Side1:第十六章
時の流れというものは、人間にはどうすることもできない。
科学時術はタイムマシンを作れなかったし、今のところ、時を遡る魔法は開発されていない。
人知を超えた、踏み込んではいけない領域、なのかもしれない。
流れすぎた時を戻すことはできない。時は川の流れのように見えるが、循環するわけではない。何処かへ流れていくだけだ。
何が言いたいのかというと――
「――そこまで。筆記具を置いてください」
試験の最後の科目が終了した。
途中の問題で躓いて最後まで解ききれなかった俺は、失意の中でペンを置いた。
半月以上に渡る長い戦いの終わりであった。一応、平均点くらいは取れたと思っている。目標はほぼ果たされたと言えるのではないだろうか。
試験終了の開放感に包まれて一気に騒がしくなった教室に、担任の結城教員が入ってくる。
「はいホームルームやるわよ。静かにー、静かにー」
小柄で童顔の結城教員だが、声はよく通る。席を立っていたような者は着席し、大声で話していた者は口を閉じる。そうしてホームルームの体裁は整えられたが、なんとなく雰囲気はざわついたままだ。
「はい、それじゃあ試験お疲れ様。今日のホームルームは、まず幾つか連絡があります。まず、来月ある三校合同の魔法競技会についてのお知らせが、生徒会から来てます」
プリントが配布される。前の席から渡された紙の右上には、「生徒会長 藤宮燈」とあった。
あの人はこんなものも作っていたのか。いつの間に、というか、どう考えても試験期間中であろう。なんて人だ。
開催日時や場所の他に、出場者募集を行う旨も書かれていた。
その表記に、今日このあとタスクがあることを思い出し、俺は少しげんなりした。
ホームルームを聞き流し、試験から解き放たれた生徒でごった返す廊下へ出る。各クラスのホームルームが終わり、校内の喧騒は最高潮だった。そそくさと階段を目指し、七階へ。
上階に行くにつれ、喧騒は遠のいていく。今日から部活動も再開されるわけだし、そのうち騒ぎも収束するだろう。そのころに昼飯を買いに行こう。
七階にたどり着き、いつも通り生徒会室の扉を開ける。
「こんちはー」
「あ、たーくん。早かったのね」
室内では会長が一人、例によって書類作成をしていた。
「まあ、試験終わったからといって、他にすることもないですから」
「そう、まあ私たちは開放感も何もないものね、むしろこれからが本番というか」
いや、俺にとって試験は割と一大事だったのだが。
まあ曲がりなりにも生徒会役員としては、ここからの怒涛の日々を予見せずにはいられない。
「お昼はもう食べた?」
「まだです。今食堂もどこも混んでるから、それが引けたらと思って」
「あら奇遇、私も。じゃああとで食べにいこっか、たーくん」
「そうっすね、もうちょいしたら皆来るだろうし」
そう、受け流すように返答し、本日の最初のタスクに取り掛かる。
テーブルの上、もう一台のパソコンの横に置かれているのは、昨日出力しておいた、出場者募集ポスターの原本。これを印刷し、各フロアに貼って回る作業だ。
原本を持ち、備品が収められた棚から画鋲を取り出してポケットにしまう。この学校の建材は特殊で、少々の傷ならほぼ自動で修復する。ある程度大きなものになると、俺たちがやっているように修復の魔法を起動してやらなくてはならないが。
そのため、この学校は壁に画鋲で直接掲示物を貼ることが許されている。しかしその画鋲が普通のものでは、やがて勝手に抜け落ちてしまう。
というわけで、この画鋲は特別製なのだ。もちろん生徒会室にも常備されている。
「じゃあちょっといってきますね、会長」
「……いってらっしゃい」
少々覇気のない会長の声を背中に受けながら、俺は廊下へ出た。
喧騒はだいぶ収まり始めているようだった。代わりに、部活動を行っているらしい様々な音が聞こえ始めている。
