黒い悪寒①
月明かりが夜を照らす。組織の協会のような拠点には大きなテラスがある。他の廊下と同じ大理石でできた冷たいベランダにあたしは夜風に当たるために出る。あたりはぽつぽつと明かりが見える程度で暗い。街頭はガスみたいに中で火属性魔術が弱い魔力を供給してもらって動いている。本当に暗い世界だ。あたしの住んでいる世界は明るい。アキから聞いた。魔術世界ではエネルギーをすべて魔力で補っている。その魔力は魔石という石から半永久的に供給できるものの限界がある。そこで魔術師から魔力を奪って人工的に作った魔石で天然の魔石では補えないエネルギーを支えている。そのせいで空子のような非魔術師が生まれるという。魔術が使えないことはあたしの世界では言葉を知らないようなもの。非魔術師はこの魔術社会に順応できない。だから、みんな不満を溜め込むんだ。あたしの世界に魔術はいらない。教太も同じ考えのはずだ。その教太が魔術の世界で魔術にのめり込んでいる。帰ってきてくれるかどうかがあたしの最大の不安要素だ。
あたしもミレイユさんやフレイナさんに魔術師として強くなる方法を、戦いやすい方法を学んでいる。何もせずにここでじっとしているわけじゃない。あたし自身がミレイユさんやフレイナさんのように強くなればこんな不安を抱える必要ない。
力がすべてなんだ。この世界では、この領域では。
「今日は月がきれいだぁ。月に照らされる君もだがなぁ」
不意に聞こえた声に思わず振り返る。あたしが入ってきたガラス戸にもたれかかって腕を組んでいる長身の男がいた。堀の深い顔に白髪にも似た灰色の髪。よれよれの白いTシャツに足のラインがくっきりとした黒いパンツに革靴。その雰囲気は一言で表現すなら・・・・・不気味。
「誰ですか?」
この建物にいるのは女の人が多いけど、男の人もちらほらいる。でも、基本みんな着物を着ている。リンさんやリュウさんのように本部にほとんど顔を出さないような人とフレイナさんは例外だけど、それ以外の例外はない。しかも、こんな時間に本部いるということは、組織本部に常駐する人のはずだ。そんな人がなぜ着物を着ないこんなところにいるの?
「俺の名前かぁ?別に知らなくてもいいだろぉ?」
ゆっくりと長い手を広げて近寄ってくる。
「お前の心はうまそうだぁ」
「はぁ?」
男は舌でよだれをすする。
「恋する女の心を食うのは最高に美味なんだぜぇ。甘く濃厚な味わいは胃もたれのする脂っこいものを食った後に食うのが最高なんだぁ」
この人は何を言っているのかわからないけど、嫌悪感だけは覚えた。
この人は組織の人じゃない。
この人は敵だ。
「それ以上近づかない」
あたしの警告に男は足を止めた。
「おいおい、そんな怖い顔するなよぉ」
「あなたは誰?組織の人?」
素直に答えるわけないと思っていたけど、男はあっさりと教えてくれた。
「俺は組織の人間じゃないぜぇ」
「はぁ?」
男は不気味な笑みを浮かべながら告げる。
「ちょっと、教える気分になったからよぉ、教えてやるよぉ。俺の名前は、デューク・リドリー。イギリス魔術結社の者だぁ」
「はぁ!?」
「おお、いいねぇ。その驚く表情と怯える瞳と唇。いいスパイスだぁ」
両手をだらんと舌に下げて脱力して姿勢を低くする。
「いいねぇ。すぐにかぶりつきたいけど、もう少し熟成させてうまみを凝縮させるのも悪くないなぁ」
なんで?なんでイギリス魔術結社の人がここにいるの?イギリス魔術結社って敵じゃない!なんで敵がこんなところにのうのうといるの?侵入されてるの?魔術か?確か時空間魔術!瞬間移動みたいなことができる魔術のことだ。その魔術を使えばどこだろうと魔術師に襲われる。その恐怖にあたしは耐えられなくて世界で一番安全なここに来たのに。なんでそんな安全地帯に魔術師がいるのよ!
