思い出①
まだ髪の色がアキと同じ黒髪だった8年前のあたしは女王様だった。
美嶋不動産という会社名を聞いてあたしの学校で知らない人なんていなかった。地元ではそこそこ大きな会社でたくさんの土地と建物を所有していた。代々、家族経営で成り立っている会社で美嶋家は昔から裕福で不自由ない生活を送っていた。お嫁に来たお母さんは一般の普通の家庭の生まれ育った経緯があってかあたしを私立の小学校ではなく公立の小学校に通わせた。普通の常識ある子に育って欲しいという願いからだ。小学校から大学までの一貫校を卒業しているお父さんも反対はしなかった。一般人の中に混ざる貴族みたいな感じであたしは昔から浮いていた。
「あいつの家、超金持ちなんだぜ」
「なんでも欲しいもの買ってもらえるらしいよ」
「うらやましいな」
「昨日、黒い高そうな車で執事みたいなのがお迎えに来てたわ」
「なんか上品よね」
みんなあたしを別の世界から来た異星人のように近づかずに遠くであたしの話題を話す。所詮、低層の人たちがくだらないことを話しているんだからあたしには何も関係ないって無視していたのは最初だけだった。周りに誰もいないことが寂しくて怖かった。あたしが通る道はみんななぜか恐れて開けてくれる。俺を言うとひそひそと何かを聞こえないように話す。この空間が耐えられなくてあたしはとある女子のグループに飛び込んだ。今でも覚えている。結構勇気が必要だったことで、これから大勢の前でピアノの発表会をすることよりも緊張した。あたしが人の輪に飛び込んだ第一声。
「な、にゃんの話してるん?」
思いっきり噛んだ。
みんな面白そうにあたしを笑った。笑われているんだけど、妙にうれしかった。
それからは自然とそのグループの輪に入れたけど、話題にまったくついていくことができなかった。昨日のテレビの話、ゲームの話、猫の話、犬の話、花の話、好きな男の子の話。どの話題にも入っていくことができなかった。このままだと孤立する。また、あの寂しい場所に戻るのは嫌だった。そんなときに飛び込んできたひとつの話題。
「ねぇ、たまごっちって買ってもらった?」
というものだった。
「私はまだ。だって、どこも売り切れで売ってないんだもん」
「うちなんか買ってすらもらえないよ」
「こないだ持ってる子がいたんだけど、あたしの物だって言って見せてくれなかったのよね」
「欲しいなぁ~」
「あ、あの!」
それは孤独から逃れるために取ったあたしの間違った一歩だった。
「それならあたし・・・・・持ってる」
瞬間、輪の端っこにいたあたしが一気に中心になった。
「嘘!持ってるの!」
嘘です。持ってないです。
「いいな~」
持ってないけど、いいでしょ。
「ねぁ、美嶋さん!たまごっち見せてよ!」
「え?」
そこであたしはひどく後悔した。
「だって、持ってるんでしょ?」
「う、うん。持ってる」
持ってないよ。
「なら、見せてもらってもいいじゃないの~」
「で、でも」
そもそも、たまごっち何なのかをあたしは知らなかった。
「そうよ、そうよ。ちょっとだけ、何なら美嶋さん家に行くし」
「でも、あたし学校終わったらすぐに塾が」
今日は塾なんてないけど、こうでも言わないと逃げられなかった。
「学校に持ってきてよ」
「も、持ってきたら先生に怒られるよ」
持ってないのがばれたらどうなるのかが怖かった。
「大丈夫。そのときはうちらがかくまうから」
「で、でも」
するとリーダー格の女の子が強い口調であたしに言う。
「なんで独り占めするの!いいじゃない!見せてもらっても!もしかして・・・・・本当は持ってないんじゃ?」
「も!持ってるもん!」
嘘を大きな声で言ってしまった。
「なら、見せてよ。明日」
「あ、明日!?」
「持ってるなら問題ないでしょ。・・・・・嘘だったら」
「持ってくるから!だから!」
「大丈夫よ。美嶋さんと私たちは友達だもの」
リーダー格の子は笑ってくれた。
そのたまごっちとか言うものがあればあたしは友達。みんなの友達。
その友達という響きがうれしかった。しかし、今のままではその友達を失う危機的状態だ。あたしは放課後すぐに行動に移した。いつも迎えにきてくれる車に乗り込んであたしの身の回りのお世話をしてくれる白髪の執事さん兼運転手にあたしは初めてお願い事をした。