まずは一つ下のフロアにある印刷機へ。基本は教員用だが、許可を受けた生徒は使用することができる。もちろん生徒会役員はそれに該当する。
それが喜ぶべき特権かと言われると微妙なところだ。様々な雑用をしなくてはならないが故の必然として許可がおりているに過ぎないのだから。
十数枚のポスターを印刷するために、少し厚手の紙を印刷機にセット。枚数がもう少し少なかったらコピー機を使った方が安上がりだが、基本的には印刷枚数が十枚を越えたら印刷機を使用することになっている。
印刷自体は五分もかからない。
刷りたてのポスターを小脇に抱え、七階に戻って一枚目を貼る。そこから順繰りに階を下りながら、ポスターを淡々と貼っていく。
通り過ぎる生徒の反応は様々だった。貼っている最中に興味津々でポスターを読み始める者もいれば、自分には何も関係がないとばかりに歩き過ぎていく者もいた。
まあそりゃあ興味ない者もいるだろうな、とは思いつつ、少しだけ、俺は何のためにこんなことをしているのだろう、と思わなくもなかった。
一階の昇降口付近に最後の一枚を貼って、終了。
購買で昼を買おうかと足をそちらに向け、ふと先ほどの会長とのやりとりを思い出して、気が変わった。足を階段に向け直して、七階まで昇る。
特別急いだわけではないが、やはり七階も階段を上がれば、かなりの疲れになる。少々息を乱しながら生徒会室に戻る。
「戻りましたー」
「おかえり、たーくん」
そこには相変わらずパソコンとにらめっこの会長が座っていた。
他に人影はない。
「あ、あれ、会長……他の人たちは……?」
「うん、一回来たんだけど、それぞれ仕事で出てっちゃった」
よく見ると椅子の上には鞄が置かれているようだ。なるほど、一旦集合はしたらしい。
「会長、昼は?」
「まだだよ」
こともなげに言う会長。
「えっ……腹減らない、とかですか?」
「んー、さっきまですごくお腹空いてたんだけどね、なんか、今はもう平気」
ちょっとショックを受けた。
完璧超人というものは、自分のことにはこんなにも頓着しないものなのだろうか。
「……ダメですよ、会長」
んー? と振り返りもせずに相槌を打つ会長。
「飯は食わなきゃダメです。そんなに根詰めてもしょうがないでしょ」
「でも多分平気だよ? 心配してくれるのはありがたいけど……」
「さっきまで俺と飯食おうとか言ってたでしょう。だから俺だって食ってないんですよ。ほら、行きますよ」
なんというか、昼飯を食わせることに何か意味があるかはわからなかった。ただ、この人はこのまま放置してはいけないという思いがあった。
最後の一言が効いたと見える。会長は軽く息を吐くと、ノートパソコンのフラップを閉じ、渋々といった様子で立ち上がった。
連れ立って食堂に向かう。道中、会長は何人かの生徒から挨拶されては、その度ににこやかに返事をしていた。律儀な人気者だ。
やがて食堂に着く頃、会長は言った。
「やっぱりお腹空いて来ちゃった」
「ほら、空腹は頭が忘れても体は忘れないんですよ。もう少し気をつけてやってもいいんじゃないですかね」
「そうね、たーくんの言う通りみたい。ありがとね」
「いや別に……今倒れられたりしても困りますからね」
「あら、私がタフなのはたーくんも知ってるでしょ?」
「まあそれはそうですけど。あと公衆の面前でたーくん呼びはちょっと勘弁して欲しいんですけど……」
最後の嘆願は無情にも棄却されたが、久しぶりに会長と並んで食う飯は、心なしかいつもよりうまかった。
生徒会室に戻ると、三人の役員も皆戻って来ていた。
俺が急ぎ足で定位置に座ると、会長は満足げに笑みを浮かべ、少し大きめの声で言った。
「それじゃ、今日の生徒会を始めます! まずは皆、それぞれに仕事をしてくれてありがとう。では最初に、今度の三校生徒会合同会議のことなんだけど――」




