葛藤
『えい!やあ!元輝パーンチ!元輝キーック!』
元輝の母親が入院したらしい産科病棟からは連日、元輝の戦う『声』が聞こえていた。
『えい!やあ!』
そして、ここにも……。
『げんきぱーんち!』
『げんきーっく!』
元輝のまねをするベビーが多発していた。
『アチョー!』
これは何だか違う気もするが。
『ねえ、笹岡』
はしゃぐ奴らをよそに、悠希が俺に話しかけてきた。
『灯里から聞いたよ、元輝って、ママのお腹の中で、悪い奴らと戦ってるんでしょう?』
俺は、そっと頷いた。
『でも、元輝のママを助けるためにお外に出されちゃうかもしれないんでしょ?』
俺は、もう一度頷いた。
『私、元輝のママの病気の事とか全然わかんないけど、でも、今、元輝がお外に出てきたら、死んじゃうんでしょう?』
俺は、その問いかけには返答しなかった。
今出てきて、生きられるかどうかは、元輝次第だ。
ただ、わかっていることは、今の元輝の週数で生まれて、生きてNICUを出られたベビーは、世界のどこにも存在していないということだ。
『元輝はあんなに頑張って戦っているのに、今、お外に出しちゃいけないと思うの』
それは、今まさに翠先生が直面している問題だった。
仕事が終わった俺は、まっすぐ翠先生と灯里の元へやってきた。
「ねえ、明君、元輝君は、どう?」
ここ最近、翠先生は俺の顔を見るとすかさずこの質問をする。
「絶好調に元気です」
「そうかぁ……」
一度検査して考えようかなぁ、と、一人呟きながら、翠先生は検査オーダーを入れるとカルテを閉じて振り返った。
「帰ろうか!」
『パパ、今日のママは肉の気分!』
「よし、今日は、美味しいお肉を買って帰りますか!」
「え?」
少しキョトンとした後、翠先生はお腹をさすった。
「灯里、わかってるわねぇ!」
『だって、ママの娘だもん!』
『ねえねえ、笹岡』
翌日、俺に悠希が話しかけてきた。
『元輝、まだ出ないことになったのかな?』
俺は首をかしげた。
『だって、今の元輝が出てくるなら、今頃みんな、大騒ぎだと思うよ』
『さっすが、悠希ちゃん!鋭い!』
突然聞こえてきた灯里の『声』に振り返ると、そこに、翠先生がいた。
「穂積さんのオペ、延期になったよ」
穂積さんと言うのは、元輝のママの事だ。
『癌が、小さくなってたんだって、少しだけだけど』
付け足して、灯里が言った。
『元輝すげー!』
『元輝パネェ!』
『元輝つえー!』
『元輝イエーイ!』
『アチョー!』
『げんぱーんち!』
『げんきーっく!』
『うるさい!』
元輝に感動しすぎてヒートアップしたベビーたちを悠希が一喝して黙らせた。
『今日のココの当番サエキのおばちゃんだから、下手に騒ぐと抱っこされるよ!』
『そうだった!』
『あぶねぇ!』
『しかも一緒にいるのが笹岡だからぼーっとしてるだけであんまり助けてくれないもんね』
お、俺だって真面目に仕事を……。
『笹岡はぼーっとしてる暇があったらお薬の準備でしょ!』
そうだ、さっきサエキのおば……冴木主任にそう言われたんだった。
悲しいことに俺よりも0歳児のほうが俺の仕事を把握していた。
『じゃあねー、笹岡!』
『また明日!』
『翠先生によろしくー!』
『灯里ちゃんによろしくー!』
仕事が終わった俺は、ベビーたちに別れのあいさつをされながら、NICUを出た。
『おりゃあ!えい!やあ!元輝ハリケーン!』
そして、翠先生が待つ産科病棟では元輝の戦う『声』が今日も聞こえていた。
『必殺!元輝サイクロン!』
「うっ!」
産科病棟にたどり着いたとき、元輝の戦う『声』に紛れて母親の唸り声が聞こえてくることに気付いた。
「たまに、お腹に激痛が走るんだって」
翠先生が、俺の視線の先を見つめながら言った。
「ちょうど元輝が必殺技を放ったタイミングでした」
「そうかぁ……」
そう言いながらも、翠先生は少し困ったような顔をした。
そして数日が経った。
『とりゃあ!』
「うっ!」
『えい!』
「うぅっ!」
22週を超えた元輝の攻撃は、必殺技でなくとも母のお腹に響くようになってしまったようで、元輝の母親の唸り声は頻繁に産科病棟に響くようになっていた。
翠先生は病棟に響く唸り声を聞きながら頭を抱えていた。
できる限り元輝をお腹の中で育ててあげたい思いと、母親の苦痛を和らげたい気持ちで、翠先生は揺れ動いていた。
三話続けて、何だか微妙にシリアスと言うか、笑えないというか……。
後悔はしています!
反省はしません!