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奪い合い

 いつものように、翠先生の隣で電車に揺られる。

 それでも、いつもと全く違う点はただ一つ。

 いつもより、だいぶ早い電車に乗っているということだ。

 気になる患者さんがいると、早く出勤したがるのは翠先生のいつもの癖だ。


 病院に着いた翠先生が真っ先に向かったのは、産婦人科病棟だ。

「翠先生、おはようございます、早いですね」

 話しかけてきたのは翠先生と仲の良い助産師さんの舞さんだ。

「例の患者さん、調子はどう?」

「今はだいぶ落ち着いて、酸素マスクも外せましたよ」

「ありがとう、見てくるね」

 そう言うと、翠先生は「例の患者さん」の部屋へと入って行った。

 そこには、荘太君がすやすやと眠っていた。

 荘太君が緊急入院した部屋は、産科病棟だったのだ。

「まさかここで荘ちゃんが入院しているとは母親は夢にも思わないでしょうね。そして、ここは私のおひざ元、いくら母親でも手も足も出せないわ」

 荘太君が入院するときに翠先生が言った言葉は、まるで悪役のせりふだったが、まあ、確かに、翠先生の目の届くところにいた方が安心だし、母親が万が一探しに来たとしても、まずは、ICUとか小児科病棟とか、VIP病棟に行くだろうから、簡単にはここにたどり着けないだろう。


 ベッドサイドに寄ってみると、舞さんが言っていた通り、荘太君の酸素マスクは外れていた。

 呼吸に合わせて胸が上下しているのを見て、俺も、翠先生もほっと胸をなでおろした。

 だが、その一方で、ギプスで固定されている左腕や、ギプスをされていない右腕の痣は、荘太君に起きた惨事を物語っていて、見ていてとても痛々しかった。


 外に出てくると、ナースステーションが何やら騒がしい。

 まさか、翠先生の予想に反してここに荘太君が入院したのが荘太君のお母さんにバレた……?

 と、思ってみたものの、どうも部外者が来て騒いでいる様子ではなく、看護師同士でもめている様子だ。

「どうしたんだろうね?」

 俺の隣で首をかしげていた翠先生が、ナースステーションへと歩いて行った。

 しばらくして、翠先生はため息をつきながら戻ってきた。

「だれが荘ちゃんの担当をするかでもめてるんだって……」

 そうか、産科病棟にいると、妊婦か新生児しかいないから、皆、慣れない年代の子供に戸惑って、押し付けあっているのか……。

『皆、荘ちゃんの担当をしたくて、もめてるんだって』

 灯里がぼそりと言った。

「え?皆で荘太君の担当を奪い合ってるってこと?」

「そうみたい、荘ちゃん、お利口さんだし、癒されるから、みんなやりたいって、もめてるみたい。もめるくらいなら、勝手に明君を指名しちゃおうか?」

 絶対恨まれるから、絶対嫌だ!

「あ、お、俺、朝礼遅れるといけないので、い、行きますね!」

 朝礼にはまだだいぶ早かったが、俺は足早に産科病棟を後にした。


 もめ事を回避してNICUにやってきたが、何やらここでももめ事が起きているようだ。

『ボクガサキダ!』

『私が先よ!』

 マイクとハルカが、どっちが先に悠希と話をするかでもめているようだ。

『今日先に起きた方が先でいいんじゃないか?』

『元輝は黙ってて!』

『ゲンキハダマッテロ!』

『……わかった』

 二人のいさかいを収めようと話しかけた元輝が見事に返り討ちに遭っていた様子は見ていて不憫でならなかった。

『早くどっちか決めなよ!ボクは三番目!』

『私四番目!』

『じゃあ、五……』

『オレ六番目!』元輝の向かいのベビーが元輝の『声』をかき消すように言った。

 五番目は元輝ってことか?

『じゃ、じゃあ、五番目?』

『六番目の次は七番目だろう?』

『元輝!順番守れよ!』

 五番目のタイミングで『声』を出していたはずの元輝は、何故か七番目になっていた。

『じゃあ、私、五番!』

 しかもちゃっかり割り込まれている。

『マイクとハルカ、早く順番決めてよ!』

『わかった、じゃあ、じゃんけんね!』

『じゃんけん……』

『ジャンケン……』

『『ポン』』

 マイクとハルカが同時に言った。

『私の勝ち!』

『ボクノカチダ!』

 そして、マイクもハルカも同時に言った。

 俺はちらりとマイクを見た。

 しっかりこぶしを握り締めている。ということは、グーだ。

 ハルカの方も見た。

 こちらもまたしっかりこぶしを握り締めている。

 あいこじゃないか!

