思い出⑧
お母さんから貰った資金の一部を使って髪をケアをするためのシャンプーとトリートメントとドライヤーを買った。ついでに化粧品を買った。安いもので買える範囲のものだ。化粧は家にあるものでやろうと思っていた。それらを買い揃えてしまうと手元にはもうお金はほとんど残っていなかった。一月分の食費もかねてもらっていたお金だったから、食料を買うことができないけど、お母さんにお金を余分に貰う気はなかった。給食でたくさん食べてまかない目当てに適そうな飲食店で働くことも考えていた。
家に帰るとすでにお母さんが帰ってきていた。あたしの髪の色を見て空いた口がふさがらなかった。あたしは切ったばかりの毛先をいじりながら笑顔で尋ねる。
「に、似合ってる?」
いつ以来見せたわからない笑顔にお母さんは泣きながら。
「似合ってるよ。秋奈」
と言ってあたしを抱き寄せた。
「ごめんね。お母さん。お母さんも辛いんだよね。あたしもさ・・・・・辛いけど、がんばるよ。強くなるよ。だからさ・・・・・・お化粧教えてよ」
お母さんは笑顔でうなずいてあたしに化粧のやり方を教えてくれた。あたしもお母さんが笑う顔を久々に見て同じく泣きそうになった。それから化粧を覚えた。それ以外にも前だったらお手伝いさんに頼んでやってもらっていたことを自分でやるようになった。掃除も洗濯も食事も全部やるようになった。少しでもお母さんの辛さを和らげるために、辛いことを少なくするために、助け合うために。そのためだったら友達も何も要らない。
髪の毛を茶色くして化粧もして学校に行った。もちろん、髪を染めることも化粧をすることも校則違反だ。でも、あたしは気にせず学校に行った。するとあたしは瞬く間に注目の的となった。
先生に呼び出されて怒られた。お母さんを呼ぼうとしても仕事が忙しいから来れるはずがない。とりあえず、先生の同伴で教室に戻ると誰もがあたしを注目した。そうか、こういう方法を使えば輪の中に入れたかもしれない。でも、もう遅いから。あんな奴らと遊ぶ気も話す気にもなれない。近寄れば、睨みつける。不機嫌そうを装って。すると誰もあたしに近づこうとしなくなった。孤独は寂しかったけど、前みたいな辛い思いはしなくなった。東さんの魔法は本当に効果抜群だった。今度、ケアを頼みに行くときにお礼をしないといけない。あたしを強くしてくれたお礼を。
もう、このまま友達も作らず、ずっとあたしはひとりなんだ。
親が抱えた借金の影響でぐれて不良になったあたしを誰もが嫌い、遠ざかっていく。学校へは時々行くけど、たまに行かないときもある。そういう時は大抵、年齢を偽ってバイトもしたときだ。その生活があたしにとって幸せで充実していた。
高校にも何とか進学できてもあたしの立場は変わらない。あたしのことを知らないやつはいない。名の知れた企業の社長令嬢で大富豪に近かった少女が、超が付くような貧乏人になって不良になったからだ。高校に進学しても同じだった。―――同じはずだった。
高校入学式は出席せず、二日目から学校に登校した。誰もがあたしを注目した。けど、その目はもう気にならない。びりっと睨むと誰もがおびえて遠ざかって行った。これでいい。これでいいんだ。
ある日、授業がめんどくさくて保健室でサボっていたときだった。誰かが保健室に無言で入ってきた。携帯をいじっていたあたしはてっきり保健室に常駐している静ちゃん先生かと思ったが、違った。
「わぁ!誰もいないと思ったのに」
あたしの姿を見て驚くのは黒髪単発の地味な少年だった。あたしの姿を見て気まずそうに視線を外そうとする。あたしがたぶん無意識に睨んでいるからだろう。仕方ない。いつものことだ。あたしはもう友達なんか作る気なんかない。ましてや、男も。
「あれ?も、もしかして」
保健室に入ってきた少年はあたしを見ていた。睨みつけられて怯えることもなく。
「み、美嶋さん?」
びっくりなことに少年はあたしのことを知っていた。
「あんた誰?あたしはあんたみたいな地味な男子の知り合いなんていないんだけど」
「いや、知り合いも何も小学生以来だよ」
「え?」
小学生以来ってことはあたしの髪がまだ黒かった頃の・・・・・・。
少年の面影を記憶の中で探っていると。
「あ」
一致する面影の記憶があった。
「国分・・・・・教太くん?」
「当たり」
