Side1:第九章
金曜日。授業とHRが終了し、担任教師が教室を出て行く。
五日間に及ぶ平日が終わり、土日という安息を与えられる、その喜びを感じる日。学生も社会人も、この日ばかりは同じ気持ち――やっと休める。
普段なら、であるが。
今の俺の心内では、学校が休みになる喜びよりも、試験へのカウントダウンが始まっていることによる辛さの方が優っていた。
いや、カウントダウンは始まっている。この土日、どれだけ追い込みをかけられるかで試験の出来は大きく変わるだろう。
嘆息し、鞄を持ち上げる。
まずは生徒会室に行かなくてはならない。今日は先輩たちは、競技会に関連して何か仕事があるらしい。俺と田辺はいくつか仕事を頼まれている。
何もこんな時期に、と思う。
だが、そうではないのだ。彼ら――先輩たちや田辺にとって、テストは焦るものではない。勉強する内容は多少テストを意識したものになるだろうが、基本的には普段の勉強の範囲を出ない。
簡単に言えば、テスト前以外でも十分に勉強するかどうか、ということである。
生徒会室は電気が消えていた。田辺はまだいないようだ。そういえば教室で声をかけられることもなかったし、何か用事があるのかもしれない。
仕事は、田辺が来てからにしよう。律儀な優等生の田辺のことだ、そんなに遅くなるとは思えない。
そう決めた俺は、すっかり愛読書のようになってしまっている、魔法理論の教科書を取り出し、読み始めた。内容が理解できないわけではない。ただ、まだ今一つ、覚え切れていないのだ。
七階にある生徒会室は、下階の喧騒もなかなか届かない、なかなか良好な環境である。
読み始めて、数分。
「ん……?」
ふと、俺は顔を上げた。地震かな、と思った。地面が揺れた気がしたのだ。しかし揺れは一瞬だけ、しかも小さい。地震にしても震度一とかそんなものだろう。日本ではよくあることだ。
そう、思ったのだが。
壁に取り付けられた内線電話が鳴った。今この部屋にいるのは俺だけ。電話を受けたことはないが、出るしかないのだろう。
――面倒ごとだと、嫌だなあ。
そう思いながら、俺は受話器を持ち上げた。
嫌な予感は的中した。
階段を駆け下りる。その途中で、手にもっていたものをポケットにねじ込み、さらに速度を上げる。
よりによってこんな日に、生徒間魔法紛争――つまり、生徒同士が魔法を使って喧嘩しているとの連絡が入った。場所は一年生の教室の前の廊下。先ほどの揺れは、その影響のものだったようだ。
廊下に降り立つと、人だかりが見えた。その奥の様子はわからないが、なんとなく焦げ臭い。
野次馬たちは、怯えたり逃げようとしたりはしていない――むしろ、輪の中の人間を煽り、囃しているようにも見える。
人垣に駆け寄り、掻き分けて輪の中へ出る。
そこでは二人の男子学生が睨み合っていた。二人とも制服があちこち破れ、汚れている。見れば廊下の床は焦げ、壁には凹みがある。
二人が睨み合う横に、女子生徒が二人いた。一人は知らない。もう一人は――
「田辺っ!」
「あ……、内藤くん……!」
田辺の傍の女子生徒は、泣いているようだった。
「ねえ、もうやめてってばぁ!」
彼女が涙声で懇願する。しかしそれに応えた右側の男子生徒は、まるで耳を貸さない様子だ。
「うるせえ! こいつは絶対に許さねえ! 泣いて謝っても許さねえ!」
左の男子生徒が叫び返す。
「黙れよ! 先に裏切ったのはそっちだろ!」
一触即発、と言ったところか。この状況から察するに、痴話喧嘩、三角関係なのだろうか。詳しいことはわからないが、とりあえずこの二人の男子生徒が喧嘩をしていて、その原因というか火種が、あの女子生徒なのだろう。野次馬の生徒たちが興奮しているのも、それなら頷ける。
このような事態だが、ついこんなことを考えてしまう――こんな生徒も、この学校にはいるのか。みんながみんな、頭のカタい優等生というわけではないのか。
いや、普段は優等生だからこそ、一度キレると手が付けられないのかもしれないが。
とにかく、思ったよりずっといろいろな生徒が、この学校にはいるようである。
「もうやめて! 二人とも落ち着いて!」
田辺が必死に声を張るが、「黙れよ!」「部外者が!」と一蹴されてしまう。
もはや再びの衝突は避けられないのか?
