Side3:第一章
入学式の日、大量の花びらが散っていた桜の木には、いまだ多くの花びらが残っている。普通に考えると有り得ないことなのだが、この街においてはとある法則を当てはめることで普通のこととして起きる現象となる。
人々が暮らす現世界と隣り合うように存在するが、決して行くことのできない混沌とした世界。反世界と呼ばれるその世界においては、現世界では起きえないようなことが次々と起こるとされる。される、という表現を用いたのは、直接行って確認できる者がいないからである。また、それが故に、混沌とした反世界の存在を脅威と思う人は居なかった。――ほんの半世紀前までは。
現世界と反世界を区切る境界線に、歪みが生じたのは西暦2012年のことだ。今まで行けなかった場所を繋ぐルートが、おぼろげながら出来た。当時、現世界においては、反世界のことを知っているのは一部だけであり、行く者も現れなかった。しかし、その逆の流れはすぐに発生した。反世界の住人が、異形を纏って現世界に出現した。
混沌とした世界に住んでいた彼らは、その大部分が現世界の理に従わなかった。「魔物」。人々は反世界の住人をそう呼び、恐れた。そして、反世界での理を気ままに振りかざす魔物への対策を講じなければならなくなった。
そこで注目されたのが、魔法という技術だった。
魔法とは、現世界では起こらないことが次々と起こる反世界での現象を限定的に出力する技術。境界線が歪む以前から反世界についての知識があったのは、この魔法を受け継ぐ少数の人々であった。そして、彼らの持つ技術に注目した研究者たちは、魔物を駆逐する上において魔法が有用であることを見出し、世界に向けて発表した。
増え続ける魔物への対抗策が何も編み出せていなかった世界各国の政府はすぐに魔法を取り入れ、実践した。そして魔法の有用性を改めて理解した各国は、魔法研究を大々的に行うようになった。日本も、例外ではない。
日本では、魔法の研究施設を立ち上げるのと同時に、魔法を使うことのできる人材、すなわち魔法使いを育成するための専門学校を設立した。その専門学校は魔法学校と呼ばれる。
はじめの魔法学校ができてから、現在に至るまで三つの魔法学校ができた。第一魔法学校と第二魔法学校は東京に建てられたのだが、土地の都合上、三つめの魔法学校ができるのは難しいと言われた。しかし、そこで大きな動きが魔法推進派によって起きた。凍結されていた人工島の建造プロジェクトを再開し、その人工島を、まるごと魔法の研究都市にしてしまおうという動きである。
結果として、それは成功した。「先端魔法研究都市」――通称、魔法都市。人工島全体が魔法の研究施設となり、魔物への攻撃手段だけでなく、様々な利用方法が現在に至るまで日夜研究されている。
そして、魔法都市の中心部には、第三の魔法学校が設立された。第一、第二の魔法学校と比較すると、周囲で最先端の魔法研究が常に行われている分、より魔法に慣れやすい環境となっている。たとえば、魔法によって花の生成速度や枚数が強化された桜の木。魔法という法則は、有り得ないことを可能にするのだ。
ゆえに、我々は魔法を行使する際には細心の注意を払わなくてはならない――。
そこまで思考したところで、窓際に座る少年、士沢 幸信はいつの間にか教壇に立つ教師の説明をただ頭の中で繰りかえしているだけになっていたことに気付いた。窓から見える桜の木から視線を外して黒板を見る。
第三魔法学校に入学して、まだ一週間と経っていない。今の授業は、時間割では魔法倫理と書いてあるが、内容はガイダンス的で、教師は魔法学校に入学するという志を持った若者ならば誰しも知っていることを説明するだけだった。
だから、集中せずにとりとめの無いことをつらつらと考えるのも仕様がない。士沢は誰にするでもない言い訳を頭の中でして、前方を眺めた。座席についている生徒の中には士沢と同じような感想を抱いている者も居るようで、彼らは一応授業を聞く姿勢をとっているものの、肘をついてぼんやりと黒板を見ているだけだった。
士沢は少し安心して、視線を上にあげた。時計を見ると、もう授業終了時刻である。それを確認した途端、ぼんやりとしていた意識が覚醒していく。そして同時に、終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「連絡事項は以上。では明日も遅刻のないように」
5時限目、魔法倫理の授業が終了し、担当教師と入れ替わるように教室内に入ってきた士沢らのクラスの担任教師は、少々の連絡事項を告げた後、速やかにショートホームルームを終わらせた。そして、幾人かは何事か喋りあいながら、教室外へと駆け出していく。いまだ慣れない環境下にあって、早々に熱中できる事柄を発見できたのはとても羨ましい。士沢は素直にそう思った。最先端の魔法研究が周囲を取り巻いている絶好の環境。魔法学校の上級生の中には、既に研究施設とコンタクトを取って、研究に参加している人もいるという。
士沢も魔法学校に入学した者なので、最先端の魔法研究というワードに心が躍らない訳ではない。だが、現状の思いはそちらには向いていなかった。
いつの間にか到着していた学校の玄関で、自分の下駄箱を探す。いまだ位置を記憶していないが、すぐに自分の靴を見つけ、上履きと履き替える。そこで、声がかかった。
「幸信のクラスも、今終わったのか」
「うちの担任はすげえ端折ってホームルーム終わらせたけど、他のクラスも大概なのか」
振り返ると、そこには一人の男子生徒が立っていた。古折 冬弥。士沢とは別のクラスだが、小学校に入る以前から付き合いのある幼馴染である。
まだ日が暮れるには早いが、今日は少し寒い。魔法による気候管理は一部の施設で研究しているようだが、実際に運用されるようになるまでどれほどの時間がかかるのかは不明である。
玄関を出てから、しばらく無言で夕方の道を歩く二人だったが、不意に古折が口を開いた。
「そういえば、あの時もこんな夕方だったな」
「……」
士沢は何も返さなかった。しかし、脳裏には確かに描いていた。五年前のある日、肌寒い十一月の夕方を。