「アハァ!焦ろ焦ろぉ!もっと、味を凝縮させて俺を楽しませてくれよぉ!」
「あ、味ってなんなのよ!」
時間を稼ぐのよ。誰かが異変に気付いてくれるかもしれない。そうよ。ここはあの誰もが恐れるミレイユさんとフレイナさんが住んでいる建物なのよ。魔術師もたくさんいる。見た感じ相手はたったひとり最悪あたしが自分で―――。
「味って知りたいってかぁ?」
「そうよ!なんの味よ!」
別に知りたいことでもないけど、目の前のデュークという男は自分の頭を指差しながらうれしそうに教えてくれた。
「俺はちょっと頭がおかしくなってよぉ、食べ物の味って言うもんがわかんねーんだよぉ。全部、ゴムみたいに弾力のある何かを噛んでいる感覚しかないんだよぉ。人間の欲の中で一番デケーのは性欲の次に食欲だと俺は思うわけよぉ。俺は味が何も分からないおかげで食欲ってもんがないんだよぉ。腹は減るのに、何かを食べたいと思わない。お前にこの苦しみがわかるかぁ?わからないよなぁ。だが、俺はある日、食べ物とは別の味って言うもんを知ったんだぁ」
「別の味?」
「それは心だぁ」
長い手をあたしのほうに向けて掴んだようにこぶしを握る。
「ある日、俺は好きだった女の心を食ったぁ。それは俺が忘れかけていた甘い甘いケーキのような味だったんだぁ。頬や舌がとろけるような味に鳥肌が立ったぁ。もっと、食いたい。腹が破裂するくらい食いたい。俺はそれからいろんな心を食ってきたぁ」
心を食べるってどういうこと?その方法がまったく想像できない。話についていけない状態でデュークは続ける。
「だが、俺はある日、知ったぁ。甘い甘い心を食っていく中で味の違いにぃ。それは心境とか待遇とか環境とかの違いが味を大きく変える。恋をしていれば甘く、悲しみを抱えていれば苦く、怒りをもっていれば辛く、裕福なら味は濃く、貧乏なら味は薄い」
ギロッと飛び出た目であたしを見る。
「お前のどんな味がするんだぁ?楽しみだなぁ」
身の危険を咄嗟に感じた。全身が闇に包まれるような嫌悪感。
それからは無意識だった。着物の裾の中に隠し持っていたカードと十字架を使って魔術を発動させる。青白い五芒星があたしの右手首を中心に発生すると手のひらに炎が爆発的に渦を巻いて男に襲いかかる。瞬間、ガスでも爆発したみたいな轟音と炎と爆煙と爆風が起こる。
自分の身を守るために土属性魔術を発動させる。地面に五芒星が浮かび上がってその中からあたしと同じくらいの身長のデッサン人形の形をした岩の人形が現れてあたしをその身を犠牲に守ってくれる。その土人形の影から爆心地を覗く。
「お前は甘いだけじゃなみたいだなぁ」
その声は背後からだった。
あたしを守る土人形がすぐさま反応して棒のような腕を振り回してデュークを殴り飛ばそうとするも羽でも生えているかのように飛び上がってかわしてベランダの手すりから手すりに移動する。よく見れば、デュークの手足がさっきと様子が違う。真っ黒な何かが覆っている。教太が使うような黒い靄とは比較にならないくらい吸い込まれそうな黒い何かがまるで怪獣のような鋭い爪にごつごつとして指の形をして覆っている。足も同じだ。
「あなたは何?」
「何度も言わせるなぁ。イギリス魔術結社のデューク・リドリーだぁ。お前の心を食わせろ!」
手すりを蹴って飛び込んできた。そのスピードはとても目では追えるものではなかった。
「土人形!」
あたしが名を呼び前に土人形はあたしの盾になるように間に割って入ってくれた。
「どけぇ!」
デゥークはその黒い爪で土人形を切り裂いた。土人形は名前を聞いただけでは土を固めた柔らかいイメージがあるけど、実際は岩のように硬くて刃物すらも弾くどころか折ってしまう。ましてや爪なんかが破壊できるわけがなかった。
だが、デゥークの爪は土人形をまるで粘土でも切り裂いているかのようにいとも簡単に切り裂いた。さらに切り裂いた切り口から爪と同じような真っ黒な何かが浸食していき、土人形は崩れてなくなってしまった。
「つまらない味だぁ。やっぱり、物には心ってもんがないんだなぁ。味がない」
もしかして、今の攻撃で心を食べたって言うの?
