Side1:第十章
土曜日。
試験へのカウントダウンは容赦無く続く。
寮の朝食の時間は決まっているため、ほぼ普段通りに起床。朝食をとって、二度寝することも考えたが、流石に昨日の今日で時間を無為に使うわけにはいかない。
だが何というか、気が乗らないのも事実。俺は元々勉強熱心な方ではない。今回の試験に向けてこれだけ勉強しているのが、自分でも不思議なくらいだ。
部屋に戻ると、芳樹が出かけようとしていた。土曜だというのに制服のネクタイを締めている最中である。
「どうしたんだ、芳樹。今日は休みだろ」
「うん、図書館に行こうと思ってね」
「図書館?」
鸚鵡返しに聞き返したが、同時になるほどと思った。
「そうか図書館か……なあ、やっぱ皆試験勉強してるのか、図書館って」
「そうだと思うよ。僕もそうだし」
これはいいことを聞いた。図書館では皆勉強をしている。そこに身を置くことで、俺自身もまた、嫌でも勉強しなくてはという気持ちになり得るのではないか。試す価値はありそうだ。
「そっか、ありがとな、後で俺も行くかも」
「わかった。じゃあ先に行くね」
「ああ、いってらっしゃい」
芳樹を見送り、俺は一人居室に佇んだ。さて。
「俺も行くか……」
俺は部屋着を脱ぎ捨て、制服を手に取った。
芳樹から遅れること十数分。
俺はまるで登校するかのような格好で寮を出た。
寮を出たはいいものの……俺は図書館に行ったことがないし、場所もイマイチわからないのであった。まあ行ってみればわかるだろうとは思うので、とりあえず校舎方向に歩き始める。
十分少々歩いたところで、校舎が見えてくる。
この学校の敷地には幾つかの建物がある。学生が授業を受ける建物は基本的に一つだが、その周りに様々な研究施設があるのだ。確か図書館もそのうちの一つだったような気がするのだが。
「あ、たーくんじゃない!」
校舎正面玄関に到着した俺を出迎えたのは、そんな明るい声だった。
現状、俺をその名前で呼ぶのは、この学校には一人しか存在しない。
人違いです、と言うかいっそ無視しようかとも考えたが、なかなかそういうことができないのが俺の性格で、そしてこの人と俺の間の関係なのだ。
「おはようございます……会長」
振り返った俺の後ろに立っていたのは、一校でもトップクラスの美少女、藤宮燈生徒会長。俺の幼馴染にして上司。容姿のみならず成績も魔法技能も、一校のトップ。まさに一校を代表する存在である。
「おはよう、たーくん。休みなのに偉いわね」
言われて気がついたが、会長もまた、制服を着用している。
「そういう会長こそ、休みなのにどうしたんですか?」
「うん、ちょっと生徒会室に用があってね。昨日二人に頼んでいたお仕事がどのくらい片付いてるか、見に行こうと思ってるの」
昨日頼まれていた仕事……ああ、あれか。競技会の出場者選考のための書類の整理と、前もやった生徒からの要望の振り分け……。
やったっけ?
いや、やってない。
「か、会長……実はですね……」
「たーくん時間ある? あるなら一緒に生徒会室に行かない?」
なんとなく見透かされたような気分になりながら、俺は首肯した。
並んで校舎に入る。廊下を歩き、エレベーターに乗り込んだところで、俺はもう一度言い訳を試みることにした。
「会長、実はですね」
会長はこちらを見ると、首を傾げた。相槌だと判断し、話を続ける。
「昨日頼まれていた仕事なんですけど、あの、昨日ちょっと魔法で喧嘩してるやつらがいて、それの対処と修復にかかりきりになっちゃって、その……ほとんど……というか全くできていなくてですね」
会長はちょっと驚いたような顔をしたが、なぜかすぐに笑みを浮かべた。
「わかったわ、それじゃ今からやれば大丈夫。あ、それならきょうちゃんにも来てもらおうかな、たーくん、連絡先知ってる?」
「え、ああ、知ってますけど……」
「あ、でもあの子実家だっけ……まあいいや、一応連絡してみてね」
「はぁ……」
そういう会長も実家住みだった気がするのだが。
「それより、昨日はどんな感じで対処したのか、ちょっと気になるなぁ。少し聞かせてくれない?」
エレベーターが七階に着いた。生徒会室に入って鞄をおろし、携帯端末で手早く田辺にメッセージを送る。
携帯端末を仕舞ったところで、会長が椅子に腰かけて話しかけてくる。
「それで? ねえ、昨日はどんな感じの喧嘩で、それをどうやって止めたの?」
手近にあった椅子を引き寄せて俺も座る。なんとなく真正面に座りたくなかったので、少し斜めの位置。どんな感じ、と言われても、どこから話したらいいものか。
「ええと、まずなんか、喧嘩していた連中がどうも、色恋沙汰だったみたいで、すごいヒートアップしてて……」
なんでこの人はこんなに聞きたがるのだろう。
そんな疑問を抱きながら俺は昨日の顛末を語った。たぶん俺の話は下手だっただろう。自覚はある。しかし会長は聞き上手だった。適度な相槌、適度な質問。上手下手は別として、話しやすかった。
修復のところまで話し終えると、会長は背もたれに背を預け、軽く息を吐いた。
それから彼女は立ち上がり、俺の目の前まで歩いて来て、言った。
「たーくん、成長したのね」
「――っ!」
「私はずっと昔の君を知っている。二年前の君を知っていて、そのあと入院していた時の君も知っている。この学校に入って来た時の君と、それからこれまでずっと頑張ってきた君を知っている。だからこそ、そう思うの」
「会長……」
会長は俺の右手を取った。彼女の胸の高さで、両手で強く握る。
「君はこの学校に来てから、ずっと頑張ってきた。それは確実に君の力になっている」
会長の言葉は説得力があった。なぜなら彼女は、この学校にいる誰よりも俺のことを見ていたから。二年前の事故のことも、よく知っているどころか当事者だ。
「俺は……」
「君はその体を、その運命を克服できる。きっと――]
ガラッ、と扉が開いた。
「失礼しま――か、会長! な、内藤君!」
田辺の声がした――と思う間もなく、会長が俺の手を離した。背けた顔は心なしか赤い。
「き、きょ、きょうちゃん!」
「か、会長……あ、し、失礼しました!」
ぺこ、と頭を下げると、田辺は勢いよく扉を閉めた。
パタパタと走り去っていく音が聞こえる。
「た、田辺! 別にそういうわけじゃないんだ! 田辺!」
田辺に何もない旨を説明し、三人で昨日の分の仕事に取り掛かるまで、三十分以上かかった。
だが俺の胸には、会長の言葉が残った。背負ったものに克つために、俺はここにいる。その思いは、一段と強くなった。
そしてテストへのカウントダウンが容赦なく進んでいることを俺が思い出すのは、もう少し経ってからのことである。




