発覚
『ボクガサキダ!』
『私が先よ!昨日譲ったじゃない!』
『キノウノキノウハハルカガサキダッタ!』
今日もマイクとハルカは言い合っている。
『それなら、やっぱり、順番的に、今日はハルカ……』
『ゲンキハダマッテロ!』
『元輝、横入りしないでよ!』
助け舟を出そうとした元輝が今日も、返り討ちに遭っている。
だが、今の俺は、奴らの諍いに構っている場合ではなかった。
『笹岡、何か気になることでもあるの?なんかそわそわしてるけど?』
『ササオカ、ヨコハイリ、ダメ、ゼッタイ!』
『笹岡!最低!』
悠希がそんな俺を気にかけてくれたのだが、すぐさま、マイクとハルカの猛攻撃を食らった。
正直なところ、今の俺にとっては、ハルカが先だろうがマイクが先だろうがどっちでもいい。
それよりも、重大な問題があるのだ。
それは、今日の朝の何気ないひと時のことだった。
「翠先生、朝ごはん、できてますよ」
「ありがとう!いただきます!」
『さすがパパ!パパの料理世界一好きー!』
「そうかそうか、パパも、灯里が大好きだぞ!」
そういうと、俺は、翠先生のお腹に抱き着いた。
「灯里は、将来、誰のお嫁さんになりたい?」
少し前までは、即答で『パパ』と答えてくれたこの質問に、灯里が悩んでいた。
『うーん』
「パパじゃ、ないのか?」
『パパは二番目かな?』
……パパは二番目、だと?
灯里の一番は、誰だ?
結局そのやり取りをした後、翠先生が、「もう、行かなきゃ」と、家を出てしまったため、灯里の一番は誰なのかを聞いそびれてしまった。
仕事中に聞きに行くほどのことでもないが……気になる。
俺が、NICUに入ったばかりの頃、NICUの中で、相思相愛になったベビーたちがいた。
ほかのベビーたちが、パパやママが一番大好きという中、そのベビーだけは、パパは二番目と言い放ったあの時の衝撃は今でも忘れられない。
そのベビーたちは、離れ離れになってしまったから、『声』を失った今となっては、お互い記憶にも残っていないだろうし、今ではパパが一番かもしれない。
同様に、灯里だって、今、一番大好きなベビーのことを、いつかは忘れてしまう時が来るであろう。
だがしかし、今、まさに、灯里をたぶらかしている何者かが存在することが問題だ。
考え込む俺の視界の端に出勤してきた冴木主任の姿が見えた。
やばい、早めにナースステーションに行かないと、また、大きな声で招集される!
同じことを考えたらしいほかのナースとともに、ナースステーションへと向かった。
「今日は……あー、ベッド移動をしなきゃならないな」
カルテを見ながら看護師長が言った。
「元輝がMだから」
『元輝、Mなの?』
『うつったらやばいやつだ!』
『隔離だ!』
『ゲンキ、ドエム!』
ちなみに、ここで言うMというのは、MRSAという薬剤耐性のある菌のことであり、決してSMのMのことではない。
朝礼が終わると、俺と日比は、元気のベッドの移動の準備に取り掛かった、
『何だ何だ?』
元輝は、驚いた様子で元いた場所より10メートルほど奥まった場所へと移動させられていた。
『皆ー!僕は無事だ!』
『知ってるよ』
『見えてるよ』
『そんなに気にしてないよ』
『悠希お姉ちゃんの隣、空いたよね?』
ハルカは去って行った元輝よりも、元輝が去って空いたスペースが気になるようだ。
『ユウキノトナリイキタイ!』
マイクもそのスペースが気になるようだ。
『私が先に気づいたのよ!私が行くの!』
『ボクガイク!ユウキハボクノモノ!』
またしてもいつもの二人がいがみ合い始めた頃、「おーい!明君!」と翠先生の声がした。
『あれ?また、ハルカちゃんとマイク、喧嘩してるの?』
お腹の中から灯里がハルカとマイクに話しかけた。
灯里、もしかして、また喧嘩してるって知ってるってことは、それだけマイクに注目してるってことか?
