Side2:第五章
「――なあ、冬河。私達が、いや、もう他の人はどうでもいい。私が、一体どれだけお前に期待していたか、わかるか?」
「……」
「去年の、競技会の時だった。競技終わりのお前をつかまえて、約束をしたろう」
「……しましたかねえ」
「した!確かにした!私は来年生徒会長になるから、お前は私の会計になって、そろばん勘定が苦手な私を佐けてくれと。私は、伊達や酔狂であんなことを言ったんではない!なのに、お前が不登校なんかはじめるから、みろ!会計は吉沢になってしまったじゃないか!」
「それは、どうも、申し訳ありません」
「我が生徒会の面子をみたか!?6人中、5人が3年生だ!去年は3年生は4人だったのに!お前が入っていれば、3年生4人、2年生が2人。去年と同じ、いいバランスになっていたはずなんだ!」
「俺でなくても、2年の野田とか新沼とかを入れればよかったじゃないですか」
穣は、ぼんやり返事をしながら、こっそりテーブルの下で携帯をひらき、時計を確認した。8時23分。説教がはじまって、もう1時間がすぎようとしていた。1時間の間、穣は黙って美穂の大音声の説教を聞いていた。感情のまままくしたて続ける美穂の説教は、かなり疎漏なもので、同じことの繰り返しや、記憶違いがよく挟まってきたが、穣はそれに対して特に噛みつくでもなく、従容としていた。熟考の人であり、鋭敏に過ぎる神経を持っている穣にしてはめずらしいことである。普段なら、相手の言い分に少しでも間違いやおごりが見えれば、たちまちそれを見つけだして聞く気をなくしてしまうのに、美穂に対してだけは、借りてきた猫の様におとなしい。いつも気だるげな雰囲気をまとっている穣が、今ばかりは背筋まですこし正して、説教に相槌を入れている。何故であろう。
どんな人のどんな話にも、かならず熱量というものがある。それは、該切さとか言葉遣いの話ではなく、その人がその話を、どれだけ本気で話しているのか、どれだけ相手に伝わってほしいと思っているか、ということである。穣の鋭敏な神経は、特にそれを察知するのが得意で、本人が本気になっていない話をされたりすると、すぐに心のシャッターを閉ざして、右から左に流してしまう。穣は、いい加減な話をいい加減な相手といい加減にするくらいなら、沈思黙考している方を好んだ。しかし、逆に相手が本気になっていると、穣はどうにもシャッターを閉じられない。聞きたくない話や、少々のおごりが入った話でも、それをどうしても伝えたいんだ、という気持ちが感じられれば、穣はそれを耳から締め出してしまうことができなかった。そのために、幸のお節介もむげに払いのけられなかったのである。
そして川邑美穂という人は、そういう熱量がとても強かった。美穂の言葉は、その片言隻句に至るまで、全て満身で聴かせたいと思っての言である。感情が理性に先立ちがちな性格のために、ときおり言葉を詰まらせたり、言い間違いをすることがあるが、それでも美穂の演説は、その熱量のために毎回人の心をつかんだ。美穂が生徒会長に選出されたのは、彼女の成績によるものではなかった。もちろんそれも申し分のないものであったが、しかしその点においては対立候補であった大山瞭とて劣らぬものであった。美穂が大山瞭を制したのは、何よりも聴衆の心をわしづかむ、その演説によった。穣は、このあまりに図々しすぎる先輩を、苦手に思いながらも嫌いになれなかった。そしてそのために、より苦手の感を深めた。
しかし、ずっとのんびり美穂に付き合っている訳にはいかない。あと10分程で予鈴が鳴ってしまう。B組の穣は、第二校舎に行かねばならないので、どうにか早急に、この説教に幕を引いてもらう必要に迫られた。
どう言って、この席を立ったものか。穣が思案していると、美穂の後方から、こちらへ、どうも見憶えのある人がこちらへ歩いてくるのをみとめた。その人は、穣には目もくれず、まっすぐに美穂を目がけてきて、話に夢中で周囲にまるで注意がない美穂の背後にぴたりとつけた。
大山先輩。
そう、穣が声をかけることはかなわなかった。
「川邑」
大山瞭が、それよりも先に美穂に話しかけてしまったからである。
