表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/105

Side2:第三十二章-川邑美穂-

 事後処理は、おどろく程速やかに、そして匿されたまま済まされた。

 警察と、救急と、魔法省の役人が出動する大掛かりな事件であったのに、警察は現場近くにKEEP OUTの黄色いテープを張って役人以外を締め出しただけで、さっさと帰ってしまった。折角とまった救急車も、幸信の容態が病院に搬送する程でもないとわかると、目覚めた後の処置だけ指示して、去っていった。魔法省から来た、魔法対策事案室室長ラニスタと、その部下たちだけが残って調査をしていたが、それも一時間もしないうちに終わった。

 生徒会役員達は、運営本部で待機を命じられていた。おそらく開催はすると思うから、準備だけ進めておいてくれ、という指示だけをもらっていたので、各々、途中の作業を進めていたが、全員内心、気が気ではない。競技会の会場に魔物が出現するなど、回積み重ねた競技会の歴史上でも、前代未聞の事態である。なにをしたらいいのか、どうなってしまうのか、誰もが、自分の不安を紛らわせるために、作業に没頭した。

 ドアをノックする音が、美穂には身体に突き刺さった様に聞こえた。全員が、美穂と同じ様に感じたのであろう。みんなびっくりして、誰もどうぞ、と声を出せなかった。

 返事を待たずに、ドアが開き、スーツの男が入ってきた。長身と、きらりとひかる金の瞳。そして、胸元に光る、意味不明の記号が刻まれた金バッジから、部屋にいる全員がこの人物が誰であるかに想到し、言葉を発する前に起立した。

 「失礼するよ。調査報告を伝えにきたんだけど」

 ラニスタがそう言うと、場に、さっきまでとは違う緊張が走った。さっきまでの緊張は、はっきりしない不安を伴った、暗雲がまとわりついてくる様な緊張であったが、今感じているそれは、心臓に直接、冷たい針金が巻きついた様な、次の瞬間に運命が激動するであろうという、切羽詰った予感をおぼえる緊張であった。

 「結論だけを言うと、向後の危険なし、だ。開会時間を延ばして、平常どおり競技会の運営をすべし。以上。よかったな。悪いことは、なんにもなかった。殊更に騒ぎ立てず、粛々と、各々の業務をがんばってくれ」

 ラニスタが、言い終わるや踵を返そうとしたので、一番近くにいた燈が、あわてて肩をつかんで止めた。

 「ま、待ってください!」

 「なに」

 「詳細な説明をしてください。どうして危険がないのか、そもそも何が起きたのか。私たちはまだ、どんな魔物がなぜ現れて、なぜ消えたのかも知らないんです。こんな状態で開会したって、私たちは集まった生徒や父兄に、なんて言えばいいんですか」

 「僕の言ったままを言ったらいいんじゃない?」

 「言ったままを、って……」

 ラニスタの、燈の疑問を斬って捨てる様な返事に、燈は言い返すことも出来ず絶句してしまった。他の者も口をさしはさめない。こうまで強固な姿勢を、取られてしまっては、一介の生徒には手も足も出しがたい。

 「とてもわからないことを付け焼刃に聞いて、それをまた無知な人にうまく説明できる程器用な奴がいれば、そいつに教えてやるさ。そうじゃないなら、なんにも知らないでおくのが責任も義務も生じなくて気楽ってものだぜ。文句がある奴には、魔法対策事案室(うち)の番号を教えてやればいい。これでもなお不満があれば、僕は士沢君から聴取を終えるまでこの会場にいるから、何でも言ってきなよ。ただし、相槌以上のものは渡せないけどね」

 駄目押しの様な言葉を残して出ていったラニスタを、誰も追わなかった。



 運営の業務に追われながら、美穂はむなしさに襲われていた。

 運営自体は、実にスムーズにいっていた。保護者からの問い合わせも殆どなく、危惧した混乱はまったく起きなかった。魔法省のお墨付きの効力は、それ程に大きい。それを、美穂も知らないではなかったが、自分が当事者になってみると、その疑いのなさにおどろいた。

