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Side2:第四章

 一夜が明けた。

 穣は、幸との約束を守るため、すこし早く起きて、登校した。歩いて5分程のところにある駅から、満員電車に10分揺られると、二校の最寄り駅に着く。改札を出たところで、穣は携帯の時計をみた。7時2分。二校の始業時間は8時40分であり、ここからの徒歩の時間を含めてみても、ずいぶんと早い登校である。しかし、穣はそれを確認したうえでも、すこし早足気味で駅を出た。穣には、すこしでも早く登校したい理由があった。

 駅の北口を出てから、道なりにまっすぐ5分ほど歩くと十字路に行きあたる。そこを右へ行って、また5分ほど歩けば二校がある。駅からの通学路は、殆どが直進で占められているが、しかしなかなか大変な道程である。なにせ二校は都心にある。すこし歩けば皇居や官公庁街に着いてしまう様な土地にあって、学校付近はオフィス街である。駅も道も、ずっとサラリーマンやOLで混雑していて、整備されていない田舎道よりも歩くのに不便である。加えて、信号も交通量も多い。なので、駅から徒歩10分を鵜呑みにして遅刻寸前に駅に着いてしまうと、痛い目をみることになる。

 ただ、穣はそれを用心して早く登校しているのではない。遅刻など、穣が不安に思っていることに較べたら些細なことで、あとで幸に何かしら小言を言われるであろうが、一言謝ればそれで済む。穣には今、もっと厄介で、もっと面倒くさいことがふりかかるかもしれないのであった。

 二校の正門が見えてきた。正門から入ってすぐにあるのはA組のはいっている第一校舎で、現在B組に属する穣は、それを横切ってもっと先の第二門から入り、第二校舎へ行かねばならない。A組でもないのにうっかり正門をくぐったりすると、咎められたりはしないが、変な目で見られることは間違いがない。

 穣は、正門を見ない様に、まっすぐ前方に視線と頭の向きを固定して歩いた。そして、何事もなく正門を通りすぎられることを、すこしだけ願った。だが、日頃の不信心のせいか、穣のそのささやかな願いはかなわなかった。正門を通りかかるや否や、穣の耳に聞きなれた大声が突き刺さってきた。

 「冬河ッ!!!」

 女の声ではあるが、キンキン響く金切り声の感じは一切なく、むしろ聞いたものが耳をふさぐよりも思わず居ずまいを正してしまうような、筋の通った清澄な声であった。正門前を通るのは、二校の学生だけはない。前述したとおり、二校の通学路はそのまま多くの人の出社路なのである。すわ何事かと、多くの人の視線が声の主に注がれた。穣だけが、その声を聞きながら、そちらへ視線を向けなかった。穣は、ただひとつちいさくため息をついて、その場へ立ち止まっただけであった。

 「冬河ッ!冬河穣ッ!」

 声の主は、穣が声にしっかり反応しながら、しかし返事に該当する行動をひとつもとらないので、ずんずん名前を呼びながら近づいてきた。

 とうとう五歩の距離まで近づかれたところで、穣はようやく、声の主と正対した。

 声の調子からすでに怒気は感じられたが、みれば彼女は全身に怒気をみなぎらせている。ぴんと伸ばした背筋と、ぐんと張った胸と、嚇とつりあげた眼とで、満身を使って憤りを表現していた。彼女の背後にたなびく長い黒髪は、怒気で揺らめいている様にみえる。

 「……どうもおはようございます、川邑先輩」

 穣は、自分が厄介ごとから逃れられなかったことを静かに悟り、やるせなさをたっぷりと含ませた返事をした。

 「おはよう、冬河」

 川邑(かわむら) 美穂(みほ)は、怒気をいったん隠して挨拶を返した。挨拶はコミュニケーションの第一歩である。これを疎かにしてはいけない、というのは、美穂の数多い信条のうちの大事なひとつである。