「朝からこんな所で、何をしているんです?」
感情の色が全くみえない冷たい声が、さっきまで熱にうかされた様だった美穂を、さっと醒ました。
「見ての通りだ、冬河に説教をしている」
「それはみればわかります。私がききたいのは、なんで朝の玄関口付近、一番人目につくところで、会長自ら、一不良生徒に、長々説教をして衆目をひきつけているんですか、ということです」
「それが何だ。朝に私のやるべき仕事はもうやってきてあるし、お前にそんなことを口出しされる謂われはない!」
「大いにあります。川邑、あなたどれだけの人に、あなたの半分泣きの入った様な説教をみられていたか、どれだけの好奇の視線が向けられていたかわかりますか? あなたがただの一生徒であるなら、何も言いません。けれど、あなた生徒会長でしょう? 私達生徒会の代表、ひいてはこの学校の代表なんです。すこしは体面というものを考えて下さい」
「体面なら大丈夫だ。私は道理に反したことは言っていないからな!」
「あなたの言葉ではなく、あなたの行動が、道理に反していると言っているんです」
埒が明かない、と思ったのか、瞭は美穂の制服の背をひっつかんで、無理やり立たせた。
「行きますよ、もう授業が始まります。冬河も、はやく自分の校舎に行きなさい」
穣には一瞥をくれて、冷たくそう言って、瞭は美穂を引きずる様にして階段へ行ってしまった。
「冬河ーッ!今日からでも毎日登校するんだぞッ!」
穣はそれには返事をせず、駆け足で第一校舎を出た。始業時間までは、あと5分しか猶予がなかった。
結局、穣は始業に間に合わなかった。穣が昇降口に着いた時にはもうチャイムは鳴ってしまっていた。
ホームルームの声が聞こえる2年B組の教室にガラガラ扉を開けて、穣が入ってくると、教室はかなりざわついた。
「遅刻しました。どうもすみません」
ざわめきをかき消す様に、穣は教師に向けて言いはなち、次々注がれてくる視線を全く無視して、自分の席に着いた。
ホームルームの間、穣はずっと、さっきまで美穂の説教を聞いていた時とは対照的に、ぼーっと宙空を眺めていた。
そういう穣を、クラスメイト達は恐怖の対象としてみていた。元A組で、学年主席の成績を残していた、自分達とは全く異なる世界にいた人が、今教室の後ろで不機嫌そうに腕を組んで、物思いに耽っている。明るい金に染まった髪と、穣が常々出している気だるげな雰囲気があいまって、周囲の者は威圧されている気分になった。ホームルームが終わっても、穣に近づこうとする者すらいない。穣にとっては好都合である。今日は少し早起きをしてしまったし、寝ておこうか。
そんなことを考えて、机に臥せようとした時、女の声が降ってきた。
「冬河君……だよね?」
みると、同じクラスの女生徒が目の前に立っている。
「私、学級委員の下田 継子。冬河君、クラス委員決めの時、来てなかったよね?私、学級委員になったから、わからないこととかあったら、何でも聞いて!まあ、冬河君には、あんまりわからないこととかないかな、なーんて」
今の穣に話しかけるのには、かなり勇気が要ったのであろう、継子の口調は少々まくしたてる様な早口で、貌は緊張のために紅潮していた。
「はあ、それはどうも」
穣はそれだけ言って、また机に臥せてしまった。それ程、継子という人間に興味が湧かなかったのである。特に聞かねばならぬこともないので、穣はあっさりと、自分の睡眠欲を優先した。
継子は、何かまだ言いたそうであったが、穣が寝てしまったので、これ以上声をかけることもできず、少しおろおろしてから、悄然として、自分の席に戻った。すぐに、隣の友人が継子に話しかけてきた。
「継子、よくあの人に話しかけられたね」
「うん……あんまり悪い人ではなさそうだし、今も怒ったりとかはされなかったよ。すぐ寝られちゃったけど」
「怖くないの?」
「怖いけど、ほら、私学級委員だし。困った時には、頼ってもらわないといけないから」
「あんた、真面目だねー」
その内に、さっき出ていった担任の教師が、授業の準備を整えてまた入ってきた。
継子の、授業開始の号令は間もなくなされたが、穣の目を覚ますことは能わなかった。
(続く)




