別の魔女③
機関とは終わりの見えない戦争を終わらせるための起爆剤として育てられた属性魔術に特化した魔術師を育てる施設である。そこで行われていた魔術師の教育は常に死と隣り合わせの苦痛のみが渦巻く施設だった。弱い者は殺される。利用価値のないものは殺される。その死の恐怖しかない機関では普通のことすらもできなかったらしい。そんな機関の呪縛から霧也の師匠、風氷のサーベルタイガーが解放してくれたという。
「タイガーは自分の意思がはっきりした男だった。そのはっきりした意思は生きた人形と化していた私たちに自我と言うものを与えてくれた。私のような機関から逃げ出して生き残っているそういう子たち」
機関の知り合いがいると言ったら教えてくれた機関での生活環境を簡単であるが教えてくれた。どうして教えてくれたのか意図は分からない。
「私は世界中に散らばって行き場なく行き迷っている子たちを集めて、このオーストラリアに拠点を置いて静かに暮らそうとした」
暮らそうとしたとう言葉からしてうまくいかなかったということだ。
「私は戦いが嫌い。戦って得る物はほとんどない。苦痛と憎しみだけがめぐる戦いを私は嫌う。この地に来ても私のような強者は戦いを招いてしまう」
風夏はMMのいう影響力のある力に該当するんだろう。規格外という力は周りに対する影響力が非常に強い。もしも、あのフレイナが味方で隣で殺気を立たせて突っ立っているだけでこっちとしてはどれだけ安心するか分からない。フレイナの意思次第でMMに刃向かえば大きな戦いとなり周りに与える影響も甚大なものだ。それと同じなんだろう。
「やから、小さいながらも魔術組織を創設したんか?」
サイトーが尋ねると何も抵抗なく答えた。
「そうするしかないっしょ。どいつもこいつも嫌だと言っているうちに来い、加盟しろってうるさい。決め手は私の仲間を人質にして殺されたのが要因ね。勧誘に来るのは私がどこの魔術組織にも属していないからだから、自分でオセアニア魔術連合っていう組織を作ったの。インドネシアとニュージーランドにいた機関の生き残りの子の寄せ集めで作った組織よ」
その組織は規格外の風夏が総括しているのだろう。それなのにイギリス魔術結社のような巨大組織と肩を並べないのは風夏の戦わない方針が組織力の底上げに繋がらなかったからだろう。でも、その風夏の考えは俺と似ているものもある。誰も殺さないという俺の意思は戦いを避けるのと直結している。こいつとも仲良くなれるだろうか?
「それを踏まえたうえで正直に言うわ」
風夏が足を止める。俺たちは再び大通りから路地に入っている。今度は事情に洗濯物も干されていないじめっとした暗い路地だ。大人びて物静かな風夏が少し不気味に感じる瞬間だった。
「国分教太。あなたは戦いを運んでくるだけの力を持っている。今は何も起きていないから何もしないけど、今度あなたのせいで戦いが起こるようならば私はあなたを殺す」
一瞬、今までに感じたことのない悪寒を感じた。それはすぐに蝋燭の火のようにふっと小さくなって消えて行った。だが、その悪寒を感じたのは俺だけではなく隣を歩く戦闘経験の少ない香波も同じように体を震わせた。その悪寒の正体は殺気だ。今までに感じたことのない巨大で鋭いものだ。風夏という女は大人びた雰囲気だが小柄で華奢で少女にも見える。だが、そんな少女から感じられた殺気は今まで俺が対峙してきたどの殺気よりも勝る。その殺気だけで分かった。
こいつは強い。
「ここだよ」
レナが足を止めるとそこは周りの3階建てのレンガ作りの建物とは違う。そこに元々あったであろうレンガの建物はなく更地になっている。その好き放題に雑草が生えた更地の中心部にある小さなプレハブ小屋。外壁は白く塗られているが所々赤さびが目立つ。屋根も建物も風で今にも吹き飛んでしまいそうなぼろぼろの小屋。
レナと風夏、それとサイトーは何の抵抗もなく小屋の方に向かう。俺は香波の方に目をやる。香波も困惑しているようだ。それはそうだ。ここだけ町が違うみたいだ。魔女と呼ばれ黒の騎士団の中でも重要人物がこんなすたれたところにいるのかと疑問になるが人が行き来するために踏み倒された雑草の道を沿って3人はプレハブ小屋の入り口のドアの前にやって来た。
「国分!何やってるの!早く~!」
レナに呼ばれてようやく俺たちも前に進む。俺たちがやって来たのを確認してからレナはプレハブ小屋のドアのドアノブをひねって押し開いた。
「ハンナ!お客さん!」
元気よくレナはプレハブ小屋の中に入って行く。風夏は無言でコートに手を突っ込んだまま、サイトーはお邪魔しますと一言告げて中に入った。俺と香波もその後に続く。中は外とは違いきれいな作りだった。花柄の入ったシックな壁紙に木のフローリングにガラス製のテーブルに白のソファー、木目がきれいな本棚と薪ストーブのような物があった。奥の方にはピンクの花柄のカーテンで仕切られていた。ソファーの上には掛布団が置かれていてテーブルには茶菓子の残骸と本と紙が散乱している。部屋の隅に置いてある本棚の中は本棚の役割を果たしておらず本が横倒しに積まれている。窓のカーテンレールには洗濯物が干されていた。どこから見ても女物のパンツとかが干されていたがそこに目線を送らないようにする。この小屋の中は生活感が溢れていた。溢れてこぼれ出そうなくらい溢れていた。
「相変わらず、こんな貧相なところで生活しとるんか?」
「そういう趣味だから仕方ないっしょ」
サイトーはソファーの上の掛布団を拾い上げると黒のブラジャーがいっしょに出てきた。それを見なかったことにしてブラジャーごと掛布団をきれいに畳み始めてそこに風夏が座る。
「ハンナ~?どこ~?」
カーテンで仕切られた向こう側に顔を除いて奥に行ってしまった。
「適当に座って」
と風夏。
「いや、ここイム・ハンナの家じゃないのか?」
「そうよ」
じゃあ、なんで家主みたいに振舞ってるんだよ。
「ねぇ、キョウ君」
「なんだ?」
香波が何かを見つけたように指を指した。
玄関というべきなのかプレハブ小屋の出入り口のドアのすぐ脇に置いてある観葉植物にもたれるようにモッコモコのピンクの掛布団の塊がいた。掛布団はかすかに上下運動をしていた。
誰かがここにいる。誰かって言ったらひとりしかいないだろ。
俺はその布団の塊のところで屈んで突っついてみる。するとう~んとうなって動いた。それから若い柔らかな女の声が聞こえた。
「・・・・・後、5分」
「いや、後5分ってもう昼間だぞ」
すでに太陽は外を明るく照らしている時間だぞ。
「・・・・・夜行性に向かって起きろって言うのは理不尽ですぅ」
「はぁ?」
何言ってるの?つか、後5分で起きるって言ってなかったか?なんで夜行性が出てきたんだよ?
