Side1:第二章
国立第一魔法学校に入学して、二週間が過ぎた。
授業も本格的に始まった。それから、クラス内でも、楽しげに会話を交わす生徒の姿が見られるようになった。
だが俺はその輪に入らなかった――入れなかった、と言う方がいいのかもしれない。
もともと人付き合いは得意でも苦手でもなかったのだが、昼休みも放課後も教室で過ごさなかった結果、隣の席の生徒――壁際の席なので、左隣だけだ――とぐらいしか、きちんと会話した生徒がいない。
それから、漏れ聞こえてくる会話から察するに、どの生徒もヤル気に満ち溢れている。嫌々とは言わないが、消極的な理由でこの学校を選んだ俺とは話が違う。若干、温度差のようなものも感じてはいた。
そんな俺だが、入学した以上は一応授業もしっかり聞くようにしている。いや、したいとは思っている。まあ今の所は何とかなっているが……。
さて今日も、六コマの講義を消化した。最後の授業の担当教員が教室を出て行き、入れ違いに担任教師が入ってくる。
この教員だが、名前は結城麻美。担当は魔法理論基礎と英語。得意なのは風属性の魔法だそうだ。先日俺の頭を狙ったのも、おそらくその系統。教員になって二年目で、制服を着れば学生に紛れられるのではないだろうか、という童顔。
結城先生が連絡事項を話すのを聞き流し、鞄に荷物を放り込む。まあほとんどの教材をロッカーをロッカーに常駐させているため、たいした量ではないが。
日直が号令をかける。適当に立ち上がって礼。
さて――憂鬱なのはここからだ。
「な、内藤くん!」
教室を出ようとする俺を、後ろから呼び止める声があった。女子生徒の声だ。
振り返ると、小柄な女子生徒が鞄を手に駆け寄ってくるところだった。
「俺に、何か……?」
彼女は俺の目の前まで来ると、ぴょこん、と止まった。小動物のような動きだ。
「今から、生徒会?」
「まあ、そうだけど……」
答えながら、女子生徒を観察。動くたびに揺れる二つ結びが、小動物感に拍車を掛ける。制服の、黒みがかった紺の生地に赤いラインが入った袖が、若干余っている。よっぽど小柄な部類なのか、少し大きめに作ったのか。
「私も一緒に行っていい、かな」
唐突な申し出に「えっ」と反射的に言ってしまった。それからすぐ、今のはちょっとまずかったと気づく。
「あ、いや、別に構わない、けど。どうし――」
「やった! じゃ、行こう」
俺の発言を最後まで聞かず、俺を追い抜いて歩き始めてしまう。そんな必要も義理もないのだが、とりあえず慌てて追いかける。
階段を上りながら、今度は俺から声をかける。
「あの……お前、名前は?」
「あっ、そっか、言ってなかったっけ。もー、クラスで自己紹介したじゃない」
んなもん、覚え切れるわけがないだろう。
「田辺香子です! 役員選抜の面接でも会ってると思うよ?」
会ったかどうかは定かでないが、俺は生徒会役員選抜の面接に、補助として立ち会った。選抜もなにもすっ飛ばして生徒会庶務に任ぜられたためだ。絶対に職権濫用だと思っているが、当の会長は涼しい顔。
「田辺、ね。わかった。それにしてもよく俺なんかの名前を覚えてたな」
「え? 内藤くん、有名人だもの。会長推薦で生徒会に抜擢だなんて、みんなすごいって言ってるよ?」
迷惑な話である。
そうこうしているうちに、七階に到着。生徒会室に直行し、俺の生徒証で――庶務になってから、ここを開けられるようになった――ドアを解錠。
「失礼します」
「し、失礼します!」
室内には他の役員が全員揃っていた。一番右が、先日俺を生徒会室に入れてくれた痩身で眼鏡の加藤宗次郎先輩、二年。役職は副会長。その隣が会長。さらに左が、岩淵聖美先輩、三年。役職は会計で、黒い髪を腰まで伸ばした美人生徒。ちなみにこの評価は、芳樹が教えてくれた。校内でも会長派と会計派に人気が二分されているとか。
「うん、全員揃ったし、始めましょうか」
「そうね。それじゃ二人とも、適当に座って」
岩淵先輩に言われ、手近な椅子に座り荷物を下ろす。
「じゃ、今日のお仕事始めましょうか。今日からよろしくね、田辺さん」
「あっ、はい、よろしくお願いしま……えっ?」
田辺が驚いた声を上げる。
「あら? 聞いてないのかしら」
「担任にはちゃんと伝えたはずなんですが……まあともあれ、田辺香子さん。今年度、生徒会庶務として活動してもらうことになりました。どうぞよろしくお願いします」
そんなところだろうと思っていたが、どうやら田辺が俺の同僚ということらしい。
隣を見ると、言葉の意味がわからないという顔から笑顔へと遷移して行く最中であった。
「……はい! よろしくお願いします!」
会長はその様子に満足したように頷き、
「たーくんと……きょうちゃん、でいいかな? 二人はどっちも庶務だから、一緒に働くこととか多いと思うわ」
「私の呼び方はいいですけど、たーくん、っていうのは……? 内藤くんのこと?」
