な予感はしていた。

 だから、突然、笹岡の家に母親がやってきて、俺を連れて行ったとき、何となく、やっぱり、と思った。

 予定外だったのは、いつもよりも折檻が激しかったことだった。

 体中が痛み、視界がぼやけた。

 意識が遠のきかけ、もう、だめかと思ったその時だった。

『荘ちゃん!』

 ……この『声』は、灯里?

 そう思ったとき、インターホンの音がした。

 そして、偶然忘れ物を取りに来たばあちゃんが俺を見つけてくれて、俺は一命をとりとめた。

 あの時、灯里が来てくれていなかったら、俺の命はきっとなかっただろう。

 俺の命は、灯里が助けてくれたからあるのだ。


 だから絶対、灯里を死なせたりしない!


 そう決意を固めた時だった。

『何?ママ?どうしたの?何がどうなってるの?』

 灯里の『声』がした。

 灯里はまだ生きているが、状況がつかめない。

 それに、誰一人出てこないことや、灯里が全く把握できていないという状況から考えても、あまり、状況はよくない気がする。

 雅之お兄さんはまだ来てないけれど、行くべきだろうか?

「荘太君、翠さんは、まだ出てこない?」

 そう思ったところに、雅之お兄さんが現れた。

「まだです」

 首を振ったその時だった。

『イヤ!あんたに呼ばれるための名前じゃない!私死にたくない!』

 ヤバい!

 俺は、立ち上がった。

「荘太君?」

「僕、やっぱり気になるから見てきます!」

『イヤだ!死にたくない!助けて!助けて!』

 俺は駆け出した。

「荘太君、一人で行ったら危ないよ!」

 慌てて追いかけようとした雅之お兄さんに防犯ブザーを見せた。

「危なくなったら、これを鳴らします」

『助けて!荘ちゃん!』

『待ってろ!今行く!』

 俺がいることがばれたら藪医者に警戒されてしまうだろうからと、ずっと我慢していた『声』が思わず出た。

 まさか、それに笹岡が過敏に反応したおかげで時間稼ぎができていたとは知る由もなかった。


 絶対に、灯里を死なせない。

 その思いだけが、俺を突き動かしていた。

 荘太が主人公になると、このように無駄にシリアスになりますので、一瞬、荘太が主人公でいいのではないかと思ったのですが、やっぱり、空気くらいの存在感の笹岡か、おバカすぎて、失笑しか生まない鈴村兄くらいが主人公にはちょうど良いのだなと実感しました。

 次からは、ちゃんと、笹岡を主人公のポストに戻して書こうと思いました。

 鈴村兄が主人公になると、物語が進まなくなるので、自粛します。

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