別の魔女④
魔女。アキが魔女であると言われれば俺が想像する一般的な老婆の魔女はまずない。この魔術世界において魔女というのは少女のことのようだ。実際にイム・ハンナの年は俺とさほど変わらない。アキと何ら変わらない普通の少女だ。ただアキと違うところがあると言えば・・・・・。
「・・・・・体がだるいですぅ。これはきっと寝不足が原因ですぅ」
「ハンナの場合は寝すぎっしょ」
魔女だったアキは人々から嫌われ恐れられる存在だった。よって、アキは組織内において孤立した。唯一、仲良く接してくれたのは戦地に行かない何も知らない拳吉と共にいた飲みに屋にいたような非魔術師たち。事情を知る拳吉。そして、自らも化物として嫌われ者として扱われてきたシンのような存在。
「zzzzzzzzzzz~」
「ハンナ!何寝てるの!」
霧也との出会いで大きく魔女としてのアキは変わった。アキ本人が変わると周りの人々の対応も変わって来た。今のアキが魔女として面影はなく、ひとりの女の子として人の輪の中に入りこめているのは多くの優しい人々の出会いがアキを変えた。
「今、何時だと思っているんですぅ?午前11時ですよぉ」
「お前は11時を何だと思っているんや」
「普段ならまだ寝てる時間帯ですぅ」
アキと全然違う雰囲気と態度に俺は困惑している。
「キョウ君?どうしたの?そんなに思いつめて」
「いや、別に」
このイム・ハンナが魔女としての知名度が上がらない理由が分かった気がする。まずは昼間なのにパジャマで寝癖をたてて眠気でふらふらな時点でこの女があの悪高い魔女であると言われても誰も信じない。俺も魔女だって聞いて行ってきたことの凶悪さを聞いているからこそ目の前の寝起き少女を魔女だと認識しているが・・・・・。
「はい。コーヒー。いつものように砂糖とミルクは入れてあるから」
「ああ、ありがとうございますぅ」
魔女の要素ゼロなんだけど!
コーヒーを飲んで少し黒い瞳が開いてきたが、パジャマのボタンはずれたままで寝癖は立ったままだ。俺に相対するように正面のソファーに座る。隣にサイトーが少し離れるように座っている。俺の隣には香波。レナと風夏は部屋の片づけを行っている。
「えっと、私がイム・ハンナですぅ。一応、黒の騎士団の第3分隊の分隊長をやっていますぅ」
すごいスローペースで話してくる。こっちまで眠くなりそうだ。イム・ハンナがあくびをすると隣の香波もそれにつられてあくびをする。香波はこれまでのようだ。
「本当に魔女って呼ばれているのか?」
「はい、そうですぅ」
と笑顔で答えた。
「と言っても美嶋秋奈と比べたら知名度はすごく劣りますけどねぇ。あなたが私のことを知ったのはいつなんですかぁ?」
半目だけ開いた目は眠気ともう半分は俺に対する興味が感じられた。もしも、目の前にいるのが何の変哲もない龍属性魔術の教術を使う国分教太だったら今頃イム・ハンナは寝ていただろう。
「日本を経つ前日にア・・・・・魔女の美嶋秋奈から」
アキの名前はなるべくこの魔術世界では広めないようにする。三月アキだったら彼女は魔女ではなくただのひとりの女の子だ。そんなアキの日常を俺は守りたいと思っている。魔女として無理をして美嶋を納得させるようなことはさせない。俺がアキの分まで頑張るしかない。
「うれしいですぅ。本家の魔女に私の名前を覚えてもらっていてぇ。それで私に何か用があったんですよねぇ?」
首をかしげて尋ねるがその表情は笑顔だった。俺の考えを見透かしたような余裕の笑みだった。
その眠くなるような言葉から悟ることのできない不気味さが感じられた。そのせいで眠気は吹き飛んだ。隣の香波は首をかくんかくんとさせて今にも寝てしまいそうだ。サイトーに関しては目を閉じている。寝ている。
「シン・エルズーランの力のことをどれだけ知っている?」
直球に本題を突きつけた。答えはすぐに返って来た。
「知っていますぅ。あれは魔術の常識にとらわれない法則性を帯びていますからねぇ」
「その法則とは?」
香波が完全に寝落ちして俺に肩にもたれてきたが気にしていられる状況ではない。シンの力の根本を知っているかもしれない目の前の魔女がこれを知らなければ話にならないことだからだ。