「おい、こちらは生徒会だ。一回二人とも落ち着け。これ以上は危険すぎる」
声をかけてみるものの、
「関係ないだろ! これは俺たちの問題なんだ!」
「そうだ! 俺たちが決着をつける!」
思わず、「青春かよ」とつぶやいてしまった。なんだこれ、カユい。
決着、の言葉通り、二人が身体をずらすと、後ろの壁に描かれていた魔法陣が見えた。いつの間にこんなものを。
しかも既に魔力が通い、今すぐにでも起動できる状態だ。
緑と赤の輝きを放つ魔法陣。二人が同時に、起動章句を口にする。
瞬間――
「もうやめてぇっ!」
叫びながら、女子生徒が間に割って入った。それを追って、田辺も飛び込んでくる。
しかし魔法陣の起動は止められない。
二人に向けて、攻撃魔法が放たれる。その、刹那。
指輪を嵌めたり、出力を調整する暇はなかった。
両手に一枚ずつ、ポケットから出したカードを持ち、俺も飛び込む。
このカードは、生徒会室を出る時に持って来たものだ。加藤先輩が制圧にいく時にいつも持っていたひと組のカード。備品なので、勝手に使うことにしたのだ。
両手で同時に魔法陣を起動し、転写。
直径一メートルほどの魔法陣が、空中に現れる。力任せな転写は、安定性の欠片もない。しかし、一瞬だけ盾になるには十分だ。
二つの魔法が、俺の魔法陣に激突、炸裂。同時に魔法陣が安定を失い、こちらも爆発。飛び込んだ俺と田辺、女子生徒は、折り重なりながら倒れた。そして魔法を撃った二人は、爆風で吹き飛ばされて人垣に突っ込んだ。
廊下に悲鳴とどよめきが交錯する。
女子生徒と田辺を庇うような姿勢から起き上がり、手にまだ持っていた転写済みのカードを捨てる。そしてポケットからさらに二枚のカードを取り出し、何の魔法か確認もせずに、倒れたままの二人に向ける。
「……少しは、頭は冷えたか?」
起き上がった二人は、ばつが悪そうに下を向いた。そこに、
「風紀委員だ!」
威勢のいい声が響く。
刑事は遅れてやってくるんだったか。ご苦労なことだ。
やって来た三人の風紀委員のうち一人が、こちらに向かって来た。以前何度か、加藤先輩にくっついて来た時に見たことのある顔だ。名前は確か――
「山縣先輩。お疲れ様です」
風紀委員会副委員長の、山縣先輩。ガタイのいい男子生徒だ。確か二年生。加藤先輩と同学年だ。
「なんだ今日は君一人か、加藤副会長は?」
「別件で出ていまして、今日は俺が対応しました」
「そうか、ご苦労さん。二人については、後は我々が引き受ける」
「よろしくお願いします」
わりに高圧的な人という印象だが、なんとなく風紀委員のイメージにはしっくりくる。失礼かもしれないが。
「じゃあ後、頼むぞ。おい、行くぞ」
山縣先輩とその他二名の風紀委員が、二人の男子生徒と渦中の女子生徒を連れて行く。その背中を見送る俺の背中に、触れるものがあった。
「お疲れ、内藤くん」
「田辺……お前、怪我とかしてねえか?」
「大丈夫だよ、ありがと」
俺の背に手を置いたまま、はにかむ田辺。
「お、おう……」
なんとなく気恥ずかしくなってしまった俺は、視線を田辺から既に遠い風紀委員たちの背中に戻した。
野次馬も三々五々散って行き、残るは俺たち二人になった。
「さて、あとは修復、かぁ……」
「頑張って、内藤くん」
「えっ……田辺もやるだろ?」
「私やったことないし、こういうの苦手だし、それにちょっと……」
よく見れば、若干顔色が悪い。そういえば、この前は近くで爆発しただけで気を失っていた。田辺は田辺で、頑張って耐えたのだ。
「……わかった、とりあえず俺一人でやってみるよ」
「……ごめんね、よろしくお願いします」
「ああ。先に生徒会室戻って休んでろよ」
「ううん、ここで待ってる」
そう言うと田辺は、壁に背を預けてぺたんと座り込んだ。田辺がそれでいいなら別にいいんだが。
さて――これが心配の種である。修復作業。特殊な建材を用いているため、この学校の壁や柱といった建造物は、適切に魔力を流せば自動で修復する。俺はいつもいつも、魔力を過剰に流す失敗をしている。
だが今俺には、こいつがある。
ポケットから小さな指輪を取り出し、左手に嵌める。
慎重に魔力を流し、俺の存在の奥にある反世界への扉を、閉ざす。強く締めればそれだけ魔力を消費するので、ほどほどのところでやめないといけない。壊れ方がひどいので、長丁場になることが予想できるからだ。
左手の甲に魔方陣が浮かび、魔力量制御が発動したことを示す。そして額を汗が伝う。この行動は、やはり消耗がバカにならない。
両手を、まずは眼前の床にかざす。両掌に魔力を集め、それを床に流し込む。すると床に白い魔方陣が浮かび上がり、修復のための魔方陣の軌道準備が完了。
「いくぞ――修復、開始!」
音もなく、床の傷やへこみが直り始める。
三十秒ほどで、床はほとんど元通りになった。以前のように、小さく盛り上がって通行の邪魔になるようなこともない。かなりの進歩だと言えるのではないか。
だが。
「ちょ、っと、休憩っと……」
床に座り込み、両手への魔力供給を遮断。左手から魔方陣の輝きが消え、急激に魔力を消費する感覚から解放される。やはり長くはもたない。
「大丈夫?」
田辺が駆け寄って来ようとするが、片手を挙げて制する。少し休めば大丈夫なはずだ。だが、こう休み休みでは、なかなか捗らない。
「よし……!」
気合を入れ直し、もう一度立ち上がる。左手を頭上にかざし、魔方陣を起動、魔力の制御を開始する。次は天井だ。
「頑張って、内藤くん」
背後から田辺の声が聞こえる。
おう、と答え、俺は右手も頭上にかざした。
修復、開始――。
結局、休み休みの作業だったのと、損傷がかなり大きかったのとで、修復が全部終わったのは、最終下校時刻ギリギリだった。
会長らに言われていたタスクはほとんど手つかずのままだった。それから俺は、寮の自室に帰ってすぐに眠りに落ち、翌朝目を覚まして、また昨夜も勉強に充てられなかったのかと嘆き、試験を憂えることとなった。