『Oh! Akari, good morning! キョウモカワイイ『コエ』ダネ!』
さっきまで、悠希を奪い合っていたはずなのに、この心変わり様は!
マイクは信頼ならん男だ!こんなのに、俺の灯里がたぶらかされていたら、たまったもんじゃない!
『お、その『声』は、灯里?』
元輝が遠巻きに話しかけた。
元輝、そんな遠くから俺の灯里の『声』が識別できるというのか?
もちろんおれだって識別できるが。
『そうだよ!って、元輝、いつもの所から『声』しないよ?』
って、灯里も元輝の変化に敏感すぎやしないか?
『元輝、MRSAなんだって』
悠希が灯里の質問に返答した。
『そうなんだ、それで隔離されてるんだね!悠希ちゃん、さすが!』
『いや、さっき皆が言ってたから』
ま、まさか、灯里、悠希が好きなのか?
その歳で女の子同士に目覚められてしまっても、お父さん、何ともいえないぞ!
「あーきーらーくん!」
疑心暗鬼が止まらない俺は、翠先生に覗きこまれて、はっと我に返った。
「聞いてた?」
「す、すみません、聞いてないです」
灯里の『声』ばかり聞いてました、とまでは言えず、俺はうつむいた。
「そんなところだろうと思ったよ!お弁当、もらっといていい?」
そう言われて初めて、俺は、今日のお弁当を翠先生に渡し忘れていたことを思い出した。
今朝は、灯里の好きな人が気になって、気もそぞろなまま出勤したせいで、翠先生にお弁当を渡すことをうっかり忘れてしまっていたのだ。
「それから、って、行っちゃった……」
翠先生の言葉を背後に受けながら、俺は、お弁当を取りにロッカーへと走っていた。
「翠先生、さっき、何か言いかけませんでした?」
持ってきたお弁当を手渡しながら俺は翠先生に問いかけた。
「うん、それなんだけど……」
翠先生が答えるよりも早く、
『あーかーりーちゃーーーん?』
そいつは入ってきた。
『僕の愛しの灯里ちゃん、どこ?』
何だ?この男は?
『青木君、わたしまだ、ママのお腹の中だよ?』
『そんなぁ!かわいい灯里ちゃんのお顔がみられると思って出てきたのに!』
『そんなこと言われても、私の予定日まだ先だし……』
灯里が困っているじゃないか!コノヤロウ!
『そっかぁ、残念!でも、灯里ちゃんのかわいい『声』が聞けただけでも満足だよ!』
ホントに、何なんだ、この、ナンパ野郎!
『なあなあ、お前青木って言うのか?』
そこに遠巻きに割って入ってきたのは元輝だ。
『そうだよ!』
『じゃあ、お前、青木ブルーな!』
『へ?ブル?僕のパパが飲むのはレ●ドブルだよ?』
『ん?レッドとブルーがいいのか?ちょうどどっちも欠員だから、じゃあ、青木レッドブルーで!』
互いに話が変な方向に行っている……。
『レッドブルーって飲み物じゃないの?灯里ちゃん?』
何故、灯里に名指しで質問するんだ?
『たぶん、NICU戦隊ベビレンジャーのイメージカラーのことじゃないかなぁ?』
『灯里ちゃんも、イメージカラーあるの?』
確かあったと思うが、灯里には知らされてないような……。
『うん、私は灯里グリーンだよ!』
知ってた!いつの間に??
『じゃあ、僕も灯里と一緒がいい!』
『大丈夫だ!レッドとブルーを混ぜたらきっとグリーンになる!』
赤と青を混ぜたら、紫になるぞ?
『じゃあ、いいよ!』
こっちもこっちで、何の疑問もなく、承諾した!
『灯里ちゃんオソロイだね!これって、運命だよね?』
勝手に運命をこじつけるな!
