再会
「明君!もう少しで引っ越し業者さん来ちゃうよ!」
アパートの中で翠先生の声がこだました。
「兄貴がこんなギリギリに準備してないって珍しいね」
そう言ったのは、今日は非番だからと手伝いに来てくれた弟の雅之だ。
「それは……」
『ママのせいって言うと、また大喧嘩になっちゃうよ』
灯里の『発言』で俺は口をつぐんだ。
昨日同じようなやり取りから始まって翠先生と大喧嘩をしたばかりだった。
「まあ、何だか想像がつくけどね」
雅之はちらりと翠先生を見ながら言うと、雅之は作業に戻った。
引っ越し業者が来るころには、あらかたの荷物は片付いていて、残りの荷物も引っ越し業者さんが作業している間に何とか詰め込んで持って行ってもらった。
「結構ギリギリだったね」
結構ギリギリに引っ越しの日程を決めたのは翠先生なのだが……。
『パパ!が・ま・ん!』
「そうですね、もっと早く準備しておけばよかったです」
灯里の『発言』で、俺は言おうとしかかった言葉を飲み込んで、当たり障りのない返答をした。
「まあ、間に合ったから大丈夫だよ!」
翠先生はそういうと、自分のカバンを持った。
「じゃあ、私たちも、新居に向かいますか!」
「そうですね、雅之はどうする?」
「僕も、方向同じだし、兄貴たちの新居見てみたいから一緒に行くよ」
新居は病院から二駅のところにある住宅街だった。
実は、俺もまだ新居には一度も行ったことがなかった。
「ここから私がゆっくり歩いて徒歩7分くらいだよ」
翠先生はそういうと先頭を歩き始めた。
歩き始めて5分ほど経った頃、急に翠先生が足を止めた。
「ここら辺ですか?」
右手には公園が見える。
そして、左手には新しそうな住宅が並んでいた。
表札を見てみたが、笹岡と、書いているものは見当たらなかった。
「中山志乃……」
翠先生はポツリとつぶやいたきり、固まってしまっている。
俺は、先生の視線の先を見つめた。
そこには男の子を連れたおばあさんの姿があった。
向こうも翠先生を知っているようで、少し驚いたような表情を見せた。
「まあ、谷岡先生、お久しぶりです」
先に話しかけてきたのはおばあさんの方だった。
先生を旧姓で呼ぶということは、古い知り合いか何かだろうか?
「お久しぶりです」
翠先生の口調は穏やかで、ほほえみも浮かべていたが、目が笑っていない。
「このあたりに住んでいらっしゃったんですか?」
「今日、越してきたんです」
おばあさんの優しい口調に安心したせいか、俺はとっさに答えた。
「そうだったんですか。わからないことがあったら、何でも相談してくださいね。私たちもこの辺に住んでいるのですよ」
そう言っておばあさんが指し示した先には大豪邸しか見えなかった。
も、もしかして、あの家に住んでいるということだろうか?
「それで、その子は?」
黙っていた翠先生が男の子の方を見た。
何というか、聡明そうな子だ。
「この子は、上の子です。母親が下の子だけ連れて海外にいる父親の元へ行ってしまって……。まったく、この子だけ置いていくなんて……」
「おばあちゃん、悪口を言ったら、めっ!」
男の子に言われておばあさんは自分の額をコツンと叩いた。
「そうね、おばあちゃん、めっ、だったわ!」
おばあさんが優しくそう言うと、男の子はにっこりほほ笑んだ。
そのほほえみは、まるで天使のほほえみのようで、周りの空気が一気に和んだ。
翠先生の目も、最初に二人を見た時のような厳しさはなくなっていた。
「自己紹介、できますね?」
おばあさんに言われて、男の子は頷くと、俺たちをまっすぐ見た。
「初めまして、僕は、中山荘太です」
そう言うと、荘太君は俺たちにお辞儀した。
聡明で、天使のような笑顔で、なおかつ礼儀正しいなんて、まだ小さいのに、何ていい子なんだ!
それにしても、どこかで聞いたことがあるような……。
……。
…………。
………………。
ん?
中山荘太?
今度は俺が固まる番だった。
引っ越しただけ、というか、引っ越しすら終わらないところで終わるというまさかの展開。