法則と領域①
空気にも似た何か柔らかいものが俺の頬をくすぐる。
それによって俺の意識は覚醒へと進む。
目を開けると隙間から漏れる太陽の日差しに眼をしかめる。光に目が慣れてから周りを見渡す。太陽の光は木々の葉の隙間から差し込んでいた。どうやら、どこかの森の中のようだ。でも、どうして森の中にいるのか。体を起こそうとした瞬間、尻の下でバキバキという嫌な音がした。よくよく見れば俺は木の上にいた。
「おいおい、嘘だろ」
また、意識を失うのだけはごめんだぞ。
だが、俺の意思とは裏腹に今までなぜ耐えていたのか疑問になるくらい木の枝のバキバキという音は大きくなってバキンと折れる。
「それないって!」
そのまま地面に落下する。高さからして3、4メートル。何とか受け身をとってすぐに立ちあがる。
「なんで木の上にいたんだ?」
昼寝をしていたという安易な理由なわけがない。落下したことで葉がゆらゆらと落下してくる。と同時に見覚えのあるものもいっしょに落下してきた。葉と同じように風の抵抗をいっぱいに受けてゆらゆらと落下してくるそれは白い羽だ。
「何の羽だ?」
そう思って落下してくる羽を右手で取ろうとした時、いっしょに左手までついてきた。そこで俺は両手に起きている異常事態にようやく気付く。
「な、なんだ!これ!」
白い羽はそのまま地面に落下して消える。
俺の両手首にはさっき手に取ろうとした白い羽がびっしりと覆って両手をつないでいた。まるで手錠のようで引き離そうとしてもびくともしない。
「この羽は確か」
アテナという黒の騎士団の少女の翼のものと同じだ。
そもそも、俺がここにいるのはどうしてだ?
確か俺はアテナに拘束されそうになった。それを拳吉に妨害されてとてつもない衝撃に襲われて・・・・それから・・・・・それから何が起こった。上を見上げて森の中をぐるっと見渡す。聞こえてくるのはセミの鳴き声と木の葉同士が擦り鳴る音と風の音くらい。演習所として使った森とは違う。人の手が入っていない森。
なんでこんな森にいるのか。それはたぶん拳吉が原因。でも、どうしてなのか分からない。
この手首の白い羽は何なのか。それはたぶんアテナが原因。これはおそらく俺を拘束するためのアテナの力。
「そのアテナはどこにいるんだ?」
見渡した時には姿を確認することはできなかった。でも、この手首の白い羽の力が健在であるということはどこかにいることは確かだ。
「とりあえず、破壊してみるか」
上空まで飛んでみればここがどこなのかくらい分かるだろう。まずはこの邪魔は白い羽を破壊しようと力を発動する。破壊の力を使おうとした右手に力を込めた瞬間、バチンという激痛が走った。
「痛っ!」
思わず、痛みで後退りして木の根につまずいて尻餅をついてしまう。
「今の何だ?」
もう一度力を発動しようとする。今度は龍属性の方だ。バチンというはじける音と共に手首に電気が走ったような痛みに襲われてその場でもがく。この羽は力いわゆる魔力に反応して激痛を与えているようだ。その痛みのせいで教術の発動を妨害しているようだ。急に霧也の魔武の魔術が消えたのもきっとこの羽のせいだ。でも、拳吉はその羽にまみれながらも力を強引に使っていた。この痛みに耐え続ければ力を発動できるんじゃないか。
「やってみるだけやってみるか」
「無理は禁物ですのよ」
声が聞こえて飛び上がるように立ち上がる。口調からしてアテナだ。でも、姿は見えない。
「どこだ!」
「近くですのよ。木が死角で見えないだけで」
声のする方に向かって恐る恐る近づく。声はするのになぜ襲ってこないのか。それは木々の間を抜けた先に答えがあった。十メートル程度木々の間を縫うようにして歩いてゆくと崖が見えた。その崖からは血が流れていた。
一瞬、自分が青ざめたのが分かった。声はその流れている血の先からだ。見上げるとそこには額に大量の汗をかいたアテナの姿があった。歯を食いしばって痛みを耐えている。俺に自らの威厳を損なわないようにするためだろう。でも、彼女のその天使を象徴する白い翼は崖から棘のように生えている枝が刺さっている。白い翼が赤く染まっている。枝は翼にかなり深々と刺さっていて抜くのは容易じゃない。
「おい。大丈夫か?」
「あなたが心配をする必要はないですのよ」
そう強がっているが状況はかなり悪い。アテナの翼が刺さっている枝は地上から数メートル高い場所にある。彼女の翼は自身の体とほぼ同じ大きさをしているがそれでも地に足がつけられる高さには到底及ばない。人一人分くらいの高さがまだある。そんな状態で崖の小さなくぼみに足をかけて槍を崖に突き刺して落下しないようにしている。でも、足は震え槍を握る手も震えて限界がすぐそこまで来ているのが目に見て分かる。
心配をする必要はないだ?