イム・ハンナはコーヒーを一口飲んでマイペースに答えた。
「神の法則と言われているものですぅ」
知らないはずはないかと一安心する。神の法則を知っているというのは前提の話だ。アキも知っていたんだ。同じ魔女であるなら知っていてもおかしくないことだ。問題はここからだ。アキは名前を知っていたが法則については全く理解できていなかった。
「神の法則がどんなものか分かるか?」
イム・ハンナの隣のサイトーも寝息を立てて完璧に眠りについたが気にしていられない。イム・ハンナはゆっくりと答えた。
「魔術の法則に乗っ取らないものであるとしか理解していません」
それはつまり・・・・・。
「私は神の法則が存在することは知っていますけど、それがどんなものかは知らないんですぅ」
「・・・・・・そうか」
異世界を越えてさらに日本という国を飛び出しても神の法則を知る者の数は少ない。だが、イム・ハンナは続けた。興味深いことを言い始めた。
「私は黒の騎士団の本部に存在する大図書館の文献、書類にほぼ目を通して内容はすべてここにインプットしているつもりですぅ」
自分の頭を指差しながら告げた。俺はすぐに想像できなかったが、世界3大魔術組織に数えられる黒の騎士団の大図書館となると文献の数は万を優に超すだろう。そんな書物をインプットしたってどういうことだよと言葉が出る前にイム・ハンナは続ける。
「ですが、それらの資料の中には神の法則に関する記述はありませんでしたぁ。これはつまり、この魔術世界にはそもそも神の法則という法則は存在しない、または証明されなかったと考えるべきですぅ」
ここで一度コーヒーを一口飲む。
「そもそも、この魔術世界においては魔術の法則が絶対の法則ですぅ。この世界のほとんどの人が魔術という現象をこの目で見て感じて、そこに存在する法則を直感的に理解しているんですぅ。魔術というのは魔力というエネルギーが陣というフィルターを通ることで魔力が火に雷にはたまた結界に変換されるんですぅ。その現象はどうして起こるのかと言われてあなたはどう思いますかぁ?」
どう思うかと言われると難しい。答えを出す前にイム・ハンナが語る。
「本質はそこにあるんですぅ。魔力を陣に流して火が発生する。それはどうしてかと言われたら魔術だからという結論に誰もが辿りつくんですぅ。これがいわゆる神の法則ですぅ。すべての疑問を無責任に投げつけて結論を導き出すために作った便利な法則なんですぅ」
確かに俺も火が起こるのはなぜかとか電気がつくのはなぜか。なぜそうなるのかを辿って行けばきっとその本質は神の法則に辿りつく。でも、それでは俺がゴミクズのいた無の空間で出した結論とは違う気がする。
「それだと俺の知る神の法則とは違うぞ」
そう反論するとイム・ハンナの半目の黒眼が少し開いた。
「違うのぉ?」
「・・・・・いや、違うというか・・・・・その」
この世界の人に科学のことを伝えたところでしっかり伝わるかどうかが分からない。この世界で起きる不思議現象はすべて魔力が関わった魔術と結論が出ているが俺の世界では不思議現象の証明は科学が行ってくれる。それを俺の口で説明できるかどうか自信がなかった。が、その前にイム・ハンナが告げる。
「私の意見は魔術師、イム・ハンナとしての意見ですぅ。そもそも、私は魔術師なんだから国分くんの思う魔術の法則に乗っ取らないとかいう神の法則を知るわけないじゃないですかぁ」
確かにそれは一理ある。神の法則を知っているのなら彼女がシンの力に類似した力を使えていてもおかしくない。となるとここに来たのは無駄足だったのかと落ち込みそうになった時だ。
「魔術師に神の法則を尋ねるから答えが出ないんですぅ」
「え?」
半目の黒眼で俺の方を見つめて黙る。答えは自分で導き出せと。
魔術師に尋ねるから答えが出ない。確かにその答えは間違っていない。俺の住んでいる世界に行けば俺の言う神の法則は浸透している。知らない人はほとんどいないと言ってもいいほどだ。だが、その人たちに魔術の絡む神の法則を伝えたところでバカにされるのが関に山だ。ならば、どうすればいいのか?