バックステップで距離を測る。広いベランダはあたしたちが暴れて壊れても崩れる気配はない。でも、建物中にさっきのあたしの魔術の爆発の振動が伝わっているはずだ。なんで誰も来ないの?ここはこの世界で一番安全なんじゃないの?
「いいねぇ。その不安そうな表情はぁ。どんな味に仕上がっているのか楽しみだぁ」
目に見えない邪気のようなオーラがあたしの中で恐怖を増幅させる。あの黒いものに触れたらあたしも土人形のようにさせられてしまうと思うと手の震えが止まらない。逃げるにも背中からあの爪で切り裂かれてしまう。ならば、誰かが来るまで。
と思うと妙に頭がさえて冷静になった。ゆっくりとまぶたを上げて邪気を放つデゥークを睨む。それにデゥークが少しだけ肩をびくっとさせて驚いた。と同時にニヤリと笑みを浮かべた。
「また、味が変わったなぁ。いいねぇ。楽しみだぁ。感情が豊かでそのたびに味を変える。どんな壮絶な人生を送ってきたか知らないが、普通の心にはない味がしそうだぁ。お前は絶対に美味だぁ。これは食わない選択肢なんてありえないぜぇ」
よだれを袖でふき取って姿勢を犬みたいに四つん這いになって低くする。
飛び込んでくる。
「いつまでも弱いあたしじゃない」
お父さんがいなくなって守られるだけの自分じゃなくなった。髪を染めて武器を手に入れて強くなった。魔術を手に入れてまた強くなった。不安は一杯だけど、ミレイユさんやフレイナさんにあたしは強いといってくれた。教太もアキも単純な力のぶつけ合いならあたしには敵わないと思っている。
負けない。
一枚のカードを取り出して十字架を打ち付けると、紐で輪に束なられているカードの束を取り出す。その中の一枚のカードを打ち付けると弱い風が起こる。すると束ねられていたカードが飛び上がって輪に広がってまるで円盤のように回り始める。そのカードの束の輪がゆっくりと降りてきて、あたしは輪の中に入る。
「なんだぁ?魔武じゃなさそうだなぁ」
「魔武じゃないわ。あたしの戦闘スタイルに合わせてミレイユさんが考えてくれたあたしの武器よ!」
弱い風属性を受けて浮遊して回転し続けるカードに両手にそれぞれ持っている十字架を打ち付ける。同時に無数の青白い五芒星が鈍く光る。地面からデッサン人形の土人形が4体現れる。同時にそれぞれの土人形の両手にも五芒星の陣が現れて、土人形の両手に氷の刃が生成される。
「ほおぉ。土属性の土人形に氷属性の氷剣を発動させて装備させるのかぁ。面白い組み合わせだなぁ」
土人形の弱点は数を召還できるけど、攻撃方法は殴ったり叩いたりするくらいで、土属性と相性の悪い属性にはどうしても攻撃が通らない。でも、これですべての属性魔術に対応できる。土属性と氷属性を同時に使うことで属性の有利不利を完璧にカバーできている。つまり、属性魔術相手には敵なんていない。
「行け!土人形!」
あたしの命令に従って氷の剣という武器を手にした土人形たちは一斉にデュークに切りかかる。真っ黒な爪を携えたデュークは犬みたいに両手足で地面を蹴る。土人形と同じようなスピードで突っ込んで行き、氷の刃と真っ黒な爪が交差する。一見、そこで刃と爪の鍔迫り合いが起きるもんだと思っていた。そこに別の土人形が斬りかかれば有利になると思っていた。だが、その予想は大きく違った。
刃と爪が交差すると同時に土人形の氷の刃がデュークの爪と同じように真っ黒に染まって切り裂く勢いに負けてぼろぼろと崩れ去って切り裂かれる。土人形の腕から肩、胸の半分が真っ黒になって爪で切り裂かれて崩れる。土人形は崩れてなくなる。他の土人形も同様だった。斬りかかると爪で受け止められる。すると刃から爪の黒が侵食するように土人形全体を覆っていく。そして、デュークの手と同じように生々しい真っ黒な爪が生える足で蹴り飛ばすとまるで積み木でも崩したかのように真っ黒になった土人形が崩れなくなる。
