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Side2:第十七章

 昼休みは短い。穣が継子の頼みを聞き入れたことで、二人の間には話さねばならぬことが山積したが、とても話しきれたものではない。話は、放課後まで持ち込まれることとなった。

 大事な話をするならば、他人を憚らず、屋根の下で、坐って話したいという穣の希望から、二人は駅前の喫茶店に入った。

 「えと……冬河君は、なんで私の頼みを聞いてくれたの?」

 喫茶店の席に坐るや、穣が黙ってホットココアをかき混ぜて、浮いてきた泡を中心に集めることに没頭しだしたので、継子が会話の口火を切った。

 「色々ある。前に下田の頼みを断った奴らに苛ついた、というのもあるし、他人に教えることでサボりがちだった勉強を改めて修めなおしたい、というのもある。けども一番は、今ちょうど、俺が何でも良いから何事かを始めたい、という精神状態だったからだろう」

 穣は、くるくる回るココアの水面から目を離さないで、手も止めずに答えた。

 「それは、不登校を止めたから?」

 「まあ、関係してることは間違いない。が、そんなことはどうでもいい」

 そこで、くっと穣は貌をあげた。

 「当面の話をしよう。お前をどうやってA組にあげたものか」

 この言葉に、継子はおもわず背筋をぴんとさせた。

 「うん。や、やっぱり、難しい、かな?」

 「それは、お前が一番わかっているだろう」

 「そうだね……簡単だったら、私で何とか出来ちゃうもんね。当たり前だったよ」

 「不可能なことじゃない。けども、だいぶ大変なことだと思う。何せ、B組以下のクラス出身からA組で卒業できた生徒は、長い二校史上数える程しかいないから」

 「うん。教えてもらったとしても、私が余程頑張らないと、無理だよね」

 「勿論。それじゃあまずは、作戦から立てていこうか」

 「さ、作戦!?計画じゃなくて?」

 穣の言葉があんまり物騒だったので、継子はすこし頓狂な声を上げてしまった。

 「下田は、俺に教われば必ずA組に上がれると思うか?」

 「それは、まあ、私の努力次第だと思うけど……」

 「甘いな。観測が甘い。お前が最大限の努力をして、俺も力を尽くしきって、それでもなお、運否天賦の部分が残ってしまうだろう。それくらいに、路は険しいし、測りかねる。だから、こうしてそれを果たそうという『計画』は、ちょっと立て様がないんだ。こういう風に戦っていこうという『作戦』しか、立てられない」

 言いながら、穣は椅子にかけてある自分の鞄から、筆箱とレポート用紙を取り出した。

 「まず、俺とお前には、あと4回昇級のチャンスが残されてる。今年の3回の毎学期末テストと、三年次の一学期末テスト」

 穣はすらすらと、何事かを筆記していく。

 「俺は、今学期末のテストで昇級する。けども、下田が俺と一緒に昇級するというのは、夢物語だ」

 何の気なく穣が筆記しながらそう言ったので、継子は改めて、穣が自分と違うステージにいた人なのだと実感した。自分が到底登れない階段を、ひょいと宙を飛ぶ様に登っていってしまう。

 「昇級した後は俺も心に余裕を持って教えられるだろうから、お前は、二学期末のテストで昇級する、という心持でいたほうが良いと思う。だから、一学期はすこし、ゆったり臨もう」

 言い終わった穣の手許のレポート用紙には、5月から7月までのカレンダーができあがっていた。そして、今度はそれに、中間考査、魔法学校合同の競技会など、今後の学校行事を書き込んでいった。

 「今週の金曜日、つまりは明後日から、中間考査が始まる。とりあえず、それから始めよう」

 書き込みが終わり、中間考査の始まる日をぐりぐりと丸で囲みながら穣は言った。

 「中間考査が終わるまで、俺は指導をしない」

「え?」

「中間考査で、無理して結果を出す必要はないからな。中間考査じゃ、クラスの移動がない。そのせいで、A組とA組以外とでは、内容もやる日付も違う。これで好成績をとったって、無駄な自信がつくだけで良いことがない。それよりも、別の利用方法をした方が良い。それで俺は、中間考査を、ただの試金石と見なしてしまおうと思う。今、俺はお前の学力がどの程度のものかわからない。だから、何から教えたものか、どういう方針を立てようか、見当が付かない」

「そうだね、知り合って、まだ間もないどころじゃないもんね」

 「いったん、今度の中間考査は、お前の力のみ、独力を振り絞って受けてみてくれ。それ如何で俺は今後を考える」

「でも、それじゃあ時間がかかり過ぎない?テストが終わるのが来週の火曜日で、戻ってくるのがその次の週だから、つごう二週間近くなにもできないよ」

 「いいや。始動は来週の火曜日だ。答案返却なんて、待たなくてもいい。俺がその日に全部採点する」

 「……冬河君はすごいね」

 俯きながら、呟く様に継子が言った賛辞を、穣はまるで聞かずに、レポート用紙に中間考査の範囲を科目ごとに書き込み、継子へ手渡した。

 「これはお前が持っておいたがいい。三ヶ月のカレンダーは、今のところ白紙のままだ。余白がだいぶあったから、知ってるかもしれないけど中間の範囲を書いておいた」

 「うん、ありがとう。頑張るよ」

 継子は受け取ったそれを、丁寧に資料用のファイルに入れて、鞄にしまった。

穣は、話は終わり、という風に、ふう、と一息ついて、またココアをかき混ぜだした。沈黙が流れかけたので、継子は何か話しかけようかと思ったが、話題に宛がなかった。考えてみれば、継子は穣という人間を殆ど知らない。人伝の噂では、二校きっての秀才であるらしいが、その学識がどの程度のものなのかはまるでわからない。先程の、受けたテストをその日の内に正確に自己採点してみせるという穣の言葉によって、その端緒くらいは掴んだ気もするが、それがどこまで伸びているかはとんとわからない。性格に至っては、饒舌なのか寡黙なのか、真面目なのか不真面目なのか、素っ気ないのか親身なのか、外表的なことすらわからない。

 継子が、改めて穣という人間について思案していると、穣は、突然かき混ぜる手を止め、冷めきったココアを一息に飲み干した。

「帰ろうか」

そう言って、穣は鞄を取って立ちあがってしまったので、継子はすこし慌てながら、退店の支度をした。

 継子の支度を待たずに、穣は店先に出た。空は、まだ夕陽が残り、夜に落ちきっていない。まだ、6時にもなっていなかった。ずいぶんと、自分が何かおおきなことをしでかしてしまったつもりになっていた穣は、すこし意外に思った。

 「冬河君」

 背中に継子の声を受けて、穣は駅前通りの人ごみから、目を後ろへ移した。

 「今日はありがとう。私、地下鉄だから、ここで」

手を振る継子に、穣は頷くだけはして、声は出さずに見送った。

 継子が、完全に行き交う人の中へ埋もれてしまって、ようやく穣は駅へ向かった。歩きながら穣は、継子からとうとう目を切らなかった自分を、不思議に思ったが、それが何のためであるかに考えが及んだ時、穣の貌に、今日一日あらわれなかった影が差した。



(一旦終わり)

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