『ボクがカッタ』

『私の勝ちよ!』

 ああ、またふりだしに戻った。


「だから、私がやるって言ってるじゃないですか!」

 不意に聞こえてきた冴木主任の金切り声に、どうやら、大人の世界でも小競り合いが起きていたらしいことに俺は気付いた。

 冴木主任が金切り声をあげているということは、巻き込まれると、確実に面倒なことになる。

 そっと隠れようとしたその時だった。

『ボクガサキダー!!』

 マイクが泣き出してこちらに視線が集中した。

「あ!笹岡さん!」

 日比と黒川が悪そうにほほ笑んだ。

「ここに、ちょうどいい人がいましたよ!」

「冴木主任、採血サポートは笹岡さんに任せて、やるべき仕事をしてください!」

 ん?採血サポート?

 別にそれくらいなら……。

 そう思った俺の視界の端に纐纈の姿が見えた。

 よりによって一番ヘタクソな纐纈の採血サポートか!


『ボクガサキダ!』

『私が先……痛い!』

 纐纈にハルカの『声』が届いたわけではなく、ただ、暴れていなかったから、という単純な理由で先にハルカが採血されていた。

『チックンイヤ!……イタイ!』

 自己主張をすると採血をされると勘違いしたらしいマイクがひるんだ瞬間、纐纈の採血針がマイクに襲いかかった。

『悠希お姉ちゃん、私すごく痛かったよう』

『ボクノホウガイタカッタ』

『うん、ち、ちょっと、待ってね……イタ!コーケツ、刺すとこ違う……』

 マイクとハルカが同時に話しかけたが、悠希は今まさに採血をされているところだった。

 悠希の採血が終わり、採血リストを見ると、残りは元輝だけのようだ。

「笹岡君、笹岡先生が来てるから、採血サポート代わるわ」

 冴木主任にそう言われてカウンターの方を見ると、翠先生が来ていた。


『悠希お姉ちゃん、私、一番痛かったよう!』

『ボクガイチバンイタカッタ!』

『うーん、痛いのは、感じ方がみんな違うから……』

『サエキのおばちゃん、痛い!押さえるの痛い!折れる!もげる!ギブ!ギブ!うおぉぉぉぉぉ!チックンイテェェェェェ!!!』

 恐らく、今、一番痛いのは、ハルカでもマイクでもなく、突然の採血サポートの交代のために冴木主任と纐纈という最恐タッグに採血をされることになった元輝であろう。

 元輝に申し訳ない気持ちを抱きつつも、これから外来が始まるにもかかわらず俺のところに来てくれた翠先生の要件を早く聞かなければならないため、俺は、元輝に背を向けて、翠先生の所へ歩いて行った。

『ギャー!また、失敗!』

 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら。


「あのさ、明君、今日から帰りに荘ちゃんのとこ寄ってほしいの!」

 翠先生は、そう言いながら、ポケットからおもむろに紙を取り出した。

「ここに書いてあるらへんのことが、すごく、うちのナースの間で激しくもめたから、私の権限で明君に一任しといたから」

 こっちの厄介事まで俺に降ってきた!

 俺に紙を手渡した翠先生は、俺より後方を見て少し驚いた顔をした。

『私が一番痛かった!』

『ボクガイチバンイタカッタ!』

 その視線の先では、まだどちらが一番痛かったかでもめているハルカとマイク、そして……。

『また失敗だ!イタイよ!』

 俺の知る限りではかれこれ5回失敗されている元輝がいた。

 翠先生の視線の先を追うと、翠先生は元輝の方を見ているようだった。

 そして、そこでは、未だに採血にもたつく纐纈と、力の限り元輝を押さえつける冴木主任の姿が……。

 冴木主任、纐纈の顔しか見てない……。

「あの!」

 翠先生は、つかつかと、元輝のベッドへ向かうと、アルコール手を消毒し、エプロンと手袋をはめて冴木主任の手を除けた。

「え?ちょ……?」

 突然やってきた翠先生に、冴木主任だけでなく、纐纈も驚いている様子だ。

「そんな力入れたら、骨折れちゃうじゃないですか、押さえるときはこう!そして、赤ちゃんの様子をしっかり観察!よそ見など、していてはなりませんよ!」

 誰が言っても逆ギレして言うことを聞かなかった冴木主任が、翠先生だから聞いているのか、ただ茫然としているかはわからないが、怒り狂うことなく、その場にいるというのは、非常に珍しいことだった。

「ほら、この通りに、やってみて!……できるじゃないですか!」

 あ、何か、言うこときけたっぽい!

