HELLO!BABY!2(後編)
『ササオカ、どこ行ってたんだ?ミルク!』
『オムツ!』
『この向き苦しい……』
外人の一件から解放されて戻ってくると、ベビーたちから矢継ぎ早に仕事を頼まれた。
『ササオカ、ボクのミルクも!』
『あれ?何か聞こえない?』
確かに、何か聞こえる気がする。
遠くから聞こえてくる、この感じは、まさか……『悲鳴』?
『Mooooooooooooom!!!』
『なあ、まーむって何だ?』
『しらなーい』
『なあ、笹岡、まーむって何だ?』
俺は、周りにばれないようにそっと首を振った。
『何だ、使えないなぁ』
悪かったな!
だんだん『声』が近づいてくると、それは、『悲鳴』ではないと分かった。
たぶんただの、大音量の泣き声と泣き『声』だ。
『Mooooooooooooooom!!!Mooooooooooooooom!!!』
その大音量の声と『声』の主は、真っ白な肌にうっすら金髪が生えていて、明らかに外人の風貌をしていた。
さっき入ってきた外人さんに少し似ている気がした。
ということは、さっきの外人さんは、この子の血縁者か何かだろうか?
採血、点滴など一通りの処置を終え、新しく入ってきたベビーことマイク・ソープは、日比の抱っこでうとうとし始めていた。
『なあ、マイク、まーむって何だ?』
名を呼ばれて、自分のことだと分かったらしいマイクがうっすら目を開けた。
その時ちょうど、日比はマイクをベッドに寝かせたところだった。
『マーム?マーム?Mooooooooooooooom!!!』
どうやらマイクの泣きスイッチが入ってしまったらしい。
『何だ???』
『うるさーい!』
『チックンか?』
『イヤだー!』
マイクにつられてほかのベビーまで泣き出した。
『元輝、マームのことは、聞かれると泣けちゃうみたいだから、聞くのやめとこ?』
悠希に言われて、元輝は、『そうする』と、素直に反省の色を見せた。
『マイク!はじめまして!僕は、元輝ブラックだ!』
『What?』
外人のマイクに日本語の『声』では、通じるはずがない。
『はじめまして!』
『ハジ……?』
『は・じ・め・ま・し・て』
『ハ・ジ・メ・マ・シ・テ?』
『よし、じゃあ、こんにちは!』
『コンニチハ』
『やればできるじゃないか!』
元輝の異文化コミュニケーションは、かなり力ずくのものだった。
『マイクは、どこから来たんだ?』
『ドコカラ?』
『さっき、変な言葉しゃべってたけど、どこから来たんだ?』
『What?』
さすがに、こればかりは、オウム返しでは返答にならないぞ……。
マイクの顔が曇っている。
これ以上追い詰めると、また、泣き出しかねない。
そう思った時だった。
『Where are you from?』
こ、この『声』は……?
「明君お疲れ様!」
聞きなれた声と聞きなれた『声』に振り返ると、そこに、翠先生がいた。
「今日、ちょっと診察が押しそうだから、先に荘ちゃん連れて帰ってくれる?テキストは荘ちゃんが持ってるから!」
『I'm from America!』
その背後で、マイクが嬉しそうな『声』で答えていた。
『マイクは、アメリカから来たんだって』
「じゃ、私、診察室に戻るね!」
そう言い残して翠先生は去って行った。
『……アメリカ……だと?』
元輝がぼそりとつぶやいた。
『マイク、お前、もしかして、チックンのスッパイなのか?』
『What?』
『お前はスッパイのかと聞いているんだ!』
マイクはきっと酸っぱくはない。
『何とか言ってみろ!マイク!』
何とか言ってみろと言われても、マイクにはおそらくその日本語が通じていない。
『I……』
『今、『はい』って言ったか?』
完全に元輝の聞き間違いだ。
『マイクは、僕たちの敵なのか?』
『……』
『何とか言えよ、マイク!』
押し黙ったマイクが次の瞬間口を開いた。
『I don't knoooooooooooooooooow!!!!!!!!!!!!!!!』
大音量の泣き声とともに。
『うるさーい!』
『元輝が泣かせた!』
『何だ?』
『チックンか?』
『イヤだー!』
『やめてー!』
『元輝が泣かせた!』
『僕のせいなのかー?』
マイクの泣き声のあまりの大音量具合にそこにいたベビーがほぼ全員泣き出した。
大混乱の大泣き騒ぎから数十分の時間が経った。
やっと全員が泣き止んだところで、夜勤の看護師に引き継ぐ時間になっていた。
『元輝、私にはマイクがチックンできるとは思えないよ』
泣き止んだ元輝に、悠希がそっと言うと、『そう言われるとそうだな』と、元輝も納得した様子で、どうやらマイクに対する誤解も何とか解けたようだった。
無事に仕事を終えて帰路についた俺は、いつも翠先生が荘太君と落ち合う公園に向かっていた。
公園の入り口にたどり着いたところで、誰かに話しかけられて振り返った。
「Excuse, me. Could you tell me……」
何で今日はこんなに外人さんに話しかけられるんだ!
今日は厄日なのか?
固まっている俺の背後から聞き慣れた声がした。
「May I help you?」
そ、荘太君!
そこに現れ、流暢に英語を話す荘太君が、俺には神に見えた。
ベビーの頃の記憶はないはずだが、その記憶を失ってもなお、その著しい語学能力は備わっていたらしい荘太君は、外人さんにきちんと応対していた。
最後に外人さんが荘太君の手を握ってお礼を言って去っていくと、荘太君が俺の方に向き直った。
「荘太君、ありがとう!英語、すごいね!」
「翠先生に教えてもらっているからですよ」
荘太君が謙遜なのか、事実なのかそう言ったが、同じ授業をはたから聞いていて全く英語力の上がらない俺にとっては悲しい現実を突き付けられただけだった。