「おーい、明君?」
翠先生に、またしても覗きこまれて、俺は我に返った。
「もう一個の用事は、今、ここに来た青木君が切迫早産で来そうだよって内容だったから、私、戻るね!」
そういうと、翠先生は、嬉しそうにお弁当を掲げて手を振って出て行った。
『何で、新入りが悠希お姉ちゃんの隣なの?』
『シンイリ、ヨコハイリダゾ!』
『だって、ここに入れられちゃったから、仕方ないじゃん!』
ハルカとマイクに猛攻されても、青木は知ったことではない様子だ。
『よし、皆、新入りが来たからやるぞ!』
元輝はさらに知ったことではない様子だ。
『元気ー!』
元輝が遠巻きながらも『声』高らかに言い、
『勇気ー!』
悠希がそれに続いた。
『自分大好きー!』
青木も含め全員がそれに続いて言った。
今日も、帰りに、荘太君の所へ寄った。
やはりナースステーションで声をかけると、舌打ちをされたが、今日は、昨日のように荘太君の周りでハーレムを形成されている様子ではなかった。
「あ、笹岡さん、お疲れ様です」
俺の姿を見つけると、荘太君は、スプーンを置き、顔を上げた。
荘太君に、食事を続けるように促しつつ、俺は、入り口近くの椅子に腰かけた。
スプーンを口元に運ぶ右手の動きはなめらかで、特に助けが必要ではなさそうだったし、あまり近くで見るのも、気まずいだろうと考えたからだ。
右手の動きはなめらかだが、まだ、痣の痕跡は見えている。
「翠先生が、今日の診察は長引きそうだから、ここで待っててほしいって言ってました」
思い出したように、荘太君が言い、俺は、「そうか、伝言ありがとう」とほほ笑んだ。
この病室自体が、ナースステーションに最も近い病室であり、俺が入り口近くに腰かけていることもあり、病棟の喧騒が遠巻きに聞こえてくる。
どうやら、入院になった人がいるようで、外は少し騒がしい。
「あ、鈴村さんですね、お部屋は、奥の4人部屋でお部屋番号は……」
「おれ、すずむらりゅういちろうくん!どくしんいけめんです!」
『兄貴、黙ってて』
聞き覚えのあるクソガキの声と、彼のせいで、常にツッコミせざるを得ないかわいそうな弟の『声』が聞こえた。
『ボク、兄貴に腹が立ちすぎて、出そうになったんだから!』
そうか、切迫早産しそうになったのか、あのクソガキのせいで。
「あの、あかいの、なに?」
「入っちゃダメってこと。って、ちょっと、竜ちゃん!?」
母親の驚いた声がしたと思った次の瞬間、俺の背後の扉があいた。
やばい!荘太を見られたら!このガキ、きっと言いふらす!
「おれ、すずむらりゅういちろうくん、どくしんいけめ……」
バタン。
俺と目が合うなり、クソガキは扉を閉めた。
「竜ちゃん、入っちゃダメって言われてるところを勝手に開けちゃダメでしょ?」
母親に怒られて、子供は泣き出した。
「変なおじさんがいた!女の人いなかった!」
どうやら俺しか見えなかったらしい。
それはそれで、よかったというのか、何というのか……。
ほっと安堵のため息をついていると、荘太君が笑っていた。
「アイツ、相変わらずだな」
何だか、雰囲気が違うような……。
「荘太君、さっきの子、知り合い?」
「知り合いも何も、笹岡と、モテないブラザーズだった、鈴村だろう?」
あ、アイツか!あの、ことごとく告白してはフラれていた、おバカNICU代表の、鈴村か!
って、あれ?それって、荘太がNICUに入院していたころのことで……。
それに、今の荘太君の雰囲気はまるで、あの頃の荘太のようで……。
「笹岡」
その呼び方も、全く、あの頃と同じで……。
「俺、NICUにいた時のこと、全部覚えてるんだ」
な……
な、な……
な、なにぃぃぃぃぃーーーー!!!!!!!!
荘太君だけやたらハイスペックで申し訳ありません。
ヤツの弱点はチックンとピーマンです。今決めました。
いときりばさみの無駄としか言いようのない用語解説
・MRSA:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌をそれらしく英語にして、省略したもの。結構いろんな抗菌薬が効かなくて厄介者だが、普通の人でも、うっかり持っていることがある。それが、感染力の弱い人に感染してしまうと、重篤になるのが問題。医療現場では、患者を隔離したり、手指消毒などの対策を徹底することで、院内感染の予防に努めている……はず。