 それで、終わるかと思いきや、翠先生は今度は纐纈の方を見た。

「で、纐纈先生、刺し方が全然なってないし、ちゃんと、ベビーちゃんの様子や、周りの様子にも気を配って!本来だったら、あんな押さえ方してたら、纐纈先生が注意すべきところでしょう?」

 そして、ベテランの域に片足を突っ込み始めてきているためか、偉大な教授の後押しのためか、誰もが注意することをためらっていた、纐纈にもびしっと注意すると、翠先生は、「やばい!外来が!」と、足早に去って行った。

『生まれて初めてコーケツのチックンが、痛かったけどましだった!』

 元輝の『言葉』が、翠先生の偉大さを痛感させていた。


『翠先生の言いつけをちゃんと守れよ!』

『ミドリセンセコマラセタラオコルゾ!』

『そうちゃん、を、よろしくだよ!』 

 朝の一件以来、すっかり翠先生の信者になった面々からしつこいくらいに翠先生の言うことを聞くように言われた俺は、自分の仕事が終わると、当然のように産科病棟へと向かった。


 荘太君の病室の扉の前に来ると、「面会謝絶」の札が掛けてあった。

 その横に、「御用の方はナースステーションに声をかけてください」とも貼ってある。

 俺の背後を入院しているらしき妊婦さんがこちらをちらちら見ながら通り過ぎて行った。

 ふと、自分が私服に着替えていたことを思い出した。

 このまま、普通に病室に入ってしまうと、ほかの患者さんに示しがつかないかもしれない。

 そっと、ナースステーションを覗くと、日勤帯から夜勤帯への引き継ぎは終わっているようだった。

「あの……」

 俺が話しかけると、近くで談笑していた数人のナースが振り返り、舌打ちした。

 な、なんで舌打ち??

「ご案内いたしますね」

 ほかの患者さんがいることに気づいてか、丁寧な口調で応じてはくれたものの、その視線はそこはかとなく冷ややかだ。

 ナースに案内されて病室に入ると、美味しそうな匂いが鼻を突いた。

 さっき、配膳車が置いてあったし、ちょうど、食事の時間なのだろう。

 そう思いながらカーテンを開けると、数名のナースがそこにいた。

 荘太君を取り囲むように、数人のナースが座って、一人のナースが勝ち誇った顔で、荘太君の口元にスプーンを運んでいた。

 なんというか、ハーレムみたいだ。

「ちょっと!帰ったんじゃなかったの?」

 俺を案内したナースがその光景に気づくなり、まくしたてた。

「だって、荘太君一人じゃ、寂しいかなと思って、次の順番、私よ!」

「今日とくに予定ないし」

「夜勤ナースは仕事に戻ってくださいな!」

 肝心の荘太君はというと、女性に囲まれて、やや困惑した様子だ。

「あの、僕、右手は使えるので……」

「荘太キュン、遠慮しなくていいのよ!そんな痛々しい痣のある右手さんを酷使しちゃダメ!」

「あの、でも、動かさないと、筋肉が衰え……ごめんなさい」

 当然のことを言おうとしただけなのに、ナースたちににらまれて、俺は、咄嗟に謝ってしまった。

「あ、あの、笹岡さんが来てくれたので、もう、大丈夫です」

「あんなウスラトンカチに荘太君を任せられないわ!」

「そうよ、はい、あーん!」


 何だかもう、ぐだぐだだ。

 そう思ったその時、扉が開いた。

「……やっぱり」

『やっぱりね』

 入ってきたのは、翠先生だった。

「日勤帯ナースは帰る!夜勤ナースは仕事に戻る!食事の補助が必要なら明君に任せるって言ったでしょ?全員、解散!」

 翠先生に言われて、ナースたちは即座に退散していった。

「明君も、なめられてちゃダメよ?」

 なめられちゃダメと言われても、すでになめられた評価なのは今さら覆せない。

 荘太君のおばあちゃんが帰ってくるまでは、毎日これが続くのかと思うと、俺は憂鬱な気持ちになった。

 文章をすっぱりさっぱり短くまとめるということが苦手なので、またしても長文で申し訳ありません。

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