「それは夜行性でない動物に向かって夜だから起きろよって強要しているのといっしょですぅ」
「いや、何を」
「よって、夜行性である私を起こさないでほしいですぅ。おやすみなさい」
「いや、寝るな!」
それだけしゃっべったんだから起きてるだろ!
「国分教太。その程度は甘いっしょ」
風夏がやって来ると思い切り布団を吹きはがそうとしたが布団の中の主はそれを拒んだ。
「起きなさい。もう朝よ」
「・・・・・後、5分」
それさっき聞いた。
「もう昼間」
「・・・・・夜行性に向かって起きろって言うのは理不尽ですぅ」
あれ?これもさっき聞いたぞ。
「それは夜行性でない動物に向かって夜だから起きろよって強要しているのといっしょですぅ。よって、夜行性である私を起こさないでほしいですぅ。おやすみなさい」
全く同じセリフを布団の中の主は一字一句間違えずに言い放ったぞ。
「起きなさい」
再び風夏が布団を引っ張ると。
「・・・・・後、5分」
「小細工を。サイトー!」
見ているだけだったサイトーもやれやれと呆れながらソファーから立ち上がって風夏と共に布団を引きはがそうとするが剥がれない。
「国分に城野さんも手伝って!」
サイトーに言われていっしょになって布団を引っ張るがうんともすんとも言わない。どれだげ引っ張っても布団が引きちぎれる勢いで力いっぱい引っ張っても全然剥がせる気がしない。
「よって、夜行性である私を起こさないでほしいですぅ。おやすみなさい」
3度目にもなるとそのセリフもウザさを感じる。
「ハンナめ、結界張ってるっしょ」
風夏が尋ねると。
「・・・・・後、5分」
全く同じセリフが返って来た。どうやら、何か音声を登録してなんか条件が整った時にだけ流れるような仕組みをした魔術でも仕込んでいるのだろうと勝手に予測するがそんな魔術存在するのか?
「やはり、ここは一度パンチの利いた寝起きドッキリを」
とコートの中からカードと十字架を取り出した。それを見たサイトーが風夏を抑え込む。
「待つんや!今あんたが暴れたらプレハブ小屋が吹き飛ぶで!」
「こんなオンボロ小屋吹き飛ばしたところで何ら損害はないっしょ。今すぐこいつを私の魔術で起こさないと気が済まない」
「あんたの気晴らしはもっと広い障害物のないところで周りに人がいないことを確認してから使えや!」
なんだよ。その取扱説明書みたいない説得は。
「あ~。そこにいたんだ」
俺たちが騒いでいるとこに奥からレナが戻って来た。
「また、そんなところで寝てるの?風邪ひくよ」
「・・・・・後、5分」
もう、何度目だよ!
「ハンナはまた遅くまで起きたの?」
「・・・・・夜行性に向かって起きろって言うのは理不尽ですぅ」
どれだけ言っても同じことしか言わないぞ。
「夜更かしは美容の敵じゃないの?」
「それは夜行性でない動物に向かって夜だから起きろよって強要しているのといっしょですぅ」
これほどに会話がかみ合っていない会話を見るのは初めてだぞ。
「せっかく会うならきれいなハンナがいいと思うよ。あの人もきっと」
「よって、夜行性である私を起こさないでほしいですぅ。おやすみなさい」
あの人って誰だよ。優しく語りかけるレナの言葉に布団の中の主がついに自分から動き出した。そして、ようやく姿を現した。前をボタンで閉めるタイプの赤のパジャマに身を包んでいて眠そうに半目だけ開けた瞳は黒く、毛先が自由に跳ねまくった茶褐色の髪に低い鼻。その童顔とその容姿から俺の予想していた魔女の容姿とはかけ離れた存在だった。顔とパジャマのずれて絞められているボタンの隙間から垣間見られる肌のつやは若さを証明していた。
かくんかくんと今にも寝てしまいそうなイム・ハンナをレナが手を引いて立たせる。
「紹介するよ。この子がイム。ハンナだよ」
イム・ハンナの眠そうな目がゆっくりと開いて俺と目が合った。別に運命的出会いとか劇的な出会いとかでもないどこにでもあるようなラブコメみたいな出会い方を俺とイム・ハンナは―――ハンナはしたのだ。この時はこの子が本当に魔女なのかと疑問を隠しきれなかった。