次に斬りかかる土人形も胸を爪で突かれて真っ黒に染まったところから大穴が空く。
「何?なんなの?その教術は!」
魔術を発動させる動作をしていないから教術だってことはわかる。でも、なんの教術かわからない。
不気味に笑うデュークに恐怖を覚えた。
あたしを囲むようにカードの束の輪が風属性の力を受けて回転し続けている。
「土人形!」
回転するカードの中から土人形と氷剣の魔術を発動させる。同じように無数の土人形が氷の剣を装備させた状態で召還される。
「きりがないねぇ。でも、なんの変化のない攻撃じゃつまらないねぇ。このままだと味が落ちるなぁ」
「それはどうかしら?」
「はぁ?」
土人形が氷の剣を構えて一斉に襲い掛かる。
「これだけじゃないわよ!」
回転し続けるカードの中から的確に発動した魔術を選んで発動させる。あたしの頭上に大きな六芒星の陣が浮かびあがるとその中心から一斉に火の玉が撃ちあがって頭上にまるでオレンジ色の雨のように広がる。
「炎の雨!」
あたしがあげた手を振り下ろすのと同時に火の玉が一斉にデュークに降りかかる。
「さすがにこれはよけないと不味いなぁ」
と言って大きく後ろに飛び上がって炎の雨をかわす。でも、かわされるだけでは終わらない。ベランダの大理石にぶつかった炎の雨は黒い煙と爆発音を上げてぶつかる。その黒い煙の中を突っ切って土人形がデュークに襲い掛かる。
「なにぃ!」
土人形の土属性は炎の雨の火属性とは相性がいい。炎の雨の中でも壊れることなく進むことができる。どうせ、かわされると思っていた。かわされることを前提とした攻撃。そして、デュークをあたしは壁際まで追い込んだ。土人形の攻撃を受け止めるしかない。
「でもよぉ、受け止めたらさっきの似の前だぜぇ」
「知ってるわよ」
土人形は氷の剣で斬りかかるとその剣をさっきの同様にデュークは真っ黒な爪で受け止める。と同時に土人形は氷の刃から離れてそのままデュークに飛びつく。
「なにぁ!」
飛びつかれたせいでデュークは土人形に押し倒される。
すぐさまその爪で土人形を掴んで破壊しにかかる。そこで別の土人形が覆いかぶさるように飛び掛る。
次の土人形もそのまた次の土人形も。
「なんのつもりだぁ!」
「動かないようにしてもらうためよ!」
あたしはふたつの魔術を同時に発動させると右手に炎の渦が、左手に稲妻が発生して、それを頭上であわせる。
「なんだぁ?」
「一番攻撃力の高いものをお見舞いしてあげるわ!火と雷の猛攻!」
生成された雷と炎の塊を飛ばす。まるで弾丸のように空気を切るかのように轟音を上げながらデュークと土人形の大軍に向かって飛んでいって着弾と同時にすさまじい爆発音と爆風が発生する。建物全体が揺れて周囲の窓ガラスが弾け割れる。さすがに今の無事ではすまない。それに今の誰かひとりくらい異変に気付く人がいるだろうと思っていた。でも、あたしの両者の思っていたことは見事に外れる。
「危ないねぇ」
「はぁ!?」
デュークは建物の壁に閉じ上って直撃を回避していた。真っ黒な爪を硬いはずの大理石の壁に食い込ませてまるでヤモリのように壁に張り付いていた。
「あの土人形の拘束から抜け出したって言うの!」
「あんなおもちゃがのしかかって程度で俺を押さえ込んだとでもぉ?笑わせるなぁ。今度はこっちから行くぞぉ」
手を離して足の爪だけを壁に食い込ませて立ち上がる。そして、足のバネを利かせてミサイルのように飛んでくる。
「土人形!」