バカなことを言うな。このままだとアテナの翼は自分の重みによって千切れるか枝に裂かれるかどっちにしろ体の一部である翼からの出血量は多大なものだ。命に係わる。
「その枝くらい俺がへし折って抜け出しやすくしてやるよ!」
「だから!心配をする必要は!」
「今はそんなことを言っている状態じゃないことくらい自分で分かってるだろ!」
俺の怒鳴り声にアテナは黙る。
俺は崖をよじ登ろうとする。だが、両手の自由が利かない状態ではうまく昇れない。すぐに落ちてしまう。
「くそ!おい!この手の白い羽を外せ!」
「それはできませんのよ。それを外した瞬間、あなたは教術を使えるようになってしまいますのよ。そうすれば、怪我を負ったわたくしくらい容易く」
「だから!今はそんなことを言っている場合じゃないだろ!」
目の前の女の子が痛みに歪む姿は見るに堪えない。
「これを外せ!」
「無理だって言って!」
口論に熱が入ってしまったのか崖のわずかなくぼみから足を滑らして落下してしまった。
「ああああああ!」
何とか崖に刺した槍で完全な落下を防いでいるがそれはもう枝に刺さった翼だけで体を支えているのと同じだ。落下の衝撃と共に枝に刺さった翼の傷口から血が噴き出る。
「い、痛い・・・・・痛いよ」
その表情。痛みによって歪んだ顔。碧眼の瞳からは涙が流れる。痛みによる悲痛に耐えながら黒の騎士団としての使者の態度を崩していなかったアテナという少女が初めて見せた感情。
何振り構っていられない。
上るのはあきらめてアテナの下に潜り込む。
「ちょっと!どこにいるのよ!」
「いいから!俺の肩に足を置け!早く!」
アテナは俺の言われるがままに足を両肩にのせる。それを確認して俺はゆっくりと立ち上がる。アテナの体が小さく軽くて助かった。俺がアテナの体を持ち上げる形となって翼にかかる痛みのダメージが軽減されたようで出血が少し収まる。
「・・・・・あなた」
「とりあえず、これで一旦は大丈夫だな」
俺の両肩にのしかかるのはアテナの全体重。しかも、それが肩にのしかかっていてすぐに肩が凝りそうだ。とりあえず、少しでも体の負担を軽減するためにそのまま崖にもたれる。
「痛みはどうっだ!」
「ん?ま、まぁ、あなたのおかげで少しは軽ですのよ。・・・・・・どうして急に視線を外したのですのよ?」
「い、いや、別に」
アテナは下にスカートをはいている。見上げると視線には自然とスカートの中が見えてしまう。絶対に見えてしまう。これ以上見上げるのは紳士としてよろしくない。見たいという気持ちを押さえて我慢だ。忘れよう。
「あ、あなた!」
慌てたような口調で肩に載せている足で俺の顔面を蹴る。
「スカートの中を見ましたのね!こんな状況になってまで何て破廉恥なのですのよ!この!この!」
「バカ!止めろ!俺は事実上お前を助けたんだぞ!」
「人のスカートの中を見ておいてその態度は何なんですのよ!」
「見てないって!見えそうだったから視線を逸らしたんだろ!」
「じゃあ、何色でしたのよ!」
「水色と白の縞模様!」
「しっかり見てるし!」
蹴られ続けることで態勢が少し崩れる。
「痛い!痛い!痛い!ちょっと!動かないでくださいのよ!翼の傷が!」
「だったら俺の顔を蹴るな!」
そこでようやく顔面への攻撃が収まる。手で防ごうにも塞がっているので一方的にやられるだけ。この状況、実は俺に実権があるようでアテナの方に反撃の手段がある。油断はできない。
「こ、国分教太」
「なんだ?」
「上を見ない!」
軽く顔面を蹴られる。
「それでなんだ?」
やられる一方だが俺が少しでも動けば彼女の痛みは俺の非にはならないが少しくらいいたわってくれても。
「あ、ありがとうございますのよ。あなたのおかげで痛みの方はひとりの時よりもずっと軽いですのよ。本当に感謝しています」
その表情が見たくて思わず上を向いてしまう。今までの表情はムスッとした顔をしていたが今は赤らめて恥ずかしがっていた。この表情は結構レアな顔ではないのか?
「上を見るなと言っているではないですか!」
再び顔面を蹴られる。態勢を崩す。
「ちょっと!痛いですのよ!態勢を戻しなさい!」
「誰のせいだ!」
森中に響く俺たちの声。実はさっきまで敵対していたなんて誰も思わないだろう。




