理由
『なあ、最近悠希元気なくないか?』
不意に遠巻きな元輝の『声』がした。
『え?そうかな?そんなことないよ?』
悠希は平然と答えたが、確かに、ここ最近の悠希は、どことなく元気がない。
きっと、向かいのベッドにいたハルカが亡くなってしまったことが大きな原因なのだろう。
妹のようにかわいがり、姉のように慕ってくれていたハルカが、『悲鳴』を上げるときに、悠希のことを一度も呼ばなかったのだから。
俺にはその気持ちがよく分かる。
それは、とてつもなく悲しい気持ちだろう。
『仕方ないな!やるぞ!元気ー!』
そして、何の脈絡もなく元輝が『声』をあげ、
『勇気ー!』
条件反射のように悠希がそれに続き、
『自分大好きー!』
全員が、これまた条件反射のように続いた。
「で、そこの、パスタが絶品なんですよ!」
不意にナースステーションから明るい声がしてそちらに視線をやると、牧野先生が誰かに話しかけている様子だった。
「日比さん!勤務時間中ですよ!静かに!」
そして、冴木主任の金切り声が聞こえた。
『何だ?』
『ウルサイ!』
『ちっくんか?』
『いやだー!』
そして、牧野先生のせいでもなく、何故か怒られていた日比のせいでもなく、冴木主任の金切り声のせいで、ベビーたちが次々に泣き出した。
ナースステーションで記録をしていたらしい日比があわてて飛び出して、ベビーを一人ずつ泣き止ませていく。
『おはよう!』
ベビーたちが泣き止んだ頃、不意に、青木宗助が目を覚ました。
『あ、パパの声がする!』
いや、この場に、宗助の父親はいないはずだが……。
俺は決して宗助のお義父さんではないし。
室内を見渡すと、ナースステーションで、牧野先生の所に纐纈が来て、何やら真剣そうに話をしている。
俺は、朝の翠先生との会話を思い出した。
「青木ベビーのお父さんって……」
宗助が父親に向かってオジサンといったことが何だか引っかかっていた俺は、もしかしたら精子バンクとかなのかもしれないと思って、翠先生に聞いてみようと思い至った。
「あの人、性格悪いよね!この前来た時とか……」
だが、思っていた反応と異なっていたため、精子バンクではないのか、と、一人で納得したのだった。
も、もしかして、宗助の本当の父親は、纐纈か牧野先生ってことか?そ、それって……。
『プリンだ!』
宗助が叫んだ。
プリン?
『クロちゃんの髪の毛、今日もプリンだ!』
今日は受け持ちのベビーがおらず、裏方当番だった黒川が出てきていた。
確かに、青木の言う通りで、髪の毛の生え際が明らかに黒く、まだ染め直せていないのであろう。
黒川は、日比と少し話すと、去って行った。
日比は少し困った顔をしながらその後ろ姿を見ていた。
黒川のプリンに一人で盛り上がった宗助は、日比の腕の中で眠りについていた。
日比が宗助をベッドに降ろすと、今度は牧野先生が日比の所へやってきた。
「さっきは、調子に乗っちゃってすみませんでした」
「あ、いえ……」
「じゃあ、今日、お仕事終わったら、NICUの従業員出口で待ち合わせで」
そう言い残すと、牧野先生は去って行った。
デートか?デートなのか??
何だか甘酸っぱい空気感を感じながらそちらを眺めていると、不意に肩が重くなった。
「あらー、牧野君は、手が早いことで有名なんだけど、凛ちゃん、大丈夫かしら?」
『大丈夫かしら?』
その声に振り返ると、そこには翠先生がいた。
「先生、どうしたんですか?」
「笹岡さん、ラブラブは余所でやってください」
翠先生が俺にべったりくっついているだけなのだが、何故か俺が黒川に塩対応されていた。
最近の翠先生は、NICUにやってくると、俺のそばにぴったりくっついている。
マタニティーブルーとかそういうやつだろうか?