「ねぇ、たまごっちが欲しいわ」
すると執事さんはこう告げる。
「たまごっちですか。あれはとても人気ですしね」
「みんな欲しいって話題になってたのよ、だから、欲しいわ」
「ですが、あれは非常に人気ですのですぐには」
「明日までには欲しいわ」
「え?」
「明日欲しい」
「といわれましても」
「あたしが明日欲しいって言ったら明日までに用意しなさいよ!」
「で、ですが」
「用意できなかったらあなたはクビよ」
「え?し、しかし、それは」
「命令よ。明日の朝までにたまごっちを用意しなさい」
相手は60近いおじいちゃんで当時のあたしは小学1年生だ。50近い年の差があっても命令できる権利があるのはあたしで執事さんは歯向かうことはできない。あたしがクビだとお父さんに告げれば執事さんは間違いなくクビだ。
「わ、わかりました。努力します」
「絶対よ!」
強くもう一度言うと執事さんは萎縮してしまった。
家に帰ったら、執事さんはすぐに駐在するメイドさんをひとり連れて車で出かけていった。あたしは玄関にいすを置いてふたりの帰りを待った。しばらくしてお母さんが帰ってきて何をしているのかと訊かれると、素直にたまごっちを待っていると告げた。それからまたしばらくしてお父さんが帰ってきて同じことを訊いてきたので同じように答えた。その後、すぐにお母さんが来てあたしにこう告げる。
「あのね、秋奈。磯野さんと三田さんがたまごっちを探し回ってるんだけど、見つからないって」
「なら、あのふたりはクビね!あたしはどうしても明日欲しいの!」
「ないものはないの!少しは我慢することを!」
「明日欲しいの!欲しいのー!」
そう駄々をこねるとお父さんがよしと立ち上がった。
「お父さんに任せなさい!」
「え?」
「前に家を売ったおもちゃ屋さんに在庫があるかどうか聞いてこよう」
「ちょっと、お父さん」
「かわいい娘の頼みをお父さんが叶えなくて誰が叶える」
と飛び出していった。それから数時間後、お父さんはひとつのかわいい箱を持って帰って来た。たまごっちだった。あたしは泣いて喜んでお父さんに飛びついた。
次の日、あたしは約束どおりたまごっちを学校に持っていった。それからはそのグループはあたしを中心に回るようになった。使い方は不慣れなあたしに使い方を教えてくれたり、家のことを話したりするとみんな目を輝かせてあたしの話を聞いた。その日はグループの真ん中にいることがうれしくて楽しかった。
今、冷静になって思う。人はすごく愚かだと思う。あの時のあたしは愚かだった。
リーダー格の子が言ったその一言があたしを愚かな方向へと導く。
「いいなぁ~。私も欲しいな」
「確か通信できるんだよね」
「そうそう、たまごっち同士を結婚させたりとか」
「美嶋さんだけが持っててもね」
「わかった」
たぶん、あたしのわかったって言葉を誰も理解していないかもしれない。あたしの言葉に誰も信じてもらえなかった。でも、ここであたしがやればもっとあたしは人の輪の中心になれる。孤独からさらに遠くに行くことができる。それがうれしい。
「みんなの分のたまごっちも用意する」
「はぁ?」
誰も本気にしていなかった。
「任せて。あたしを誰だと思ってるの?」
お父さんの力を使えば、こんな願い造作でもない。
その日もあたしは駄々をこねた。お父さんに飛びついて頼んだ。するとお父さんは友達の人数分のたまごっちを用意してくれた。次の日もあたしはグループの中心にいた。良い気分だった。みんなあたしの周りにべったりとくっついた。気付けば、あたしの周りには女の子だけじゃなくて男の子も十数人いた。こんなに友達がいる。友達がいるのってこんなに心地いいことなんだ。
すごく気分が良かった。みんなあたしを女王様みたいにゴマをすってあたしに従った。まるで奴隷みたいに。欲しいものはあたしに言えば手に入る。あたしの機嫌を損ねれば、孤立していじめられる。孤立したくなければ、いじめられたくなければ、あたしに従えばいい。あたしの言うことを友達になってくれるならあたしは手を差し伸べる。それでもあたしの存在を拒否するならその子とは二度と関わらない。女王になったあたしはおかしくなっていた。友達の定義が壊れていた。