俺の脳裏に浮かんで来たひとりの人物。俺をこの世界に足を踏み入れさせる原因を作った赤渕眼鏡の巨乳の少女。元仮面の女マラーこと蒼井空子。
「非魔術師か」
イム・ハンナは笑顔を見せた。
「確かに非魔術師なら魔術師じゃない。魔術の法則に強く関わっていないから俺の知る神の法則への理解が強いかもしれない」
そこでイム・ハンナがさらに助言する。
「選ぶのは純粋な非魔術師ですぅ」
「純粋な非魔術師?」
カーテンの奥から片づけを終えたレナと風夏が出てきた。気付けば、周りに散乱していた本や紙類は本棚に収納されてきれい片付けられていた。干されていた下着の衣類もどこかに仕舞われてなくなっていた。生活感あふれる散らかり具合がなくなるとなんとも寂しい部屋だ。
そんな部屋なんか眺めているとイム・ハンナが立ち上がってレナの手を引いた。どうして手を引かれているのか分かっていないレナは寝ているサイトーをイム・ハンナが突き飛ばして隣にレナを座らせる。そして、続きを語る。
「純粋な非魔術師とは元魔術師でも今後魔術師としての可能性もない。生まれながらの非魔術師ですぅ」
生まれながらの非魔術師。なぜ、そのような人々がいるのか分かっていないことのひとつだ。蒼井に関しては教術師としての可能性があって部下の菊たちは元魔術師だったからイム・ハンナの言う純粋な非魔術師ではない。
「レナなら分かるかもしれません。レナは純粋な非魔術師だからぁ」
レナの方にくっつきながらイム・ハンナは告げた。
純粋な非魔術師。魔術の使えない者の差別や葛藤のことは蒼井たちからよく聞いている。レナも笑顔を見せているがその裏に大きな苦しみがあったに違いない。純粋な非魔術師ということは初めから魔術の可能性が存在しない非道者。
天才エジソンの名と血を引き継ぐレナ・エジソンに向かって俺は問う。
「神の法則を知っているか?」
俺は誰も知らない真実の領域に入ろうとしているのかもしれない。魔術とそうでない力、神の法則に守られた力が混在する真実の領域。その領域にあるのは魔術という概念と俺の知る科学という神の法則の繋がりか。天才発明家の血を引き継ぐレナに出した問いの答えにレナは数秒悩んだ末に答えを出た。
「何それ?」
大いに期待を裏切る回答だった。
「・・・・・マジか」
いや、まだ分からない。レナは俺とイム・ハンナが話した内容の流れを分かっていない。いきさつを説明すればきっと分かっているはずだ。ここで求められるのは俺の説明力だ。アキが俺に魔術を教えてくれた時みたいに相手に分かりやすいように納得がいくような説明をすることがレナの神の法則の理解へつながる。ここは重要なポイントだ。
「神の法則とはな、魔術の法則に乗っ取らない法則のことだ。例えるなら、自然に怒る雷とかいう現象は魔術による原因ではなく静電気が雲の中にたまって放電することで起こる自然現象だ。これを魔術世界の人たちは魔力によるものだと感覚的に思っているが実際は神の法則に乗っ取った自然現象。これが神の法則だ!」
最後はドヤ顔で決める。
だが―――。
「あ~、ハンナ。目やにがすごいよ。顔洗っておいで」
「めんどくさいですぅ。どうせこの後すぐ寝るんですしぃ」
「あんた何時間寝る気なの?」
全然聞いてないし!
「おい!俺の話聞いてたか!」
「全然」
はっきり偉そうに言うな!
「神の法則ってなんなの?」
また説明するのかよ・・・・・。
「要するに自然現象のことだ」
スゲー端折った。
「なるほど」
いや、分かったのかよ。
「確かに雷の発生を全部魔力が原因だって決めつけるのは確かに無理があるしね」
ちゃんと聞いてたんかい!うれしいけど!
「雷の他にも起こる自然現象は全部魔力以外の要因があるの?例えば、雨とか火山の噴火とか」
「雨は蒸発した水が上空で冷やされて雲になって降って来るって奴だったような」
俺のバカな頭ではうまく説明できている不安だ。
「噴火とか・・・・・あれだ!地球の地表の下のしたマントルとかいうマグマがあってそのマグマが吹き出して噴火するんだよ!」
ちゃんと説明できている気がしない。そもそも、蒸発とかマントルとかを魔術世界の人たちが理解できるのかどうかが分からないままだ。だが、レナは抵抗なく俺の発言を受け止める。
「へぇ~。そうなんだ」
「・・・・・妙にあっさりなんだな」
隣の風夏に関して首をかしげて難しそうに会話を見ている。イム・ハンナは開きかけていた目が徐々に閉じはじめた。寝そうだ。興味を示す話とかには眠気を押し殺して聞いたり話したりしていたがそうでないものに対してはとことん興味がない様子だ。
「だって、僕は一度国分の言う神の法則に触れたことがあるからね」
「はぁ?」
神の法則に触れたことがあるだと!
