Side2:第十章
シャワーを浴びながら、穣は背後にかすかな気配を覚えた。しかし、振り返ることはしなかった。それが気のせいであるとわかりきっていたからである。
シャワーを止めて、ぱっと顔を拭うと、目の前に鏡がある。鏡には当然、穣しか映っていない。
ただ目を瞑っているだけで、こういう感覚に襲われることはあるまい。水場は、ホラー映画や小説の舞台になりやすい。水に対して、人は霊的、神秘的なイメージを古来から抱きつづけている。
法という字は、もともと罪人の罪状を水に流すことで穢れを祓おうとする行為をあらわす字である。古の儀式に於いて、水が重要な役割を担っていたことを示している。
水は、きよめはらうものであった。きよめはらうとは、俗的な存在を聖化するということである。古代に於ける聖なるものとは、天地に住まう神々と、祖先の霊であった。俗物が、その聖なるもの達の託宣を得ようとする時、身体を水できよめたのである。「聖」とは、そもそもはそういうことをして、霊や神の声を聞ける者のことを指す字であった。「聖」という字は大きな耳を持った人の象形である。
水は、聖なるものへの橋渡しをする存在であった。そのイメージは人間社会に深く根付いて、水は何か霊的なものが登場する時には、欠かせない舞台装置として使われる様になった。そのために霊とか、神とか、この世ならぬものを主役に据えるホラー映画や小説では、水場を舞台とするのが当然となり、それをみて育つので、人は水場にホラーなイメージを抱いてしまうのであろう。
「イメージ」が重要な役割を負う魔法学に於いて、「水」とか「土」とか「光」といった、自然物に対する人間の潜在的イメージはあらゆる角度から探求され、教えられる。優等生だった穣は、それをきちんと覚えていた。
穣の思考が速度を落として、現実に舞い戻った時には、穣はもう食卓に着いていた。リビングにいるのは穣一人である。芽衣は、キッチンでシチューを温めている。穣は、正面においてある、電源の点いていないテレビの画面を見ていた。黒い画面では、穣の鏡像がこちらを見つめかえしている。かたい、不機嫌そうな貌である、この貌は食卓に相応しくないと思った穣は、すこし口元を緩めたり、眉を開くなどしはじめた。
「シチューにパセリ、散らす?」
盛り付けに入った芽衣が訊いてきた。
「いらないよ」
答えた穣の声は、緩まった表情のせいか、すこし明るかった。息子の、珍しい明るい声がうれしかったのか、芽衣はすこし踊る様な足取りで、二人分のシチューを運んできた。ホワイトシチューである。芽衣の皿にだけは、細かい緑が散らされている。
準備が終わって、席に着きかけたところで、芽衣は水を冷蔵庫から出していないことに気がついて、キッチンに戻った。
「いただきます」
穣は芽衣を待たないで、食べはじめた。
穣も芽衣も、食事中に喋るのが好きではない。団欒の時間は、食事を終えて片づけまで済んでから、というのが、冬河家のルールであった。黙々と食べていると、どうしたって穣のほうが先に食べ終わる。自分の食器を洗い場に置いてきて、穣は自室に戻った。穣が不登校を始めてから、冬河家に団欒の時間は滅多にこない。
自室にいても、特にやることはない。教科書の類は全部学校に置いてきてしまっているから、翌日の準備は考える必要がなく、宿題や課題もない。仕方がないから、穣は本棚から適当に本を一冊手にとって、ベッドに寝転んで読みはじめた。魔物学の本で、特に魔物の行動原理について調べたものであった。著者は魔法学者で、二校の教諭もつとめている人物である。穣も、学校で何度か貌をみたことがあった。学術的な本なのに、文の節々から文学的な匂いを感じさせる文章である。
――魔物を生物として扱うことは危険である。それ程に、彼らにとっての「生」と、我々にとっての「生」はかけ離れている。彼らは、我々からすれば「死のう」としながら「生き」ている。彼らにとって「死」はたいへんに身近で、親しみ深い。それはさながら、「死」それ自体が「生」の過程の一つであるかの様であり、「死」が確かな「生」の終着点である我々とは大いなる懸隔があることを知らねばならぬ。そういう死生観の中から生まれた文化、倫理、常識を知るには、我々の培った尺度をいったん忘れてしまわねばならないだろう……
序文を読んだだけで、穣はその本を置いてしまった。退屈であったのではなく、魔物、という言葉が、明日に待ち構えている予定を思い起こさせてしまったからである。穣は、それから逃れるために机に着いて、化学の問題集をひろげた。穣は2時間くらいそれに取り組んだ後、繁が帰ってくる前に就寝した。夢はみなかった。
7時に穣が目を覚ますと、もう繁は出社していて、朝食の準備はできていた。6時半には家を出た気の津は事情が違い、今日は特別急ぐ必要がなかったので、穣はゆっくりとパンとスープを食べて、ゆっくり身支度をして登校した。
人波に押し流される様にして電車を降りた穣は、始業時間の10分前に二校に着いた。
鞄を下ろして席に着き、穣は今日という日をどう過ごしたものか思案を始めた。昨日、読みかけて置いてしまった本は持ってきてあり、それで時間をつぶしても良いが、教師に注意される可能性が高い。B組の教師は、寐ていることは何とも思わないが、別のことをしているのは気に入らない様で、穣は昨日注意を受けたばかりであった。だからといって、教科書に本を隠して読むのは、どうにも精神のいやしさを曝けだす様に感じられ、またそうまでして読みたい本でもないので気が引けた。まじめに授業を受けという選択肢は、最初から穣にはない。
結局、自習をしてすごすというところに落ち着いた。一時限目は一般教養科目の化学であったが、穣は自分で買った物理の問題集を取りだした。
チャイムが鳴ると、HRをやった後そのまま教室で始業を待っていた教諭が継子に号令をする様促した。
「起立」
継子の号令で穣は立ちあがったが、頭はもう問題集に向いていて、周囲の音を騒音として遮断しようとし始めていた。
この日の授業は、結局この問題集を解いている内に終わった。
穣の思考が、宙へ浮いていられる時間も、6時限目の終業のチャイムの音とともに終わったといってよい。穣の、前日から逃避を続けていた思考は、とうとう、現実へ正対しなければならない時刻になった。曖昧でふわふわしていた悩みに、形が与えられる時が、もう間近になってしまったことを、荷をまとめながら穣はかみしめていた。
(続く)