 魔法、という概念が人間社会に根を張ってから日が浅い。未だ、魔法は実生活から程遠いところにあり、半ば専門学校の様な魔法学校で知識を身につけないことには、一生魔法について深く知ることはない。ちょうど、理系の学問分野を学ばなければ、周囲を囲む電算機や電気機器の仕組みをわからず過ごしてしまう様に。

 魔法省以上に、魔法について考えられる人間はいない。そういう認識から、美穂とて無縁に生きてきたわけではない。美穂は、様々な魔物被害について、魔法省の出す結論を無邪気に飲み込んできた自分を想起した。魔法学校に通っていながら、こうなのである。どうして、無関係の人を責められようか。

 ラニスタの報告を受けたとき、たしかに美穂は憤懣やるかたない思いであった。誰よりも直情径行な美穂が、ラニスタに食って掛かれなかったのは、ひとえにどうしようもない知識量と身分と器量との差が、美穂にとるべき武器を与えなかったからであった。しかし、こうして実際に瀕してみると、ラニスタの言ったことの正しさがよくわかる。よくわかるだけに、憤っていた自分が、何も出来ず、ただ動転して鎮められて、やることを与えてもらっただけの自分が、ひとしおに情けなく思えてしまうのであった。元々、美穂は自尊心の高い人間である。高校に入ってからの二年と少しの間、美穂を努力に駆り立てたのは、同級生に負けまいという自尊心であった。美穂の、超人的な体力と才徳によって支えられてきたこの自尊心に、今日おおきな罅が入った。

 また、美穂の自尊心を傷つけたものは、ラニスタだけではなかった。幸信という一年生が、自分の理解をはるかに上回る魔法を使い、美穂の目の前で、強大な魔物を退散せしめたことが、美穂の中で大いなる謎であり、しこりとして残っていた。

 透明な板の様な何かが宙へ浮き、魔物を歪みの中へ押し込み、歪みと同化して消え失せる。その光景を、何度も美穂は思い出し、解明しようとした。しかし、美穂の知る100を越える魔法を組み合わせても、あの光景を再現するには至らない。魔物に衝突して傷ひとつ負わない耐久性。巨大な魔物を押し込む推進力。そして一番の謎が、歪みを消し、自らも雲散霧消した、あの性質である。再現するには、決定的な何かが、二つも三つも美穂の知識には欠けていた。

 無力感に苛まれるのを、美穂の精神は無意識に嫌った。停滞が、精神の綻びを大きくしてしまい、やがて取り繕うことの出来ない程になってしまうことを、本能的に美穂は知っている。美穂は、探究心という荒縄で、自分の気分が泥沼に沈むのを防ごうとした。

 考えるに、あの魔法は学校で教えられる様な代物ではない。もし、三校のカリキュラムではあれが無名の一年生までもに教えているのだとしたら、もっと実力に格段の違いが現れているはずである。だいたい、あの魔法をともに目にした武一がおどろいていたのである。あの反応は、その線がないということを端的に示している。

 日中、美穂の胸中はその疑問でいっぱいにしてあった。すこしでも隙を空けると、虚脱が忍び寄ってくる気がした。途中、救護室へ行って幸信から直接聞き出そうとしたが、立ち入り自体を認められなかった。

 2日目のすべてのスケジュールが、少々押したものの無事こなされたのち、運営本部で美穂は、様子を見にきた生徒会顧問の吉本(よしもと) (かなめ)教諭を捕まえた。吉本教諭は、教員歴50年を数える、魔法教育界の生き字引の様な人である。

 「先生、尋ねたいことがあります」

 「おう、川邑。今日は変に応じてすばやく適切な運営、随分とご苦労なことだったな」

 美穂の面貌にただならぬ鬼気を感じた吉本教諭は、労をねぎらうことで美穂の問いかけをいったんかわした。

 「ありがとうございます」

 教諭にねぎらわれれば、生徒は礼を言わなくてはならない。なににつけても猛進しがちな美穂のあしらい方を、耳順の齢をとうに越えたこの教諭は心得ていた。

 「なんだ急に、尋ねたいことだなんて。あまり年寄りをおどかすものではないぞ」

 「すみません。ですが、どうしても。先生以外に尋ねられないことなんです。魔法のことです」

 「魔法のこと?」

 吉本教諭の疑問符が消える前に、美穂は自分の疑問を話し出した。

 話している間に、美穂は気分がどんどん高揚してくる。はじめはしずしずと見た光景を説明していたのに、話し終わる頃には、口角泡を飛ばし、激しい身振り手振りがついて、口吻はすっかり熱を帯びていた。

