Side2:第二十九章
6時の鐘が自習室の利用時間の了わりを告げた。まだ、社会における火のイメージについて話していた穣はちょっと舌打ちをして話を止め、
「出よう。長くいると、司書がどやしにくる」
と言って継子を急かし、さっさと自習室を後にした。
校舎から出ようとしたところへ、後ろから声をかける人がいた。ちょっと前に聞いた声である。継子はすこし驚きながら振り向いたが、穣はすこし眉をひそめて、足を止めただけであった。
「野田さん!」
「こんばんわ、継子ちゃん。また逢えて何より」
「『また』も何も、3時間くらい前に別れたばかりだがな。再会するなら、3ヶ月ばかり間を置いてほしいものだ」
「どうやら、私達は縁深い様だね、冬河。早い再会を喜ぼうよ」
「白々しい。待ち受けていただろう。俺達より先に退室したお前が、どうして後ろから追ってくるんだ」
「相変わらず、目ざといことだなあ。許しなよ。私はお前じゃなく、継子ちゃんを待ってたんだから」
そう言いながら、祥菜は穣の冷視線から逃れる様に、さっと継子の隣へついた。校舎から出るところで、穣は喋っている二人を追い越して、先行した。
外へ出ると、まだすこし明るい。孟夏である。肌に、うっすら暑さを感じた穣は、長袖の制服をまくって半袖にしながら、後ろから聞こえる継子と祥菜との喋り声に耳を傾けた。
「イメージについて、教えてもらってたの?」
「はい。今日は、火について教えてもらいました。途中で自習室閉まっちゃいましたけど」
「私の無駄話のせいで、自習時間が正味3時間くらいしかなかったもんね。ごめんごめん」
「そんな。楽しかったですから。それに、野田さんと知り合いになれましたし」
「火のイメージ論ねー。それなら私、一個面白い話を持ってるよ。聞く?」
「是非!教えてください!」
「火ってさあ、イメージとしては『破壊』とか、『消失』っていうのを思い浮かべがちでしょ?」
「はい。間違いでしょうか」
「いや、あってるよ。実際、火って怖いもんね。世に、火傷したことない人はいないし、火事の恐怖を風聞でも知らないなんて人もいない。人は日常、火を凶器として触れ合っているから、火をイメージすると、どうしてもそういう方向へ引っ張られちゃう。だけども、それは火のわかりやすい一面にすぎない。火のイメージとして、『破壊』や『消失』といったものは完全じゃない。そういう人は、往古、人類は火によって育まれ、現代に至るまでの歴史を歩んだんだってことをすっかり忘れちゃっているよ。人類の三大発明は、車輪とねじと、そして火だった。火は、人間にとって大いなる『破壊』ではあったけども、同時に大いなる『創造』でもあった。毒があって食べられないものが、火によって消毒される。鬱蒼と茂る雑草が、燃えて肥料になる。『もえる』という言葉は、植物が芽吹くことも言うでしょ?人が火葬をはじめた理由は、たぶん色々説があるんだろうけども、私は、燃えた植物が肥料となって新芽を育む様から輪廻転生を思い浮かべて、新たな肉体に生まれ変われる様に、っていう意味だと思う。つまり、火は『生命』であり、『活性』なんだ。その真逆が、水だね。両者は、関連付けてイメージを持った方がいい。水は生命維持に絶対に必要だけども、同時に人を殺す。水に対する『柔和』『沈静』という一般的なイメージもまた、一面を捉えたものに過ぎないってことだね。いつでも、火事の被害よりも、水害によって死ぬ人の方が多い。敢えて言えば、人は火を従わせて文明を作ったけども、常に水に従わされてきた。一般的なイメージでは、火が『獣性』で水が『理性』という風におきがちだけども、これはまるで逆だよ。人は、というより生物は、火なんてなくても生きていける。火を生むのは人の理性であり、文化だ。いっぽう、あらゆる生命は水なくしては存続し得ない。水を求める心は本能であり、水の前にあってはいつの時代も、人間はそこらのけだものと変わらない、被支配者なんだよ。水の支配の下で人間の一生は送られなければならない。ここまで考えを進めると、おのずと新たなイメージがわいてくるでしょ?つまり、火は『活性』であり、『知恵』であり、『文化』だ。水は、『高貴』であり、『欲求』であり、『自然』。どう?冬河と言ってること被ってないかな。新たな勉強になってる?」
「はい!すごいです。冬河くんと言ってることはぜんぜん違うのに、全然別の方向で、ものすごく考えを進めてる。イメージって、こんなに広いものだったんですね。こんなに広く、細かく万事を捉えていけるなんて……」
「冬河はなんて言ってたの?」
「似てましたが、火は『変質』であり『転機』だと。あと、『照明』であることも忘れるなって、教わりました」
「まあ、野田女史のご高説に比べれば、ずいぶんと浅薄な論だがな」
自分の言論が会話の俎上に上がったので、穣は振り返って言った。
「いやいや。簡明でわかりやすくて、イメージとしてつかみやすいところが良いよ。相変わらず、要点をまとめた優等生的イメージが得意だな、とは思ったけどね」
皮肉めいた自虐に対して、真っ向から皮肉を打ち返せるのが、祥菜の神経の太さである。このやり取りに慣れていない継子は、ちょっと穣の色を伺い、眉根に曇りのないことを確認し、心中安堵の息を吐いた。
大通りに出ると、もう退勤する会社員達が混雑を成している。雑踏をかいくぐりながら、駅前に出た。継子は地下鉄で通学しているので、ここでわかれることになる。
「じゃあ、また明日」
と言って人並みに消えようとした継子を、穣は呼び止めた。
「明日は、最初から自習室で集合だ」
「え?」
「競技会なんて、観るだけ損だからな。今日わかったろう。お前が学ぶべきことは山程ある。開門時刻は8時だ」
継子は否といえる身ではない。
「うん、わかった……ところで、明日は野田さんは来るんですか?」
「いやあ、明日は行かない。観なきゃいけない競技があってね。友達が晴れの舞台に上るものだから。あと、敬語はやめてよ。冬河には使ってないんだから。距離感じちゃうよ?」
「ご、ごめんなさい……じゃなくて、ごめんね、野田さん」
「野田『さん』っていうのも、ちょっとくすぐったいけど、まあいいか。じゃあまたね、継子ちゃん」
「うん、じゃあね。冬河くんも、また明日」
そう言って、継子は穣にちいさく手を振ったが、穣は目礼したのみであった。継子の後姿が完全に見えなくなるまで穣と祥菜は見送った。
そのあと穣は、徒歩通学の祥菜が去るのまで見送ってから、ようやく改札をくぐった。




