Side1:第二十四章
平日早朝の公共交通の混み方は、尋常なものではない。国立第一魔法学校に入学して以来、寮から校舎までのわずかな距離を毎朝歩いていたが、電車通学というものとは無縁に過ごしてきた。そのせいもあってか、たまに混雑した電車に乗ると、本当に堪える。
六月第二週の木曜日。何の変哲もないただの平日に、俺は満員電車に揺られて都心方向を目指していた。駅に停車しわずかに人混みが緩んだ隙に腕時計を確認する。どうやら集合の八時半には間に合うだろう。
都内でも有数の規模を誇る巨大スタジアムを借り切って三日間に渡って行われる、三校合同の魔法競技会。その開幕はいよいよ明日に迫っていた。俺を含む生徒会役員は前日からその準備にあたるべく、今日は授業を免除されている。クラスの人間が田辺に対し羨ましいだのと言うのを昨日見かけたが、はっきり言って授業に出る方がよっぽど楽だと思う。その中の一人が俺にもいいなあなどと言ってきたので、代わるかと尋ねたら慌てて謝られた。そんなに不機嫌だっただろうか。
同時刻、同じ電車の中。
混雑した車内に並んで立つ兄妹がいた。兄の方を田辺省吾、妹の方を田辺香子という。
「お兄ちゃん、昨日も言ったけど、くれぐれも内藤くんに変なこと言わないでね」
「わかったってば。しかしそんなに恥ずかしいかなあ」
「恥ずかしいよ! 恥ずかしいというか、なんというか心の準備が必要だよ……」
「準備してくればよかったのに……」
「そういう問題じゃないの!」
「わかったってば……あ、次だね」
「……一緒に行ったらばれるかな」
「ばれるかもね。僕は困らないけど」
「……私、一つ先の駅まで乗ってくね。どっち使っても着く時間はそんなに変わらなかったはずだから」
「あそう。じゃ、僕は降りるから。じゃあまた後でね」
「うん」
香子は小さく手を振った。
「年頃の女の子はわからないねえ……。あ、あれはもしかして」
見送られて電車を降りた省吾は、前方に渦中の少年の姿を見つけた。
そんなわけで、俺は電車から吐き出されるように降り、スタジアムに向けて歩く。駅を出てすぐにその姿は目に入ってきたので、迷うことはなさそうだ。事前に調べた時も、徒歩五分と書かれていた。時刻は八時十五分。余裕だ。
スタジアムの前で集合、と聞かされている。人影を探しながら歩くと、すぐに数人の集団が見つかった。顔が見て取れたのは藤宮会長、川邑会長、大山先輩の三人。
ちなみに三校は距離が遠いため、午後から合流する手筈になっている。
と、不意に後ろから肩を叩かれた。驚いて勢い良く振り返ると、頬に何かが軽く刺さる。
「……何するんですか、田辺先輩」
「やあおはよう、内藤君。いやなに、なんとなくね、うん」
田辺先輩は俺の横に並んで歩き始める。前方の集団もこちらに気づいたようだ。
「なんとなくって……びっくりしましたよ」
「や、ごめんごめん」
「別にいいっすけど……」
そんな会話をしながら合流。
「おはよう、たーくん。時間厳守で偉いわね」
「おはようございます、会長、皆さん。今日はよろしくお願いします」
田辺先輩も挨拶をしているようだ。大山先輩に軽くあしらわれている。
「あとは加藤先輩と田辺、ですか」
「そうね、加藤君は少し遅れるかもって。電車が遅延したって連絡が入ったわ」
「え、加藤先輩って寮ですよね……俺も危なかったな。田辺は……?」
「そろそろ来るんじゃないかな」
不意に田辺先輩がそんなことを言った。思わず聞き返すと、
「あ、いやいや、なんでもない。そろそろ十分前だし、そろそろ来るんじゃないかなーってだけだよ。全然、何にもないから。ちょっと思っただけでさ、うん。……あ、ほら、あれじゃない?」
指差す方を見ると、田辺が歩いて来るのが見えた。どうやら俺が降りたのとは違う駅を使ったようで、俺と田辺先輩が歩いてきたのとは逆側からやってきた。
その後集合時間ぎりぎりに小走りの加藤先輩とやや遅れ気味の五井先輩が現れ、俺たちはいよいよスタジアムの中に入った。
