Side2:第七章
第二校舎から第一校舎までは、歩いて五分とかからない近さである。しかし、その玄関口から教員室となると遠い。そもそも、教員室といっても、第一校舎には教員室がたくさんある。第一校舎は、数で言えば第二校舎の五分の一の生徒しか通っていないのに、広さで言えば第二校舎よりもひとまわり大きい敷地面積を持っていた。そのため、どれだけ設備を充実させても空間が余ってしまうので、教員の中でも教科を担当する教員には、個別で教員室が与えられていた。もちろん、教員会議を行ったり、教科を受けもたない教員の机のある、大きな教員室も別にあったが、それは「大教員室」と言われていて、「○○教諭の教員室」と言われれば、それはその教諭に与えられた教員室のことを指すのであった。
グラバー教諭の教員室は、その中でも一番遠く、五階建ての第一校舎の五階の、一番西の隅にあった。
穣が、2-Bの教室を出てから去年の記憶を引っ張り出して、どうにかグラバー教諭の教員室の扉の前までたどり着いたときには、もう校内放送がかかってから、十分以上の時が過ぎていた。
穣は、肩にかけている鞄を扉の前に下ろして、コンコンと、扉を二回ノックした。返事はなかったが、かまわず穣はノブをひねった。グラバー教諭は、ノックに返事をしない。しかし、入ってこられては困る時や外出時には必ず鍵を閉めるから、ノックして返事がなくても、鍵が開いているのであれば入って良い。元A組で、グラバー教諭の授業を受けた者が、一番最初に教諭から教わる事項がそれである。
ノブはまわった。
「失礼します」
言いながら扉を開けて入ってきた穣を、無機質な声が出迎えた。
「どうぞ」
抑揚のない声で、しわがれたり、息切れなどはしていないのに、何度も聞いた声なのに、何故か耳に違和感をおぼえる。
声の主は、部屋の奥の大机に坐っている、銀髪の老紳士である。グラバー教諭は、どうやら何か書きものをしていた様で、持っているペンに蓋をしながら、目を上げて穣へ視線を向けた。穣は、向けられた視線を、反射的についよけた。
穣に限らず、二校の生徒は皆、このグラバー教諭と視線を交わすことを嫌がる。師に対する礼を失していると、何も知らない人は思うであろうが、しかしその人も、実際にグラバー教諭に視線を向けられれば、同じ様につい余所見をしたくなるに違いない。
グラバー教諭の瞳は、周りの部位との境目がちょっとわかりにくい程色素が薄い。そのため、視線を向けられた人は一瞬、グラバー教諭が白目を剥いている様にみえるのである。それが不気味で、また見た目の不気味さに慣れても、どこを見ているのか所在のわかりづらい視線が不気味になって、皆ついそっぽをみてしまうのであった。
穣がグラバー教諭と対面するのは、だいたいひと月ぶりである。改めて、久しぶりに会ってみると、やはりこの教諭から発される雰囲気は尋常ではない。
風貌については、一目みて異常な眼を除いては、如何にも上品な歳のとりかたをした老紳士という風で、特に変なところはない。だが、その挙措には、ありありと異常がみてとれた。
「呼び出されたので来ました、冬河穣です」
穣の言葉を聞いているグラバー教諭の体躯は、ぴくりともうごかない。普通、人体は自分の意思によらず細かな挙動をしてしまうものなのであるが、このグラバー教諭に限っては、何か行動を起こすというのでなければ、指の先まで静止したまま、蝋でかためられた様に動かなかった。また、グラバー教諭は話の相槌を打たない。ノックに返事をしないのもそのあらわれで、グラバー教諭と話していると、まるで機械とでも話している様な気になる。それ程、この教諭の行動には不自然な程に無駄がなかった。その無駄は、言いかえれば人間性、情緒とも言われるもので、彼には全くそれが欠けていた。そして、そのために、グラバー教諭は、尋常ならざる雰囲気を、話す相手に感じさせているのであった。