びっくりした。背は伸びてあたしよりも高くなっているし、間抜けそうな顔は引き締まって男らしくなっていた。小学生の頃とは全然印象が違う。かっこよくなっている・・・・・・。
気まずそうな国分くんは頬を描きながら背を向けた。
「じゃあ、俺、帰るわ」
え?帰るって。
「家に帰るの?」
「・・・・・・家にはその・・・・・・帰れないかな~」
歯切れが異常に悪かった。
前の国分くんとは印象がまったく違う。壁を感じた。たぶん、あたしが普段から作っているものと同じ壁だ。あたしと同じように彼の身にも何かあったのだ。前のような明るさも自由な感じもない。まさに無に等しかった。
「帰らなくてもいいじゃない」
あたしは初めて自分から声を掛けた。理由はわからない。同じ境遇に見えたから。同じ孤独に見えたから。以前よりもかっこよくなっていたから。どれなのかは今でもはっきりしない。それでもあたしは声を掛けたことに後悔を覚えたことはない。それであたしも彼も救われていると思うから。
「あたし暇だからさ。保健室にいてよ。ここなら邪魔なんて入らないから」
国分くんは振り返る。
「俺が怖くないのか?」
「怖くなんかないわ。そんなことを行ったらあんたもあたしのことをどう思うわけ?関わりたくないと思ってるわけ?」
「いや、別にそんなことないんだけど」
「だったら、いいじゃない。オセロがあるのよ。やる?」
保健室に常駐する静ちゃんの私物だ。
「お前。学校に何しに来てるんだよ」
「あんただって同じでしょ」
まぁ、確かにと否定しない。
「あんたも何かあったんでしょ」
「え?」
「小学生の頃とは雰囲気が違う。あたしと同じ匂いがする。孤独の匂い。それを共有しない?」
「・・・・・・別に共有することでもないだろ。まぁ、美嶋さんがいろいろ苦労してきたのは知ってるから、そういう見た目になっていてもなんら不思議だとは思わない。むしろ、普通じゃね?」
「普通?」
「うん、普通。金持ち令嬢だったのが貧乏人に転落して不良少女になったって言うドラマみたいな感じだろ。苦労がわかるよ。俺もいろいろ苦労してきたし」
「その苦労は聞かないわ」
「助かる。俺も詳しいことは聞かない。だから」
あたしの正面の席に座る。
「オセロをすることにする。どうせ暇だし」
「そう。・・・・・・変わらないわね」
「何が?」
「あたしに対する態度」
どこか他人行儀で物とか見た目とかで判断しないところ。
「別に見た目が変わろうが、不良になろうが変わらないよ。だって、美嶋さんは美嶋さんだろ。金持ちから貧乏人になったからっていって俺の知ってる美嶋さんは変わらない」
「変わらないの?」
「物で人を誘うところとか。今もオセロで俺を釣った」
・・・・・確かに、無意識だった。
「変わってないよ。俺に対する態度とかも。髪の色以外は」
「・・・・・あんたも変わってないわね」
「そうか?ありがとう」
なんかうれしかった。お金とか見た目とかで態度も話しかけ方も何も変わらなかった。何も変わらない日常が妙に懐かしくて涙が出そうになった。そして、後の行動も無意識だった。
「・・・・・これも何かの縁よ」
携帯を取り出して自分の番号を見せる。
「仲良くしていかない?あたし授業とかあんまり出てないのよね。国分くんも・・・・・いや、教太もそうでしょ?」
突然、名前で呼ばれたことに動揺しながらも答える。
「そ、そうだな。あ・・・・・秋・・・・・・美嶋」
意気地なしね。
顔を赤くしながら教太は携帯の番号を見せてくれた。
「美嶋はいつか・・・・・・俺が孤独になってしまった理由、無になってしまった理由を知るかもしれない。それでも」
「教太に対する態度を変えたりはしない」
断言した。
「あんたも変わらなかったから。あたしも変えない。変えるわけがない。この懐かしい変わらない時間があたしにとって幸せだから。よろしく、教太」
オセロを中央に並べる。
教太は照れくさそうに。
「よろしくな、美嶋」
オセロを二人で始めた。
差し込む木漏れ日に照らされる暗い保健室があたしたちの心境を写しているようだ。
暗く孤独な心に光がかすかに差し込んだ。目の前の男子の表情を頬杖ながら眺めると急に胸が熱くなった。これが恋だって気付くのはもうしばらく後のことになる。そのときはただ楽しくオセロをした。あたしにとっては忘れられないこと。人生も最も幸せな時間。好きになった人と過ごした始めての時間。




