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Side2:第十九章 -渕原幸-

 幸が登校してから5分位して、ふたたび生徒会室の扉が開いた。

 「おはよーう」

 「おはようございます」

 田辺省吾と吉沢佳奈であった。この二人の登校時刻も、いつも変わらない。

 「おはようございます」

 廊下に響いていた足音から、二人が間近まで来ていることを知っていた幸は、起立して待ちうけて挨拶した。

 「おー、おはよう渕原」

 「おはよう、渕原さん」

 先輩ではあるが、二人はきちんと立ち止まって幸へ挨拶を返した。二校の生徒会役員は全員がそうする。美穂が定めた不文律で、誰からのどんな挨拶であれ、全校生徒の軌範たる生徒会役員は誠意をもって返さねばならぬ。挨拶の徹底は、美穂が生徒会長選挙の立候補者演説で述べたことであった。

 この二人は、毎日二人で連れ立って登校してくる。その所以を、幸は尋ねたことがなかった。美穂も瞭も、それについて言ったことがない。なんとなく触れ難いこととして、幸は気にとめないことにしていた。

 省吾が坐るまで、幸は立ったまま待っていた。それは、先輩後輩の礼儀もあるが、それよりも、省吾の席が幸と美穂との間にあるからであった。隣同士の者が一度に着席しようとすると、そう広くない机の下のスペースで、足なり互いの椅子なりがぶつかってしまうおそれがあった。幸は、省吾が坐ってしまって、鞄を机に置いてごそごそやり始めてから、ようやく席へ着いた。

 「そうそう、ちょうど渕原にわたさないといけない書類(かみ)があったんだった」

 そう言って、省吾はファイリングされた書類を幸へ渡した。

 「今日中に目を通しておいてね」

 「わかりました」

 「いやあ、渕原は朝が早くて助かるよ。なんかあった時に、すぐ頼める。輝近が相手だと、こうはいかないからなあ。朝、辛くない?」

 「早起きが、辛くない性分なんです。それに、川邑先輩達の方が早いですし」

 「偉いなあ。良く出来すぎ。僕なんて、さっき来たのに今もう眠いよ」

 眠い、と口に出して言ったために眠さを意識してしまって、省吾は大きな欠伸をひとつした。

 「特に、今日は眠い。夜が遅かったせいだな」

 「何か、していたんですか」

 「友達と電話してたら、長くなっちゃってね。寝たのは2時頃だよ」

 「長電話で夜更かしなんて、女子みたいで気持ち悪いです」

 突然、省吾と幸とのなんでもない会話に、暴言が挟まってきた。声の主は、瞭であった。いつの間にか、手許の書類から目をあげて、省吾へ冷たい視線を向けている。

 「ちょっと引きました」

 「いやいや、何も気持ち悪いことないって。男子が長電話した位でそんな」

 「話したいことがあったら、翌日の夜中じゃない時間に逢って話せば良いじゃないですか。今すぐにずっと話したい、という気持ちが、女々しくて気持ち悪いです」

 「そりゃあ、同じ学校に通っているんなら、僕だってそうするさ。けど、なかなか逢えない、遠くの友達だったから、つい懐かしさもあって、話が弾んじゃったんだよ」

 「……」

 省吾の弁明の途中で、瞭はもう書類仕事へ戻っていた。

 「もう興味ないかー。早いなー。僕への興味を失うのが早いよ大山さんは」

 省吾は、一方的に攻撃され、一方的に会話を投げられた形になったが、この部屋にいる誰もが、省吾を憐れんだり、瞭を勝手に思ったりはしなかった。A組の生徒間の交わりは、殆ど移動がないために濃い。今の会話が、平時真面目一徹な瞭が省吾に対してだけみせる戯れであり、それを省吾も嫌に思っていないことを、みんな知っていた。

 省吾が仕事をしだすと、生徒会室はまた静かになった。次に静謐が破られるのは、20分後、五井輝近が登校してからである。



 昼休み、幸は昼食をとる前に図書館へ行った。6月に控える競技会関連で、調べておきたいことがあったのである。

 図書館は一階にある。蔵書の数は、三つの魔法学校の内で一番少ない。と言うのも、二校の図書館は伝統的に、学術書の充実は随一だが、娯楽本を全くと言ってよい程棚にいれない。あらゆる学問分野の本は揃っているが、それ以外は毎朝の新聞しかないのである。時折、小説や新書を入れろという運動が生徒間に起きることがあったが、必ずそれは大きなものにならなかった。図書館が第一校舎にあるため、利用者がA組の生徒だけだったからである。彼らの殆どは学校を学習の場であると弁えていたため、そういう気を起こしても、どうしても強く言い募ることができなかった。娯楽を求める者の方が多い第二校舎には、そもそも図書館がなかった。

 幸は、化学の棚から一冊と、地学の棚から二、三冊の本をとって、なおめぼしい本がないか、5分程ぶらぶらみてまわった。地学の棚は、一番の隅の棚である。地学の棚を見終わった幸は、自習スペースのすぐ後ろにいることに気づいた。

 自習スペースの机で調べてしまおう、と思った幸は、空いている席を探した。すると、奥の方の机に、良く知っている人の貌を認めた。その隣は、空いている様である。

 つかつかと、そこへ歩み寄ると、十歩の距離で、その人は幸に気づき、貌をあげた

 「自習か、冬河」

 穣が誰かと逢って、先に口を開くことなど殆どない。自然と、幸の方が声をかけた。

 「まあ、そんなところだ」

 穣は、長机を大きく使い、魔法学の本を二冊広げて、ノートに書き取りをしていた。さらに広げていない本が四冊積まれている。

 「本当に自習をしてる様だな。しかも、魔法学。いよいよ、学生の本分は勉学だと思い出したか」

 何気ない風に幸は言ったが、内心には高揚するものを感じていた。この優秀な友人が、学校へきちんと通いだしただけでなく、積極的に勉強を始めれば、あっという間にA組へ返り咲くであろうことは、幸でなくとも、穣を知る人間なら誰しも想到できた。

 入学から、夏休み明けのテストまで、冬河穣成績上位者名簿の一番先頭は、常に冬河穣であった。それが、渕原幸へ書き換わってから、半年程が経つ。今のA組に、幸の「敵」がいないわけではなかった。入学以来、コンスタントに上位の成績を取っている榛沢周平(はるさわしゅうへい)や、四月の年度始めのテストで突然幸と4点差の二位につけてみせた新沼政行(にいぬままさゆき)など、競いあう相手には事欠いていない。しかし、幸は彼らに既に勝利を得てしまっていた。幸は今、「追われる者」であった。幸にとって、「追う」相手は、穣以外に求められなかった。幸が穣をどうにか学校に戻したかったのは、勿論友情からのお節介からでもあったが、勝手にレースから降りられたままではとてもおさまらない、という思いが全く無かったのではなかった。

 「お前が勉強をやり始めるとなると、私もうかうかしていられないな」

 「そう警戒するな、渕原。俺はただちょっと必要に迫られて、昔の範囲を学び直しているだけだよ」

 見ろ、と言って穣が差し出したノートには、確かに一年度の範囲の魔方陣と詠唱呪文が書いてあった。

 「まあ、いつまでもあっちへいるつもりもないけどな」

 「そうだろう。だからこそ、うかうかしていられないんだ」

 幸は、穣の隣へ坐った。そしてそのまま、昼休みの了わりまでそこでとってきた本を読んだ。

 予鈴とともに図書館を出ると、空腹をおぼえた。それで幸はようやく、昼食をとりそびれたことを知ったが、不思議と、嫌な心持はしなかった。



(一旦終わり)


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