Side3:第三十章
目を開けると、まず視界に見覚えのない白い天井が飛び込んできた。次いで、自分の身体全体を包みこむ柔らかな感触を認識し、士沢は自分がどこか知らない場所のベッドに寝かせられていることに気付いた。ここは何処だろうと疑問に思いながら、士沢は上体を起こしかけたが、それよりも早く、聞き覚えのある声がかかった。
「士沢くん、気が付きましたか!?」
ベッドの横の椅子から身を乗り出して、心配そうな表情を浮かべた竹森が、士沢の顔を覗き込んできた。士沢は驚き、上体を起こすのを止めて、寝たままの態勢で、顔だけ竹森のほうに向けて尋ねた。
「竹森、どうしてここに……というか、ここは何処なんだ?」
「競技場の医務室です。倒れてた士沢くんを、駆けつけた生徒会の方々がここまで運んできて下さったんです」
「そうか、俺、気を失って……」
士沢の頭の中に、最後に見た光景がフラッシュバックした。圧倒的な暴力に晒された士沢の周囲は災厄の痕跡を色濃く残していたものの、何とか魔物を退けることができた。その事実に一安心して、ほっと息をついた。そこで士沢の記憶は途切れていた。とりあえず、今自分がこうして無事にベッドで寝ていることから、再度あの魔物が出現したということは無さそうだが、まだ頭の整理が追いついていなかった。
士沢はゆっくりと身体を起こしたが、頭を上げた瞬間、軽く目眩がした。目をぎゅっと閉じてしばらくそれに耐えていると、竹森が心配そうに様子を伺ってきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、平気平気。起きたばっかだから、ちょっと頭が重いだけだ。……そうだ竹森、今何時か分かるか?」
「はい。えっと……13時5分、ですね」
「ってことは、5時間くらいか、俺が寝てたのは」
何の気なしに士沢は言ったが、横に座る竹森が震えた声で、士沢を見つめながら言った。
「私、すごく心配しました。このままずっと士沢くんが目覚めなかったらどうしようって。お医者さんは、過度の緊張によるものだからじきに起きると仰っていましたけど、それでも、私、怖かったんです……」
目に涙を浮かべる竹森の姿を見て、士沢は心が打たれる思いだった。同じ委員で話す機会が多かったとはいえ、出会ってからまだ二ヶ月しか経っていない士沢のことを、心の底からこんなにも心配してくれる竹森の優しさに、士沢はただ感謝するしかなかった。
「ありがとう、竹森。心配してくれたんだな」
「そんな、お礼なんて……。むしろ、私のほうが感謝しなくちゃいけません。あの時私は怯えるばかりで、士沢くんに頼ることしかできませんでした。でも、士沢くんは冷静で、それに勇敢で、皆を守ってくれました」
「そうか、俺、守れたんだな……」
呟いた士沢の言葉に、竹森が微笑を浮かべて頷いた。かつて、自分を守ってくれた魔法使いにはまだ程遠いが、それでも、自分の憧れに一歩近づけたような気がして、士沢の胸に熱いものがこみあげてくるのを感じた。
しばし、二人とも黙っていたが、突然竹森がハッとした表情で椅子から立ち上がった。
「そういえば、士沢くんが起きたこと、まだ報告してませんでした。ちょっと、行ってきますね。士沢くんは起きたばっかりだから、安静にしてて下さいね」
有無を言わさずそう告げた竹森は、ベッドを取り囲んでいるカーテンの外に出て行った。手持ち無沙汰になった士沢は、周りをきょろきょろと見回してみたが、後方の壁を除いた三方を白いカーテンに覆われている、何も変わり映えのない景色にすぐ飽きて、ベッドの上で仰向けになった。黙ってじっとしていると、自分が空腹だということに士沢は気が付いた。もう13時になるので当然だが、ずっと寝ていたし、起きてからは竹森と話していたので、空腹などとても意識していなかった。競技会期間中の昼食は全て用意された弁当だが、果たして自分が医務室を出た後でそれを食べられるかどうか、そしてもしそれが叶わなかった場合はどこで昼食を確保するかということを士沢はぼんやりと考え始めていた。
しかし、本格的に頭の中で昼食の算段を立てるよりも早く、カーテンの外から声が聞こえた。耳に入ってきたのは二つの声だったが、一つはすぐに竹森のものだと分かった。もう一つは全く知らない、男の声だった。竹森と誰かが会話をしているのだろうが、一体誰なのだろうと士沢が気になっていると、ややもしないうちに声が途切れ、それからカーテンが勢いよく開け放たれた。
「君が、士沢幸信くんで間違いないな?」
「は、はい」
立っていたのは、ネイビーのスーツを身に纏った、20代前半くらいの男だった。突然の出来事に士沢は驚いたが、それ以上に、現れた男の存在感に気圧されていた。まず圧倒されたのは、その身長の高さで、少なく見積もっても180センチはゆうに超えていた。髪の色は茶髪がかった黒だが、顔立ちは完全に欧米人のそれで、特にきらっと光る金の瞳が印象的だった。総じて、ハリウッド俳優ですと言われても信じてしまうような、住む世界が違うと一目で分かる人間がそこに居た。男は悠然と、ベッドの横の椅子に腰かけて名乗った。
「はじめまして。僕はラニスタ。今は魔法省の魔法事案対策室ってところの室長をやってる者だ」
「魔法省……!?」
ラニスタと名乗った男の肩書きでさらっと出てきた単語に、士沢は驚愕した。魔法省は、日本における魔法関連の出来事を一手に引き受ける国の行政機関で、あらゆる魔法使いは、この魔法省によって管理されていた。
「おいおい、驚くのはそこじゃないぜ? 士沢くん。魔法省に勤めている奴なんていうのは掃いて捨てるほどいるが、僕はそんじょそこらの役人とは格が違う、トップ中のトップだぜ。それがただの魔法学校の一年生の前に顔を見せてるんだ、驚くべき点はそこだぜ」
「は、はあ」
どうやら相当高位の役人らしいラニスタの言葉に対して、士沢は呆気にとられた返事をすることしかできなかった。その様子に、ラニスタはため息をわざとらしくついて続けた。
「僕がここまで言っても全くピンと来てないあたり、本当に君は何も知らないんだな。いいか、一年生とはいえ、魔法学校に通ってるんなら、最初に日本にやってきて、初代魔物教師として、そして今は魔法対策事案室室長として、魔法の発展に多大な功績を残し続けてる僕・ラニスタの名前くらい覚えとくべきだぜ?」
「すいませんでした……でも、最初に日本に、ってどういうことですか?」
謝罪しつつも、ラニスタの説明によく分からない所があったので、士沢は失礼ながらも尋ねてみた。幸い、それで更に機嫌が悪くなるということは無かったが、事もなげにラニスタが放った回答は予想外のものだった。
「そりゃ、決まってるだろ。僕が最初に日本に来た上級魔物、って意味だぜ」