「あ、そうそう、荘ちゃんが、今日で退院なの」
翠先生はあれだけべったりしていたにも関わらず、それだけ言い残すと速やかに立ち去っていった。
「あれ?纐纈、こんな時間にここにいるの珍しいな」
正面玄関でばったり纐纈に出くわして俺は思わず言った。
纐纈はたくさんの仕事や研究や論文やなんかいろいろといつも多忙で、大抵残業しているからだ。
「今日は、仕事が一区切りついたから、たまには早く帰ろうかと」
纐纈と二人で話をするのは、だいぶ久しぶりだ。
そういえば、と、思い至って、俺は聞いてみることにした。
「あの、何か、青木ベビーが、NICUで父親がいないときに『パパ』って言ってるんだが……」
「笹岡、お前、まさか不倫を?」
「俺じゃないよ!あの時ほかにいたのは纐纈とか、牧野先生だけど、牧野先生はこっちに来たばかりだし……」
纐纈は、少し考え込んだ様子を見せた後、「用事を思い出した」と踵を返して行ってしまった。
ま、まさか、宗助の本当の父親は……纐纈??
纐纈が去って行ったあと、帰路につこうとしていた俺は、荘太が今日退院だったことを思い出し、退院前に顔を見て行こうと、病棟に向かった。
その途中で、中庭に、見たことのある人物を見つけた。
元輝の父親だ。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「あ、こんにちは。いや、ちょっと、考え事を……」
元輝の父親の顔は何だか浮かない。
元輝の容体はばっちりのはずなのだが……。
今日も元気に面会していたはずなのだが……。
「悠希ちゃんの募金なんですけどね」
俺が黙ったままでいると、元輝の父親が話し始めた。
「そこそこ集まったからと思って、小児科の先生に聞いてみたら、まだ全然足りないって聞いて」
そういえば、張り切って募金するって言ってたな。
「それでも、悠希ちゃんと同じ病気の子が先日亡くなったって聞いて、今は落ち着いていても、いつ急変して亡くなってしまうかわからないって言われて……」
先日亡くなったって言うのは、ハルカのことだろうか?
「元輝との生活のためにためておいた貯金を切り崩して寄付すべきか、悩んでるんです」
「そ、そこまでしなくても……」
とはいえ、俺たちも、出産準備と思わぬマイホームの購入で、貯金はほとんどなくなりかけている。
「そのお金、私が寄付いたしましょうか?」
不意に声がして、俺と元輝の父親は顔を上げた。
「すみません、聞こえてしまったのです」
申し訳なさそうにこちらを見ているのは、荘太のおばあちゃんだった。
その隣には、荘太と、その弟らしき男の子がいる。
「私のポケットマネーで出せる範囲でしたら、特に会社に迷惑がかかるわけでもありませんし、お支払できるかと思います」
「え?でも、そんな、申し訳ないです!」
元輝の父親がそう言うと、荘太のおばあちゃんは首を振った。
「私の孫もこちらのNICUでお世話になっていたことがあります。他人事とは思えません!是非、お役に立ちたいのです」
元輝の父親は、最初のうちは申し訳ないからと、断るつもりのようだったが、最終的に、荘太のおばあちゃんの迫力に負け、
「そこまで言っていただけるのでしたら」と、荘太のおばあちゃんに渡された小切手をその手につかまされていた。
「ところであなた!」
一件落着かと思いきや、荘太のおばあちゃんに不意に声をかけられ「はい?」と、元輝の父親が顔を上げた。
「あなた、超人戦隊スペシャルジャーのブラックの方でいらっしゃいますよね?」
もはや、俺の姿は眼中にない様子だ。
「はい、そうです!」
「才蔵!」
「はっ!」
荘太のおばあちゃんが呼ぶと、草むらからSPらしき男の人が出てきた。
いったいどうやって隠れていたんだろう……。
「今すぐサイン用色紙を取っていらっしゃい!」
「はっ!ただいま!」
そう言うと、才蔵と呼ばれたSPは音もなく消えて行った。
「荘太さん!亮太さん!やはり、このお方は、あなた方が大好きなブラックのお方でございますよ!お二人とも、握手してもらいなさい!」