グラバー教諭に人間味が欠けてしまっていることは、しかし不思議なことではなく、むしろ当然とさえ言えた。
グラバー教諭は、そもそも人間ではない。さらに言えばこの世界の出自ですらない。グラバー教諭は、反世界に生まれ反世界で育った、れっきとした魔物であった。
七年前、富山県の山中で、一体の魔物が発見された。その魔物は人語を解し、高い知性を持っていた。殆どの魔物は、自身の本能の赴くままに魔力を使い、被害をまき散らしながら消滅するが、この魔物の様に、理性を持ち、自身を律して長く存在を保つ魔物も、稀に存在する。そういう魔物は上級魔物と言われ、人間と交流をする者もその中にはいた。上級魔物と交渉、交流することも、魔法省の立派な仕事の一つであり、この魔物も幾多の例に漏れず、魔法省の管理の下にはいった。
「歪み」にまきこまれて正世界に誤って現れてしまった上級魔物は、どうにかまた「歪み」をみつけて反世界に帰ってもらうのが原則であるが、たまに正世界に興味をもち、留まりたいと希望する魔物も現れる。
この魔物もその類で、正世界に、人間という存在に好奇心を持ち、これを深く知り深く関わりたいと望んでいた。
そういう魔物は、一定期間魔法省の保護下で正世界の常識、人間としての立ち居振る舞いを教えられ、人間の姿を借りながら生活をする様指導される。
ここで脱落し、反世界に帰ることを選ぶ魔物もいるが、この魔物は、教えられたことを実によく理解し、こなしたので、その優等生ぶりに、魔法省の方が惚れ込んでしまった。この魔物を、野放しにしてしまうのは惜しい。そう考えた魔法省の役人は、この魔物を魔法学の教師に使おうと言い出した。
前例はあった。
二十年前、二校には「ラニスタ」という名前を貰って(魔物に名前という概念はなく、正世界で生活することを決めた時に魔法省から名前を貰う)、教師として活動していた魔物がいた。今は出世して、魔法省の幹部になっているが、彼の途を辿ることを提案したのである。
その魔物は、提案を受け容れた。教員免許を取るために専用の勉強もしなければならなくなったが、それも一年で軽々こなした。
そうしてようやく、その魔物は「グラバー」という名前を貰い、二校に赴任してのであった。
グラバー教諭の体躯は、魔法で作った模造品である。機能の面では人間と変わらないが、扱うとなると、本人が慣れていない。そのため、どうしても不自然な挙措があらわれてしまうのであった。
「何の用で呼ばれたんですか、僕は」
穣が訊いたので、グラバー教諭はようやく口を開いた。
「やあ、久しぶりダね、冬河穣。用と言う程のこともないのだよ。簡たンに済む話だ」
グラバー教諭の言葉は、聞いてるとひっかかりを覚えるところがある。突然、発音がおかしくなるのである。急に高くなったり、掠れてしまったりして、非常に聞きとりづらい。本人曰く、人間の声帯の使い方に未だ慣れないのだとのことであるが、それもまた、グラバー教諭の不気味さの演出を手伝った。
「冬河穣は、明日の放課後暇はあるか?」
変な発音が出ず、流暢に喋った時でも、必ず人をフルネームで呼んだり、相槌がなく突然話し始めたりするから、グラバー教諭の口調から奇妙さは拭えない。
「はい、暇ですよ」
「それは良かった、好都合だ。じゃあ明日の放課後、同じ時間に、この部屋二来なさい」
「わかりました。…けど、いったい何の用なんですか?」
「冬河穣と、面談をシなくてはいけなくなったんだ。冬河穣の、不登校癖につイてね」
事もなげに、全く感情の色を見せないでグラバー教諭は答えた。そのせいで、穣は、すぐにグラバー教諭に何故をぶつけることができなかった。
(続く)