三度土人形を4体召還する。召還して組み体操のように3体の土人形が足場となって氷の剣を携えた1体の土人形をデュークに向かって飛ばす。
「面白い芸当だが、結果は同じだぁ」
デュークはその爪で土人形を切り裂こうとする。
「同じにはさせない!」
炎の渦と稲妻を発動させる。
「火と雷の猛攻!」
レーザーのように炎と雷の光線が土人形ごとデュークを打ち抜いた。空中で火と雷の猛攻が何かにぶつかって轟音と黒煙を上げる。
「今度こそ!」
「こっちだぁ!」
デュークは空中ではなく、ベランダに着地していた。その足の爪には真っ黒になった岩のカスが転がっていた。咄嗟におとりにした土人形を足場にして火と雷の猛攻をかわしたっていうの。
足場になっていた土人形たちが襲い掛かる。
「無駄だぁ!」
次々と土人形を切り裂いて倒していく。
このままでは終わらない。次の魔術を発動させる。無数の氷の結晶が鋭利な槍のように生成されていく。
「氷結弾!」
螺旋状に回転して土人形を葬ったデュークに向かっていく。
「こんなものでぇ!」
両手の手のひらを向けて氷の弾丸を受け止めるとさっきとは間逆の冷たい白い蒸気が爆風のように着弾と同時に起こる。今度こそはと思った。でも、デュークは白い冷気を切ってすさまじいスピードであたしに迫ってくる。
今から土人形を召還してもまた倒されるだけ。火と雷の猛攻をこんな至近距離で使えばあたしもただじゃすまない。だったら!
カードを打ち付けるとあたしの人差し指の先端に小さな五芒星の陣が浮かび上がる。その人差し指で地面に線を振ると同時にまるで津波のように水の壁が地面から吹き出す。
「はぁ?」
「水の壁!」
「そんな壁で俺が止められるとでもぉ!」
「止められると思ってないわ」
さらに別の魔術を発動させると水壁の中に無数の紫色のスパークが起こる。
「これはさすがにやばそうだなぁ」
水属性が展開されている中で雷属性を使えば、雷属性の威力が増幅されてさらに低い命中力を補うができる。水の壁のデューク側だけで雷をスパークさせればあたしは被害を受けることなくデュークだけを確実にやれる!
「食らいなさい!水と雷の猛攻!」
雷鳴が響き渡ってその衝撃で水の壁がはじけるように破壊される。水の壁から飛び出した威力が増大した雷がベランダの大理石の手すりを壁を床をえぐり破壊する。雷の熱で水の壁の水が蒸発して白い蒸気が上がる。
「さすがに今ので無事ではないでしょ」
時々残っている雷が静電気みたいにぱちぱち光る瞬間、黒い何かが見えた。
「え?」
ゆっくりと蒸気が晴れて行く中であたしはひとつの影が見えて言葉を失った。
「今の正直危なかったぜぇ」
デュークは健在だった。
「なんで?どうして!だって、明らかに絶対に今の攻撃をかわすことなんて!」
「かわすぅ?そんなの無理に決まってるだろぉ」
よく見ればデュークの両手の真っ黒い爪が手でなく腕から変えるように盾のように広がっている。その盾であたしの水と雷の猛攻を防いだというの?
教太でも防ぐことはできない攻撃よ。いや、ちょっと待ってよ。土人形の破壊に仕方といい戦い方のスタイルが教太に似ている。それだけじゃない。あの黒い爪も教太の黒い靄にそっくりだ。
「あ、あなたは何?」
デュークは冷静に答える。
「さっきも言っただろぉ。俺の名前はデューク・リドリーだぁ」
笑顔で細い腕を大きく広げる。
「そろそろ料理の時間も終わりだぁ」
「え?」
舌を出してよだれをすする。
「この爪で触れたものは俺の意思と関係なく、黒く染まっていくんだぁ。一度、触れればそこから絵の具のインクみたいにじわじわ広がって行くんだぁ。右肩を見ろよぉ。もうそんなに黒く染まっている」
不気味な笑みを指を刺す。
「嘘でしょ!」
まさか、最初に背後に回ったときに!
