お父さん
いつものように、翠先生と駅に向かって歩いていく。
今日からは、荘太のおばあちゃんが朝から来るそうなので、いつもの時間に出勤だ。
「あれ?」
翠先生の視線の先には、駅前のパチンコ屋があった。
「何か、静かだと思ったら、ここ、閉まってるね」
言われてみれば、駅前がいつもより静かだ。
それに、パチンコ屋の駐車場の周りにロープが張られている。
「ここ、取り壊すみたいだよ」
ロープの前に掲げられた看板を見て翠先生が言った。
どうやら、俺や灯里を苦しめたあのもやもやの原因であるパチンコ屋は閉店して取り壊すらしい。
『よかったね、パパ!』
「よかったな、灯里!」
「あ、明君、お腹に抱き着くのはダメだからね」
俺の行動を予知したらしい翠先生に釘を刺されて、俺は、翠先生のお腹に抱き着くのをあきらめて、歩き始めた。
「おはようございます!谷岡先生!」
病院の最寄り駅に着いたとき、翠先生が急に背後から声をかけられた。
「あ、えっと、牧野先生?久しぶり」
牧野先生と呼ばれた男性は、俺と同じ年くらいか少し若いくらいの、笑顔が何とも言えない安心感のある雰囲気の人だった。
「僕、今日からここの病院で働くんです!」
「そうなんだ、小児科だっけ?」
「そうです、新生児科なので、谷岡先生にもお世話になると思います!」
そういえば、昨日、看護師長が、明日から一人新生児科の先生が増えると言っていたような……。
「あの、何かの時のために連絡先を聞いておいてもいいですか?」
「あー、それなら、うちの旦那さんがNICUの看護師だから、旦那さん経由で連絡してくれたらいいよ」
そう言って、翠先生は不意に俺に話題を振ってきた。
「あ、旦那さんですか、どうも」
牧野先生と呼ばれたその人は、俺にあいさつすると、急ぎ足で去って行った。
「知り合いですか?」
「牧野先生が研修医で産婦人科を回ってた時に、指導したくらいかなぁ?」
翠先生はそう答えると、じゃあ、私、こっちだから、と、去って行った。
『あれ?パパがいる!』
NICUにたどり着くと、青木が騒いでいた。
『青木くんのパパって笹岡なの?』
『違うよ!あ、でも、僕、灯里ちゃんと結婚するから、お義父さんになるのか?』
ならない!永遠にならない!
首を振った俺は、「朝礼はじまりそうですよ」と日比に言われ、俺は慌ててナースステーションに向かった。
ナースステーションには纐纈と今朝翠先生にあいさつしていた牧野先生の姿があり、本日付でここのNICUに異動になった牧野先生の挨拶があった。
纐纈と並んでいるのを見ると、纐纈の方が背も高いし、整った顔をしているが、牧野先生の方が笑顔が多い分、親しみやすさが感じられる。
『よし、やるぞ!元気ー!』
引き継ぎを終えて戻ってくると、元輝の遠巻きな『声』がした。
『勇気ー!』
続いて悠希が言った。
『自分大好き!』
全員が、『声』をそろえて言った。
何のために決めゼリフが始まったのかは、まったく謎だ。
「よ!元輝!遅くなってごめんな!」
いつもくる時間より少し遅れて、元輝の父親がやってきた。
『おう!パパ!今日もアクニンやっつけてきたか?』
「ちょっと、そこら辺の子供たちと、写真撮ってた!」
元輝の父親は、そこそこ有名人なのに、顔を隠すことなくやってくるため、面会への道のりや、帰りの際に、いろんな人に捕まることが非常に多い。
いつぞやのインタビューの時も堂々と捕まっていたし、先日は、マイクの父親が、自分の着ているTシャツにサインをしてほしいとせがんでいた。
『バンセン大事だもんな!』
「あれ?あんた、超人戦隊スペシャルジャーのブラックの人じゃない?」
どこのベビーの父親かわからないが、男性が、元輝の父親の元へやってきた。
「はい!」
「いつも、とどめを刺せないブラックだよな!」
いつもとどめを刺せないというところまで知っているということは、この男性は、毎週日曜朝7時からの超人戦隊スペシャルジャーをいつも見ているということだろう。
「いつも、仲間に助けられています!」
そう言った元輝の父親を一瞥すると、「腰抜け野郎が」と、鼻で笑って、男は踵を返した。
『それでも、パパは、いつも、地球を守ってるんだぞ!』
『そうだ!元輝のパパにひどいこと言うな!オジサン!』
元輝に助太刀したのは青木だった。
その男性は、「じゃあな、宗助」と、青木こと、青木宗助に向かって言うと、近くにいたナースに「うちの子、泣き出しちゃったんで、何とかしといてください」と言い残して去って行った。
あれ?宗助、今、自分の父親に向かって、オジサンって言ったか?
何だかもやもやした気持ちを抱えたままでいると、別の男性が、元輝の父親の所へとやってきた。
「超人戦隊スペシャルジャー、みてますよ」
「ありがとうございます!いつも、仲間に助けられてばかりですが……」
「いつだって、あと一歩のところまで追いつめているのはブラックだと思います」
そう言うと、男性は、元輝の父親と握手して去って行った。
男性は、悠希の所に立ち寄って「悠希、またね」と言って去って行った。
悠希も『パパ、またね』と言っていた。
悠希の優しさの原点を垣間見た気がした。
「元輝!パパ!何だか、明日からも頑張れそうな気がしてきた!」
『僕もよくわかんないけど、パパが頑張れそうな気がしてきた!』
元輝の単純さの原点も、垣間見た気がした。
帰りに少しだけ、荘太の所に寄ることにした。
「ご家族の方ですね、どうぞ」
相変わらず、面会謝絶の看板が掲げられている部屋に入るには看護師に許可を取る必要があり、看護師に話しかけるようにしているのだが、ほかの患者さんの目もあるためか、最近では俺はご家族ということになってしまっている。
でも、もし、本当の父親が面会に来たらどうするつもりだろうか?
そもそも、父親は面会が許されているのだろうか?
考えながらノックして扉を開けると、荘太は一人で本を読んでいた。
「おばあちゃんは?帰ったのか?」
「会社でちょっとトラブルがあったらしい」
荘太の左腕のギプスは外れていたが、痣は、だいぶ色が薄くなっていたものの、まだ跡が残っている。
「なあ、荘太」
俺が声をかけると、荘太は読みかけていた本を閉じてこちらを見た。
「荘太のお父さんは、このこと、知ってるのか?」
「知らないと思う。しばらく海外の支社を飛び回っていて、一年以上顔も合わせてない」
荘太は、そういうと、再び本を開いて読書を再開した。
荘太がこんな目に遭っているというのに、父親は何一つ知ることなく、海外で仕事をしているというのか?
その時、俺が父親だったら、そんな目には遭わせないのに、と思ったからかもしれない。
「なあ、荘太」
俺は荘太に言った。
「俺んちの子にならないか?」
荘太は目を丸くしてこちらを見た。
「俺が、荘太のお父さんになろうか?」
少しそのまま放心していた様子だった荘太は、「考えとく」と、短く言った後、視線を本に戻していた。