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Side1:第八章

 左手中指に指輪を嵌める。

 装飾品の類を自分から身につけるタイプではない俺だが、この指輪については別だ。指輪を装着する、その簡単な動作だけで、左手で魔力が蠢くのを感じる。

 視線を落とすと、指輪の石――水晶か、ガラス玉か、透明な石だ――の中で、魔法陣が光を放つ。そしてそれに呼応するように、左手の甲に光が浮かぶ。光は魔法陣を描き、魔力が機能し始める。

 俺の身体に刻まれたいくつかの魔法陣のうちの一つ。例えるならそれは水門のバルブ。

 意識を左手に持って行き、魔法陣を作動させる。バルブを、締める方向に回すイメージを頭の中にもつ。

 すると、体の中にあった魔力が弱まるのを感じた。それと同時に、左手に籠める魔力量は増えていく。少しずつその量は増し、これ以上は無理をしないと締められない、というラインに達したところで、左手に注ぐ魔力を増やすのをやめる。

 持っている魔力の量が普段よりずっと少ない感覚。不安なほど弱々しい、本来の俺の魔力。魔法の才能はもともとないに等しいのだから、これで当然である。

 だがこれなら、魔力を入れすぎて暴発、ということはないだろう。

 今度は右手に持ったカードに魔力を流し込み、描かれた魔法陣を起動する。普段よりずっと弱い魔力を、全力で流し込む。

 カードを胸の前に構え、転写開始。

 程なく、空中に赤い光がつながり、魔法陣が描かれる。

 完全ではないが、普段より安定している。しかし、光はときに弱々しく明滅しかけたり、全体にノイズが走ったりする。

 意識を集中し、光が安定した瞬間を狙って、発声。

「――着火(セットファイア)!」

 魔法陣の中心から炎が走る。以前実習で出した炎ほどの威力はないが、はっきりと、炎が出現した。すぐに炎は消え、魔法陣も消滅する――同時に、俺は膝から崩れ落ちた。

 左手の魔法陣への魔力供給を停止、すぐさま指輪を外す。せき止められていた魔力が流れてくるのを感じる。

 荒い呼吸を繰り返していると、水の入ったペットボトルが差し出された。

「内藤くん、すごい! 転写、うまくできてるね!」

 無邪気な賞賛を俺に浴びせたのは、田辺だ。その後ろから、加藤先輩がやってくるのが見える。

「よくやった、内藤君。初めて転写成功した気分はどうだい?」

「そうですね……疲れましたね……」

 今日の転写の練習、まず初めに俺が単独で転写に挑戦した。これは俺が志願したもので、もちろん、例の指輪を試す意味合いが大きかった。結果は一応の成功。ただし、ものすごく消耗した。

 俺は壁際に寄って休息を取ることにし、今度は田辺が転写を練習し始めた。加藤先輩は俺の隣に立って、田辺を見守っている。

 結果を自分なりに分析してみる。

 まず消耗の原因だ。これについては、感覚的にわかっている。転写そのもので消耗したのではない。左手の魔法陣の駆動、すなわち魔力量を調整する方で、こんなにも疲れたのだ。

 長時間の連続動作には耐えられないであろう、圧倒的な疲労感。今後試すとしたら、今回ほどきつく締めなくても、魔法陣を起動できるかどうか。つまり、最適なバランスを見つけないといけない。

 そんな思考をしながら、ぼーっと田辺の練習風景を眺めていた俺は、ある光景に思わず声を上げた。

「おっ……」

 田辺の目の前に浮かんだ魔法陣から、一瞬、炎が走った。

 笑顔を浮かべてこちらを振り返った田辺に、俺と加藤先輩は揃って拍手を贈った。


「芳樹ー、今日って何曜日だ……?」

「木曜日でしょ、しっかりしてよ」

 そうか、木曜日か。

 なんだか今週は忙しくて、あっという間に過ぎていった気がする。

 寮の居室に戻ってきた俺は、例によって床に寝転んでいた。疲れはだいぶとれたが、まだ若干のだるさが残っている。

 今日が木曜日で、明日は金曜日。それを越えれば土日が来て、また来週が始まる。月、火ときて――

「ときに芳樹。試験、いつからだっけ……?」

「将、大丈夫? 水曜日でしょ、来週の」

 そう、水曜日から試験。水曜日から試験が始まる。ということは……

「一週間切ってるのかー……」

 急激につらくなってきた。この体調で、さらに勉強をしないといけない。勉強をしたところで、間に合う保証はないし、点数が取れる保証はない。しかし、「落ちこぼれ」をギリギリ回避するくらいの点数が欲しい。

 時計を見る。まだ八時前。

 勉強、しよう……。

 机に向かい、教科書とノートを広げる。魔法理論に気を取られて忘れかけていたが、数学や英語なんかも、やらないとマズイ。そう思った俺は、今日は数学の勉強をすることに決めた。

 あとから田辺に言われたことだが、このように行き当たりばったりで勉強する科目を決めるのは、やめた方がいいらしい。

 それはさておき。数式を書き連ねる音だけが、数分間響く。

 まだ集中し切れていない俺はやがて、沈黙に耐えられなくなった。シャーペンを走らせながら、顔を上げずに芳樹に声をかけてみる。

「なあ芳樹。お前、数学とかはどうなんだ?」

「どうって?」

「どうって……好きとか嫌いとか、得意とか苦手とか……」

 芳樹は、魔法の成績はあまり良くない。入試も多分ギリギリだったと、本人が言っていた。そんなギリギリの成績、というか、ざっくり言ってしまえば才能にも関わらず、一校をめざし、入学して来たのだ。何かよほどの夢なり目標なりがあるのだろうか。

 自分が突っ込まれたくない話題ゆえに、俺はこういう話を芳樹としたことはなかった。今も、この話をしたいわけじゃない。ただもうちょっと外堀の、魔法以外の分野について、聞いてみようと思ったのである。

「うーん、割と得意だよ。好きだし。というか勉強の中では一番好きかもなあ、数学」

「あ、そうなのか。意外だな」

「うん、僕、そんなに勉強ができる方じゃないからね。数学は好きだから、中学の時は頑張ってたけど」

「それがどうして、魔法学校に?」

 訊いてしまった、と思った。話の流れで、結局訊いてしまった。訊くまいと思ったのに。

「なんでだろうね」

 そう言って芳樹は笑った。顔は見ていないが、言葉の終わりに笑いが含まれていた。

「数学が魔法に活かせたら、面白いだろうしね。あと僕、昔から小説とかゲームとか好きで、魔法使いってものに憧れてたのかも」

「ふうん……」

 そんなもんか。そうか。

 一校だからと言って、皆がみんな、自分の目標に向けて突き進んでいるというわけではない、ということか。色々な人間がいるということか。

「邪魔したな、芳樹。ありがとう」

 そう告げて、シャーペンを握り直す。

 俺はこの後、二時間ほど勉強を続け、それから疲れ果てて死んだように眠った。


 


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