 吉本教諭は、すべてしずかに聞いた。

 「あんな高度な魔法が、一年生に使えるものでしょうか!?」

 そう結ぶと、吉本教諭は腕を組んで考えはじめた。

 「うーん、一年生『に』使える、と言うのか……一年生『にも』使える、と言うのか……何と言うこともできない気がしてならない。すまん。私にもどうも、わからない」

 「そんな……」

 「魔法は、一つの世界だ。他所の世界の一個人が、把握しきれるものではない。私の人生の中で様々な魔物、魔法を見てきたが、その中で確かにわかったと言えるものは、半分もなかった。実は、私も同じ様な魔法を見たことがあるのだよ。歪みを塞ぐ、透明な板を」

 「先生も、あれをご覧になったんですか?」

 「同じものかはわからんがな。二十年ほど前のことだ。だがこの歳になっても、結局わからん。しかしな、私にわからんでも、わかりそうな者がうちの学校には一人いるだろう」

 「……グラバー教諭ですか」

 「魔法のことは魔物が一番。たしか、教員席にまだぼーっと坐っていたはずだ」

 グラバー教諭の名を、忘れていたわけではなかった。むしろ、真っ先に浮かんだ名前ではあったのだが、美穂にはぬぐい難い苦手意識があった。二校の生徒で、グラバー教諭を苦手に思わないのは、彼の説諭を受けて不登校をやめた冬河穣くらいなものである。美穂の持っている苦手意識は、元は月並みな、薄気味悪い外貌と奇妙な発音からくる、得体の知れなさを恐れるものだったが、穣を更生させたと聞いてからは、よりグラバー教諭を不気味に思う様になっていた。何を言っても通じなかった穣が、グラバー教諭と一度面談するや、態度を一変し、真面目とは言えないまでも毎日登校する様になり、しかもその所以を誰にも話さない。美穂は何度も、何の話をされたのかと尋ねたが、穣はその都度、話をそらして誤魔化した。

 「登校したい気分になる魔法でも使ったんじゃないか」

 いつか、大真面目に美穂は、そう瞭に言ったことがある。そんな馬鹿な、と瞭は否定したが、二人とも、その可能性を完全に打ち消すことはできなかった。

 ――とにかく、あの先生はわからない。

 何をされるか、いや、何をし得るのか。しかし最早美穂の疑問を解いてくれそうなのは、グラバー教諭のみとなってしまっていた。

 うってかわって浮かない足取りで、美穂は教員席へ向かった。

 夕暮れが赤く照らすスタジアムの、客席にはもう、人影は一つしかない。駆け寄ると、首から下を全く動かさず、顔だけが美穂へ向いた。

 「グラバー先生。ちょっと今、時間ありますか?」

 「いいよ、川邑美穂」

 人のことをフルネームで呼ぶ、その喋り方に、三年生になった今でも慣れない。ちょっと気後れした自分を心の裡で叱咤しながら、美穂は自分のみた魔法の話をした。

 「あんな魔法は、みたことがありませんし、聞いたことも、あれが何であるか推測することもできません。とにかく、想像を絶しています。吉本先生も、わからないと言っていました。あるいはグラバー教諭なら、何かご存知かと思いまして」

 美穂が話している間、グラバー教諭は眉一つ動かさないので、果たしてきちんと聞いていたかどうかもわからないが、とにかく持っている疑問を話し切った。すると、グラバー教諭は珍しく、疑問に対して応える以外の行動を取った。席を立ち上がって、こちらに背を向けたのである。たったそれだけ、グラバー教諭を知らない人なら普通の行動だろうと思うことだが、ツーと言えばカーと言う以外のことを何一つしてくれないグラバー教諭を知っている人からすれば、これをたいへんなことであると認識できるのであった。

