Side3:第二十七章
都心の繁華街の中にありながら自然を色濃く残す公園には、必要最低限にしか電灯が設置されておらず、辺りは静寂な暗がりに包まれていた。士沢は視線の先に広がるその闇に溶け込んでしまいそうなほど弱々しい声で、隣に腰掛ける女に、自らの心を暗くしているものを打ち明けた。自分には昔からの親友がいること。その親友と自分にはとてつもない能力の差があったという事実に直面したこと。そして、なぜ、いつから、それほどの差が開いてしまったのかが分からないということ。
「なるほど。つまり、君には力が必要なんだな」
「え?」
話を聞き終えて、女があっさりと事もなげに言い放ったので、士沢は呆気にとられて聞き返す他なかった。
「だってそうだろう。君と君の親友の間には厳然たる能力の差がある、と君は言った。それならばやるべきことはただ一つ、君がその彼に追いつくほどの力を得てその差を埋めることだ」
「……」
己の論に間違いはない、と言わんばかりの表情をした女を見て、士沢は怪訝な顔になった。この人は本当に自分の話を聞いていたのだろうか。士沢はいま、士沢と古折の間に差が生じたことと、その差を士沢が認識できなかったことの理由が分からないということで悩んでいると、先ほど確かに言ったはずなのに、女の言葉はそこをまるで無視していた。
「問題はそこじゃない、と言いたげだな」
士沢がにわかに反論の気を帯びだしたのを見て、制するように女は言った。しなやかな指を立てて、女は言い聞かせるように続けた。
「良いか。君は一つ勘違いをしている。君がさっき、一番の悩みのように話した疑問は、いくら考えようが答えは出ないし、答えを出すことに意味はない」
「意味が……ない?」
「そう。意味がない問いだ。もし仮に、君と君の親友に差がついた要因が判明したとして、それを知ってどうする? 時間でも遡るか? 言っておくが、君が学んでいる魔法は、そんな万能なものではないよ。さっきも言ったが、悩むということは止まるということだ。後に戻れないのなら、君の悩みを晴らすためには前に進むしかない」
それまでひたすら終わりのない放浪を続けていた士沢の前に、新しく道が生まれた。そして、その道こそが自らの心の靄を消すことに繋がっていると、女は告げていた。少しばかり心が軽くなった士沢が、女の言葉を反芻していると、一つ引っかかりを覚えるところがあった。
「あの、すいません」
「どうした?」
「なんで俺が魔法を学んでいるってこと、知っているんですか」
「ああ、それなら簡単なことだ」
女は、士沢の着ている制服の胸ポケットを指さした。そこには小さく、第三魔法学校の校章がプリントされていた。
「それ、魔法学校の制服だろう。それに、こんな時間に手ぶらでこの辺りを歩いている学生なんて、近くに宿をとっている三校の生徒ぐらいのものだ」
隠し切れない驚きが、士沢の顔に表れていた。女の推論は見事に当たっていたが、その推論を導き出すためには、三校の校章のデザインと、いまが競技会の期間中で、この近辺に三校が宿泊していることを知っていなければならなかった。
「かなり、詳しいんですね。あなたはいったい……?」
「私が誰か、ということはひとまず置いておくとして、話を戻そう。君には力が必要だ。君の親友を打ち負かせるだけの力が」
「いやいやいや、ええっ」
急に話が大きくなったので、士沢は思わず突っ込みをいれた。自分の成長によって悩みが解決されるという理屈には納得していたが、自分と古折との実力の差についてずっと考えてきた士沢にとって、女の言った目標は絵空事のように感じられた。
「無理だと思ったか? でも君は、直接的ではないにしろ、その親友にコテンパンに打ち負かされたからこそ心底から衝撃を受け、悩み続けていたのだろう? それならば、君がやり返すまで、悩みから真に解放されたとは言えないよ」
「そう、ですか」
新たな道の遠く険しいことを示されて、士沢にはそれしか返す言葉はなかった。無理でもやるしかないのか、という絶望感が頭の中を覆いはじめた。
「その顔を見るに、君はまた勘違いをしているな」
「えっ?」
「もちろん、君がそこに至るまでの力を得ることは簡単とは言えない。もし今の君と同じような問題に直面した人間がいるとして、その人間が諦めてしまう可能性も充分にあるくらい、難しいことだ」
「それなら……!」
「だが君は、この点において途轍もなく幸運だ。今夜私とここで出会っていたのは天祐と言ってもいい」
女は腕を広げて、堂々と言い放った。まるで商人が客に物を売りつけるような口ぶりだが、士沢は引き込まれるように、息をのんで女の次の言葉を待った。
「私が直々に、君に魔法を教えてやろう」
思ってもみなかった提案に、士沢はすぐに意思表示をすることができなかった。視線は女を見つめたまま、士沢の頭の中は慌ただしく動いていた。女のこれまでの言動をすべて信じるのなら、かなり魔法の分野に精通しているように思えたが、先ほど会ったばかりの人間に対してここまで親身になることがあるだろうか、という疑問が脳裏に浮かんでいた。警戒するように、士沢は女に尋ねた。
「その、それはいつまで?」
「当然、君の悩みが晴れるまでだ」
「でも俺、多分知っていると思いますけど、明後日には島に戻るんですよ。そんな短い間で、どうにかなるんですか」
「簡単ではない、と言っただろう。それは無理だ」
「じゃあそれなら結局出来ないってことじゃないですか!」
「問題ない。私が君の家に一緒に住むから」
「えええっ!?」
重ねた問いの果てにとんでもない発言が飛び出したので、士沢は今日一番大きな声を上げて驚いた。
「実は今、訳あって、私の隠れ家になる場所を探しているんだ。君が私の提案を受けてくれるのなら、君は私から魔法を教わることができるし、私は当面の宿を確保することができる。こういうのをWin-Winの関係と言ったりするのだろう」
「そんなこと……」
「すぐには決められない、か。まあ、当たり前だろうな。競技会の期間中はこの辺りにいるから、その気になったらまたここに来てくれ。今日はもう遅い。消灯時間も決められているのだろうし、さっさと帰ったほうが良いな」
時計を見ると、消灯時間までは残り三十分ほどになっていた。これならば、今からホテルに戻っても間に合う時間だった。士沢はベンチから立ちあがり、座ったままの女に頭を下げた。
「あの、今日は悩みを聞いてくれてありがとうございました」
「何、構わない。……ああ、そういえば一つ、言い忘れていたことがあった」
「なんですか?」
「さっき、私にはちょっと事情があると言っただろう? そのことなんだが、どれだけ君が信用している相手でも、他者に今日の出来事を話さないでほしい」
「わ、分かりました」
「約束してくれるか。それなら、今日ここで会ったのも何かの縁だ、私からプレゼントをあげよう。少し待っててくれ」
そう言って、女は胸元のポケットから白紙のカードとペンを取り出し、何事かをカードに書いて士沢のほうに寄越した。
「これは……魔法陣?」
いったいどんなものなのか内容は分からないが、女が渡してきたカードに書かれていたのは、確かに円の中に複数の奇怪な文字が書かれた、見慣れた図だった。どんな魔法を表すのか、と尋ねようとした士沢を遮るように女は言った。
「さあ、今日はもう帰って寝ると良い」
言外に有無を言わせぬ圧力を感じた士沢は、もう一度頭を下げて、公園の出口に向かって歩き出した。途中何度か振り返ったが、見えなくなるまで女はずっとベンチに座ったままだった。