と咄嗟に自分の右肩を見る。
「あれ?なんともない」
普通に青色の着物の色をしている。真っ黒なんかに染まっていない。
あたしの頭の中で何が起きたのかわからなかった。でも、あたしは愚かだった。
確認するために前を向けば目の前にデュークがその黒い爪を立てて切り裂こうとしている瞬間だった。
そこであたしは悟った。あれは嘘だったのだ。デュークは余裕そうにほらを吹いていたけど、結局はあたしの猛攻を一度も突破していない。つまり、あたしが警戒態勢の状態で正面から戦っても勝ち目は彼にはなかったのだ。だから、嘘をついて一瞬だけ隙を作った。ものすごいスピードで動けるデュークにとって一瞬だけ視線を外すだけで十分だった。
仰け反って足が自分の足に引っかかって倒れる。そのおかげで黒い爪は直撃はせず腕を着物ごと引き裂いた。瞬間、焼けたような痛みと血がどくどくと抜ける感触が右腕を襲う。
「ああああああああああああ!」
ほぼ、無意識で無事な左手で魔術を発動させる。
あたしの目の前にいるデュークに向かって炎の渦をぶつける。それを察知したデュークはそのまま倒れるあたしの目の前を通過してかわす。硬いベランダに背中から倒れたあたしはすぐに起き上がる。腕が取れるんじゃないかって痛みに襲われて傷口を左手で押さえて立ち上がる。
デュークは目をつぶりながら上を見ていた。
「甘いなぁ」
「え?」
「甘くて美味だぁ」
あたしは切られた右腕を見ると真っ黒に染まっていた。それだけじゃない。傷口を押さえていた左手も同様に黒く染まっていた。
「何よ!これ!なんなのよ!」
十字架を掴んで魔術をすぐに発動させる。回復魔術だ。傷口を癒す淡い緑色の光で傷口がふさがって痛みが引いて行く真っ黒が抜けない。
「なんで!傷は治ったのに!」
「傷は治ってるがなぁ」
よだれをすすりながらゆっくりデュークが手すりから降りてやってくる。
「俺はお前の体以外のものにも傷を入れたぁ」
「それは?」
「お前の心だぁ。甘くて濃厚な恋する女の心だぁ」
まさか、今ので。
「さぁ!もっと食わせろぉ!」
両手の爪を大きく広げて地面を蹴って向かってくる。
「つ、土人形!」
「その芸当は飽きたぁ!」
土人形が召還された瞬間、その真っ黒な爪で土人形が頭部から切り裂かれて崩れる。勢いを殺さずにデュークが迫ってくる。このままだとまた切り裂かれて体が黒くなってしまう。でも、黒くなるだけで心を食べられた感覚はない。これ以上痛いのは嫌だから応戦しないと!
水の壁を発動させて再び進行を妨害する。また、雷を同時に発動させて攻撃する。あの攻撃を繰り出したとき、デュークはよけるために後退した。だから、あの攻撃をかわすことができても耐えることはできない。なら、同時に火と雷の猛攻を発動させて攻撃をする。連続で強力な猛攻をすればかわすことなんてできない。いける。
「いけると思ってるだろぉ?」
「え?」
不気味に笑いながら呟いた。
さっきの攻撃でデュークはあたしの心を食べた。だから、あたしの考えが読まれた?
デュークのその言葉のせいであたしは動きが一瞬だけ鈍った。その一瞬の間にデュークはあたしのとの距離を詰めた。
魔術を!
「発動させるとめんどくさいなぁ」
デュークはその爪であたしではなくあたしの中心に回り続けているカードの輪を切り裂いた。紐で輪に繋がって風属性の力を受けて回転したカードたちは切られたことで制御を失ってあたしの前から飛んでいってしまう。
「やめ!」
「やめないぃ!」
デュークはその爪であたしの細い腕を切り裂く・・・・・のではなく、握った。
「え?」
だが、触れた瞬間爪の真っ黒があたしの体に移って来てどんどん侵食していく。
「いや!死にたくない!やめて!助けて!ミレイユ!フレイナ!」
「無駄だぁ」
「な、なんで」
涙が流れているのも自分でわかった。震えが止まらない。死の冷たい恐怖があたしを包んでいく。
「お前は見捨てられたんだからなぁ」
「え?」
瞬間、目の前が暗くなった。