 「先生……?」

 「川邑美穂。ちょっト長い話になる。しかも、全部聞いてもキっと、川邑美穂は要領を得ないと思う。そレでも、私の話を聞くか?」

 「聞かせてください、お願いします」

 即答主義が、美穂のモットーである。

 「うン。じゃあ話そう。川邑美穂の見た魔法は、川邑美穂の思っているとおり、魔法学校デ教えるレベルのものじゃない。ヒ常に高度な、おそらく魔法省にこれをきちんとリ解できる人は数える程しかいないだろう、そういう魔法ダ。次元が違う、と言うべきで、私ニはその魔法が何なのかすっきりわかるが、川邑美穂にはトても理解させてあげられない。圧倒的に、知識が足らない。ダから、教えてはあげられない。半可な、身にならナい知識をつけて、川邑美穂の様な将来有望な学生ヲ、分不相応な領域へ無防備に立ち入らせるわけにはいカないから。過ぎたる知識は、そのまま過ぎたル武器と言い換えることがデき、川邑美穂を殺傷するだろう。比喩じゃない。ホんとに私は、川邑美穂はこの魔法のためにシにかねないと思っているから、教えないんだ」

 要は、役者が不足だと言われているのである。美穂は、悔しさのあまり唇を強く噛み締めた。

 「そう絶望することはない。川邑美穂は、二校の最も優秀な生徒だロう。それはつマり、同世代で最も優秀な生徒の一人である、とイうことだ。その川邑美穂に教エられないことを、平凡な一年生が知っているわケがないだろう」

 「え?」

 「これだけは教えラれる。川邑美穂の見た魔法は、起動したノはその一年生だろうが、魔法陣を作り、与えたのハ別な者だ。間違いない。全身の突然の虚脱、心神喪失ハ、分不相応な魔法を使わされたものによくあらワれる症状だ。だから、その一年生に対して、川邑美穂が劣等感を抱くひツ要はない」

 ここまで言って、グラバー教諭はくるりと美穂を向き直った。ロマンスグレーの髪が夕陽に映えて、神秘的な雰囲気を醸し出している。

 「魔法というのを、人間はマだよく知らない。それは、知ることができないと言うべきで、土台が別世界ヲ一から理解しようという無理から生じた学問ナのだから、理解できないことを自然と思ワなくてはならない。それコそ、吉本要教諭の様に、半分も理解できればよい、とイう割り切りが必要だ。学校デ私の教えていることなぞ、ほんの一部を拡大シて三年間やっていルだけだ。真の極意とか、秘伝とか、そウいうものは全部、教えられないことなんだ。仕方ナいことなんだよ。ワたしだって、教えてあげられルならば教えてあげたいが、川邑美穂はまだ、ソれを受けられるところまでは進んでいなイ。進もう川邑美穂。私は、川邑美穂の随分先にいルが、随分先に進めば、キっと背を目で捉えるくらいはできる。その時、真の魔法というもノが何かを、ちょっとだけ明かしテあげる」

 「先生っ!」

 美穂は叫んだ。意味するところはない。ただ、心中から沸き起こる激情が、美穂に叫ばずにはおれなくさせたのである。美穂は、全身で感動していた。魔法という分野の奥深さを、優しく諭された気になっていた。そして、グラバー教諭をおよそ感情とか、人間味とかから無縁であると思い、内心で敬遠していた自分を恥じていた。激情は、いったんは叫びとなって美穂の体外へ排出()たが、すこし出てしまうともう留め処がなく、残りの激情はすべて、頬を涙となってつたった。

 「ご指導、ありがとうございました!身命を尽くして、修学に励みます。そして、いつか、先生の真のご指導を受けられる様になります!」

 「待っている。魔物の寿命は長イから、気長なんだ」

一礼して去って行った美穂を、ぴくりともせずグラバー教諭は見送った。完全に美穂の後姿が見えなくなってから、グラバー教諭は独りごちた。

 「川邑美穂はモう、まともな道を歩めないだろう。ハルファスのせいだ。どうかシて、償ってもらいたいものだ」

 沈む夕陽だけが、それを聞いていた。



(一旦終わり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