Side1:第二十三章
午前七時半。朝食に間に合うようにセットしたアラームが鳴る。手探りで枕元の携帯端末を操作し、音が消えたのに安心して再び布団の温もりに身を任せようと息を吐いた。
が、
「将! 朝ごはん食べられなくなるよー!」
芳樹の声に、う、うわっ! などと情けない声をあげながら俺は目を開けた。
声の主と目が合う。
「おはよう、将」
「おはようじゃねえ、いやおはようなんだが、なんだってわざわざ梯子登って俺の耳元で叫んだんだお前は!」
「いや、だって、放っといたら将また寝ちゃいそうな気がして」
「いいじゃねえか、今日は日曜日だぞ……」
「……将、昨日自分がなんて言ったかもう忘れたの?」
「昨日……ああ、アレね、アレか。うん」
うんうんと頷いて見せる。
「あ、覚えてた? よかった――」
「ああ、全く覚えてねえ。おやすみ」
がば、と布団を頭までかぶって二度寝の姿勢を整えようとするも、返す刀で布団をひっぺがされる。芳樹がこんなことをするとは思っていなかったので、今朝起きて二度目のびっくり顔を晒してしまう。
「あーーーーーもう! なんで覚えてないのさ!」
「え!? そんなにキレるようなことなのか!?」
「キレるようなことだよ!」
「え、マジ? ちょ、ちょっと待てちょっと……今思い出すから」
喋っているうちにだんだんと意識が覚醒してきた。ええと昨日は確か夕方まで生徒会で作業をして帰ってきて、確かに芳樹と何かを話していた気がする。なんだったか――
「あ、思い出した。そうだ本屋行くんじゃん今日」
「そうだよ! まったく、なんで忘れちゃうんだよ」
「いや、それは悪かったけどさ。だけどなんでそれでそんなにキレるんだよ……時間とか決めてたわけでもないから、遅刻したとか、思いっきりすっぽかしたとかでもないんだし……」
「忘れられてたら怒るよそりゃ!」
「け、けどそんな朝から叫ぶなよ……お前はあれか、俺の彼女か何かか! 彼女いたことねえけど!」
「う、うるさい!」
そういうと芳樹の頭がベッドの柵の下にひょいと引っ込んだ。
「とにかく朝ごはん! 先行ってるからね!」
最後まで芳樹は叫んでいた。
ドアが音を立てて閉じ、部屋に一人残される。それにしてもあいつ、こんなに叫んだりするような奴だっただろうか……。どういう風の吹き回しだろう。
それだけ今日出かけるのが楽しみだったということだろうか。
「いや、それこそ彼女かよってな……」
彼女いたことねえけど、と心の中で付け足しながら、俺は着替えて朝食をとるべくベッドを降りた。
学生の街となったとはいえ、八王子にも大型商業施設くらいはある。都心から離れている故に土地も安く、施設は軒並み大きい。その中の一つに、芳樹がよく行く書店があるのだという。
毎月最低一度は、数学の雑誌を買うために訪れるのだそうだ。
「毎月買うなら定期購読とかすればいいじゃん」
「毎月同じのを買うとは限らないんだよ。今月はこっちのにしよう、とかあるし。だから来てざっと見て選ぶの」
「なるほどねえ」
「それに本屋って、いろいろ見て回るの楽しいじゃん?」
「そうなのか。あんまりその経験がないなあ……」
「そうなの? でも一時期いっぱい読んでたって言ってたよね」
「ああ、だけどその時はほら、入院してたから。親に適当なのを見繕って買って来てもらうか、ネットで注文するかだったな」
「そっか、じゃああんまり本屋で時間つぶし、とかはやったことないんだ」
「そうだな。てか時間つぶしに使えるのか、本屋」
「うん。流行りの平積みされてる本をぱらぱら見てみたり、棚をずっと眺めてみたりするのは結構楽しいよ」
「なるほどねえ……」
などと話しながら歩くことしばし。駅前の商業施設にある、大型書店にたどり着く。チェーンの有名な書店で、今日もそこそこの人出だ。
「日曜の午前からまあ、皆さん熱心だね……」
「人のこと言えないよ僕たち」
「いや俺は午後でもよかったんだぞ。寝たいし」
「だって午前に買って午後に読まないと勿体無いじゃない」
「本は腐らねえし逃げねえよ」
芳樹はまず雑誌を確認するとのことなので、一度別れて俺は文庫本の棚へ。
映画化するヒット本や有名な作家の新作が平積みされているのをぼんやり眺めつつ、確かにいい暇つぶしになるかもしれない。
数学雑誌を選び終えた芳樹が戻って来て、一緒に文庫本だけでなくハードカバーのコーナーも巡る。俺の希望により、実用書よりは小説などのコーナーを中心に見て回る。
流石にしょっちゅう本屋に来ているだけあって、芳樹は最近の本にも大分詳しかった。映画化が予定されていたり、ドラマ化されたりしたものがやはり推されているのだが、なんとなくそういうものには手が伸びなかった。
結果、ずいぶん昔に出版されて文庫化されたミステリー小説を選んだ。同じ作者のものをまとめて五冊。過去にこの作者のものを読んだことがあって印象に残っていたことと、文庫なら収納にも困らないと思ったことがその主な理由だ。
文庫本と言えど、袋に入れて手に持つと流石にずっしり来る。独特な喜びをその重さから感じながら、帰路についた。朝早く出て来たというのに、もう昼だ。
「なるほど、本屋は時間つぶせるな」
「でしょ?」
「ああ。ちょうど腹が減る時間だ」
「どこかで食べて帰る?」
「それがいいだろ。どうすっか、どこか行きたいところとかあるか?」
「んー、そうだなあ……あ、そう言えばこっちの方に新しくラーメン屋ができたってクラスの友達が言ってた気がするな」
「お、いいじゃん。じゃあそこ行ってみようぜ。何て店だ?」
「えっとね――」
ラーメンで腹を満たし、帰宅したのが午後二時前。ラーメン屋が混雑していたため、思っていたより遅い時間になった。
「よっしゃ、さっそく読むとしようか」
「うん。ほらね? 買ったら読みたくなるじゃない。午前に行って午後に読むのが正解でしょ?」
「悔しいが認めよう……あれお前、何やってるんだ」
芳樹は雑誌を机に置いて、通学に使うカバンから紙とペンを取り出していた。
「何って、書くものを用意しないと。全部暗算でなんて僕には無理だからね」
「そ、そうか、それは大変だな……」
なるほど数学雑誌である。さぞ頭を使いながら読まねばならないのだろう。
雑誌を広げる芳樹を尻目に、俺も自分の本に取り掛かる。さて、どれから読むか……。
午前七時。アラームが鳴る。手探りで枕元の携帯端末を操作し、音が聞こえなくなったことに安心して二度寝へと……。
「将、遅刻するよー」
流石に今朝は枕元での大声ではなかったが、芳樹が声をかけて来る。やはり機を逸して三冊目を読み切るまで寝られなかったのが祟ったのだろう、ものすごく眠い。
「早起きだなお前は……」
「将より早く寝たしね。おはよう、将」
「ああ……おはよう、芳樹」