大会本部となる建物内の部屋に全員が集合し、打ち合わせが始まる。
「改めて、皆さんおはようございます。早朝からありがとう。今日から四日間、どうぞよろしくお願いします」
そんな藤宮会長の挨拶に始まり、全体の予定の確認と連絡用無線機の配布がされ、各グループに分かれて準備を始める。
「魔法学校なのに、無線使うんっすね」
「なんだかんだ無線が便利なんだよ、こういう時は。魔法で何とかできなくもないけど、いちいち面倒だろう?」
田辺先輩について、無線機をいじりながら自分たちの持ち場に向かう。
グループわけは、前回の顔合わせ時にくじ引きで決められたものだ。俺、田辺先輩、三校の一年生の古折の三人は、生徒スタッフの指揮をとるのが仕事。今日はスタッフ受付やスタッフ証の準備などが主な仕事になる。
折りたたみ式の机を出してきたり、届いた荷物を開梱したりと、二人で忙しく作業する。大きな荷物やなんかは、今日ここに搬入されるように手配してあるのだ。
キャスター付きの折りたたみ机を押していると、両手にパイプ椅子を抱えた田辺先輩が話しかけてきた。
「そういえば内藤君って、きょう――田辺さんとクラスも同じなんだっけ?」
「そうですよ」
「そうか……」
それきり田辺先輩が黙ってしまいそうだったので、一応聞いてみる。
「えと、なんか、どうかしました?」
「いやいや、なんでもないよー。ちょっと気になっただけさ」
「そうっすか……」
微妙な沈黙が降りてしまう。
「二校の生徒会って、男は田辺先輩だけ、ですよね?」
「そうだね、もう慣れちゃったけど」
「慣れるまでとかつらくなかったですか、それ」
「多少はねー。でも、もともと知り合いだった人ばかりだし、そうでもなかったかな……っと」
田辺先輩が椅子を抱え直す。それと時を同じくして、無線がピッと鳴る。誰かが通信を入れたのだ。
――用具担当の大山です。荷物が多数届いたので、応援をお願いします。以上。
田辺先輩はよいしょ、と椅子を壁に立て掛けると、無線機のスイッチに手をかけ、
「スタッフ係了解ー」
と言って、再び椅子を抱え直した。
「さて、さっさと運んで手伝いに行こうか。大山さんは怒らせると怖いし長い」
「長いんですか……それは困るな」
そんなことを言い合いながら、歩調を早めた。
「よし、これで割り振りは完了だな。じゃあそれぞれの担当で、運んでおいてくれ」
台車の上に山盛りに積まれた荷物を見遣りながら川邑会長に返事をする。
「うむ、では解散! 次は昼休憩だな」
川邑会長の号令で台車に手を掛けたところで、後ろから呼び止められた。
「内藤くん!」
「ん? どうした、田辺」
「あの、ちょっといいかな。話があるんだけど。ちょっとこっち来てもらえない?」
「え、ああ、いいけど……」
「じゃあこれは僕が運んでおくから、話が終わったら来てね、内藤君」
「あっ、すみません田辺先輩、ありがとうございます……それで田辺、話って」
「ちょっとこっち来てって」
なんだかピリピリした様子で、俺を廊下に連れ出す田辺。いったいどうしたというのか。
「あのね、二校の、田辺さんのことなんだけど」
「田辺先輩?」
「そう。あのね、あの人、私のこと何か言うかもしれないけど、多分適当に言ってるだけだから、聞き流してね、って」
「お前のこと? ああ、そういえばさっきもなんか言ってたなあ」
「なんて!?」
身を乗り出して田辺が尋ねる。
「いや、そんなたいしたことじゃねえって。同じクラスなんだっけー、って。……あれ、そういえば何で知ってたんだろうそのこと。誰か言ったのかな」
「な、内藤くん! きっと会長さんあたりが言ったんだよ! だから全然怪しくないよ!」
「……何を怪しむんだよ」
「そ、それは……とにかくそういうことだからよろしくね!」
じゃあ私戻らなきゃ、と言うと田辺は脱兎の勢いで走り去っていった。
よくわからないが、そういうことなのだそうだ。俺も持ち場に戻らなくては。