「いつ!どこで!」
思わず迫ってしまう。
「ウザい!近寄るな!おっさん!」
今はおっさんと言われて罵られていることを気にしている場合ではない。
「どこで神の法則に触れた!」
すぐさま問いただすとどうしてそこまで俺が迫っているのか若干引きながらもレナは答える。
「君らに初めて会った時にトーマス・エジソンのことを言ったろ。僕の実家の所蔵庫の中にそのトーマス・エジソンが書き残した研究文書が眠っていたんだ」
研究文書?俺が利いた話ではエジソンは学校に真面目に通っていたというイメージはなく、研究をしていたというイメージもほとんどない。はやり、俺の知るエジソンと魔術世界のエジソンは同姓同名なだけで別人の可能性だってあるかもしれない。そんな詮索よりも今はレナの言う研究文書だ。
「その文書にはこの世界は魔術だけで語れないって冒頭に書いてあった」
魔術だけでは語れない。それは神の法則があるのではないかと予期するような言葉だ。
「僕が一番気になったのはこの世界には数多のエネルギーの法則が存在するって話だよ」
「数多のエネルギー?」
レナが頷く。
「ハンナから聞いたんだけど魔術の概論を1から作り上げたのは魔術を見つけて広めた今のイギリス魔術結社らしいんだ。彼らが組んだ概論ではすべての根本は魔力というエネルギーからなるっていうものなんだ。それはつまり、太陽の光も雨も食べ物や動物ですら根本は魔力からなっているっていう意味なんだよ。文書の中では仮にこれを魔力エネルギーと名付けた」
魔術の世界ではすべてが魔力からなるものだという概念が強い。もしも、そうだったのならば俺の住む世界でも魔術という力が小さいなりにも広まっていてもおかしくない。
「でも、文書の中では魔力エネルギーだけでは説明できないことが存在するって」
レナはテーブルの上に置いてあるペンを持ち上げる。
「このペンを今から落とす。この落とすときにどうして床に向かって落ちるのか?これはニュートンって人が重力を見つけたからだ。この重力という力も魔力によるものだと。果たしてそうなのか?魔力引っ張られているにもかかわらずどうしてこのプレハブ小屋がつぶれない?人は立っていられるのか?それはその重力に反する力があるからなんだ。イギリス魔術結社はそれすらも魔力によりものだと」
レナがペンを落とすとそれは重力に従って落下してカランという音を立てて転がる。
「全部が全部、魔力による影響ならどうして魔術師の人たちは魔術を使うときに魔力切れを起こすの?」
魔術、教術を使うときに使用する魔力は魔術師、教術師が持つ魔力を使う。魔力の量は上限があり魔力が尽きるまで魔術を発動することは生命危機にもつながってしまうから魔術を使えなくなる。これがいわゆる魔力切れ。
「だから、トーマスは魔力以外のエネルギーから魔術を発動できるんじゃないかって思ったんだ」
「魔力以外のエネルギーってなんだ?」
思わず聞いてしまった。が、レナは質問を質問でぶつける。
「神の法則を知っているんじゃないの?」
「いや、知ってるけど俺は・・・・・その・・・・・」
「バカなんだね」
図星である。
「それはそうとバカ分バカ太」
「誰がバカ分バカ太だ!」
無視して進める。
「魔力以外のエネルギーって言うのはペンを持ち上げて落下するときに発生するエネルギー。文書には位置エネルギーって書かれてる。それで持ち上げるのに運動エネルギーって言うのも同じように」
・・・・・なんか物理で聞いたことのあるようなワードだ。物理苦手なんだけ・・・・・。
「魔術が誕生するはるか昔に物理学者と見つけていたものらしいだ。このエネルギーはたぶん魔力エネルギーに変換できると思うんだ」
「はぁ?」
「できないって顔してるね。バカ」
ついにただのバカになった。魔術世界で物理とかの概念が薄い世界で負けているんだから言い返すにも言い返せない。
「僕の思う神の法則は魔術革命以前の人たちが見つけているエネルギー論だよ。魔力だけがすべてじゃなかった頃の時代に偉人たちが見つけた大発見だよ。魔術の法則に囚われていないところが僕は好きだよ」
エネルギー論は俺の思う神の法則とは少し異なっている。だが、魔力で起きている自然現象が魔力だけが原因ではないという考えについては類似している。このレナ・エジソンが言うエネルギー論がシンの力と関係しているかどうかは分からない。それでも、俺が今まで出会って来た魔術世界の人々とは大きく考えが異なっているのだけは強く感じた。シンの力を解き明かすことは人が踏み入ることを許さない神の領域に踏み入れることとなるのだろうか?
手には冷汗がべっとりとついていた。
俺が言う神の法則はどこまで理解しているのだろう。そして、神の法則を完全に理解した時にシンの力はどんな姿を見せるのか。全く想像がつかない。