田辺がこちらに向かって聞いてくる。
「まあそうなんだけどさ。くれぐれも使うなよ」
「いいじゃない、呼んでもらいなよ」
「会長は黙っててください……ともかく、この人しか使ってないアダ名だし、普通に呼んでくれ。とりあえずよろしく」
「えー」
「えーじゃない。ほら先輩方も笑ってないでくださいよ。仕事あるんでしょ」
「そうね。山積みよ、燈」
岩淵先輩が軌道修正を試みたその時、生徒会室に備え付けの内線電話が鳴った。一番近かった加藤先輩が出る。二言三言話し、通話を終えて会長に報告する。
「三階廊下で生徒間魔法紛争です」
「すぐ行って」
「了解しました。内藤くん、手伝ってくれ」
「え、あ、はい。行きます」
駆け足で出て行く加藤先輩を追いかけ、俺は生徒会室を後にした。
「校内での魔法の使用は禁止されていない。でも、魔法で他人に危害を加えたり、ものを壊したりした場合は、風紀委員による処罰対象となる」
階段を駆け下りながら、加藤先輩が言う。
「風紀委員……? それって俺らが出張る必要あるんですか?」
「生徒会の職務の本義は、生徒が過ごしやすい学校を作ること。僕らの仕事は、ケンカをやめさせることと、後片付けさ」
三階に到達し、ほとんど減速しないまま廊下に飛び出す。行く手に、向かい合う生徒が見える。それを認識するとほぼ同時に、異変に気づく。聞こえる風切り音、壁についた鋭い傷跡。
「先輩、ストップ! 危険だ!」
すると加藤先輩は、走りながらこちらを振り返り、フッ、と軽く笑った。
そしてポケットから取り出したのは――一枚のカード。それを眼前にかざしながら、静かに叫ぶ。
「来たれ、風雪!」
直径一メートルほどの大きな魔法陣が空中に出現。進行方向、すなわち、まさにケンカが起きている方へ、猛烈な吹雪を吐き出す。
ほとんど同時に、一方の生徒が魔法を行使。風が吹き荒れ、こちらに迫ってくる。戦闘用風魔法としてはポピュラーな、カマイタチの魔法だ。
しかし、弱い。いや、加藤先輩の魔法が強いのか。風の刃はかき消され、凍える風が生徒たちを襲う。
吹雪が止む頃、俺たちは睨み合っていた生徒たちの元へたどり着いた。
「頭は冷えましたか?」
加藤先輩が尋ねる。表情は和やかだが、その声も、目も、笑ってない。
その時背後から、いっそ場違いな怒声が聞こえた。
「風紀委員だ! おとなしくしろ!」
振り返ると、腕章をつけた生徒が三人、並んで立っていた。名乗ったとおり、風紀委員なのだろう。すでに制圧が終わった小さな戦場に、遅れて到着した治安部隊、といったところか。
「ああ、山縣さん。お疲れ様です」
「加藤副会長か。制圧ご苦労さん。そいじゃ、そいつらは引き渡してもらうぜ」
「ええ、どうぞ」
山縣とかいう風紀委員の指示で、残る二人がケンカをしていた生徒たちの腕を掴み、連行する。
「じゃあ、あとはよろしくな」
「ええ。そちらこそどうぞよろしく」
風紀委員が去って行くのを眺めながら、加藤先輩が言う。
「とまあ、こういう仕事だよ。まだ半分も終わってないけどね」
視線を戦場跡に向ける。壁についた無数の傷。えぐれた床。
「うちの学校は建材が特殊で、魔法に感応して修復できるようになっているんだ」
「直すんですか、これ。俺らが?」
「それが生徒会の仕事なんだよ、っと」
先輩が壁に手をかざすと、ぼうっと白い光が浮かび上がる。壁いっぱいのサイズのそれは、魔法陣。俺が実習で苦戦していたものなど比べ物にならない複雑さと大きさ。
「修復、開始」
トリガーワードに応えるように、魔法陣が輝きを増す。同時に壁が直っていく。内側から生成されるように――いや実際、建材が生成されているのだろう。
瞬く間に、壁一面の傷跡が消えていく。
「じゃあ床はお願いできるかな?」
「えっ、俺がやるんですか」
「今後もこういう仕事はあるだろうし、慣れといてもらわないとね」
「でも俺、まだ魔法なんて実習でちょろちょろっとやったことしか……」
「そのくらいのが起動できれば大丈夫だから」
嫌々ながら、前に進み出て床に手をかざす。見えてはいないが、魔法陣があるという意識で魔力を手のひらから床へ流す。
ぼんやりと、魔法陣が浮かび上がってきた。しかしその光は先ほどのような白一色の鮮やかなものではなくではなく、時々赤が混じったり消えそうに薄れたりと、不安定なのが見て取れる。
「もうちょっと頑張って安定させるんだ!」
「やってます……よ……っと! 修復開始ッ!」
流す力を増し、光が白く、強くなった瞬間を狙って、トリガーワード。
えぐれていた床が内部から修復されて行く。勢い良く床が平坦に戻り――勢い余って、盛り上がった。
三十センチほどの山ができてしまった床を眺めながら、先輩は苦笑した。
「力みすぎだね。まあそのうち慣れるでしょ」
「ハイ……すみません」
結局床は、先輩が魔法で再び抉り取った後、再修復した。