 「お久しぶりですね、それでは」

 そう言って、穣はくるりと美穂に背を向け、挨拶をするためにできた僅かな隙をついてこの場からの脱走を試みた。しかし、それはすこし遅かった。もうすでに、美穂の挨拶は終わってしまっていて、歩きだそうとした穣は、長い指にがっちりと肩を掴まれた。

 「貴様ァ……久しぶりだと!?誰のせいで久しぶりだと思っている!」

 美穂の声に怒気が戻ってきた。

 「毎日同じ学校に通っていて、どうして久しぶりになることがあるんだ!言ってみろ冬河!」

 「……学年も違うし校舎も違う。ましてや一般生徒と生徒会長様なんだから、そんなこと珍しくないんじゃないですかね」

 「姑息な言い訳を言うな!毎日正門の前で挨拶をし、毎週朝礼で壇上でスピーチを行う私に、久しぶりの生徒なぞ一人もいるわけがない!そう、いるわけがないんだ、まともに通っていればな!」

 そこまで言って、美穂は言葉を切って息を整えた。ずっと、全力の大音声で喋っているのである。長い台詞を言うと、美穂はよく息を切らした。ボリュームをセーブして喋ればいいのに、と穣はこの先輩と話すたびに思っていた。ふうと息をついてから、美穂はさらに大きな声を穣にぶつけた。

 「貴様、何故学校に来ない!!」

 穣は、すぐには答えなかった。遠巻きになげかけられる多くの視線を感じていたからである。ちょっと脇見をすると、学生だけでなく、社会人まで、穣と美穂のやりとりをみていた。長く優等生をやっていた

穣は、視線を向けられることは苦手ではなかったが、好んでもいなかった。

 「先輩。ちょっと、場所を変えませんか。ここじゃあ、ちょっと……」

 「場所を変えるだと?お前は場所によって心が変わるのか?」

 「そうでなくてですね……こんな往来の真ん中で、プライベートな話はするべきではないんじゃないでしょうか」

 穣がそう言うと、さっと美穂の貌から怒気が消えた。

 「そうか、なら校舎に入ればよいのだろう。ついてこい」

 くるっと踵を返して、美穂は第一校舎へ歩きはじめた。穣は一瞬、この隙をついて逃げることを考えたが、すぐに打ち消した。そうしたところでそれは問題の先送りにしかならず、むしろ放課後、たっぷりの時間をつかって説教されるかもしれない。そうなるよりかは、今この限りある朝の時間のうちに、説教を済ませておいてもらうほうが良い。穣は、嫌々、という風を満身に漂わせながら、美穂の後へ従いた。

 並んで歩いていると、この二人はかなり目立つ。二人とも背丈が高く、特に女丈夫、という感じの美穂はかなり目をひいた。なにせ美穂は、人並みよりも高い背丈を持つ穣と、それ程変わらぬ背丈を持っていた。その凛とした女丈夫が、この学校では珍しいド金髪の不良少年を連れて歩いている。そして、よくよく見ればその女丈夫は、自分たちの生徒会長なのである。好奇の目が向けられるのも、無理のないことではあった。

 「坐れ」

 正面玄関から入ってすぐに、カフェテリアがある。まだ時間が早いからか、人は一人もいない。六つ並んだテーブルのひとつに美穂は腰かけて、穣に着席を促した。言われるがまま、穣は、荷物を足許において、席に着いた。

 「何故、学校に来ない」

 すこし時間を置いたためか、美穂の声は、かなりボリュームが下がっていたが、怒気は消えていない。

 「四回目だ。私はもう、同じことを四回も訊いている。その度、お前ははっきり答えなかったな。自分でもわからないとか、何でか行きたくないとか、ぐだぐだと言い連ねるのみだった。また、そうやってやりすごそうとする気か?」

 「いえ、そんなつもりは……」

 「しかし、今日という今日はやり過ごさせんぞ!いつもは、朝の仕事があるからどうしても長い時間話せ

なかったが、今日は違うからな。昨日渕原からのメールで、お前が今日来ることは知っていたからな。昨夜のうちに今朝の仕事は全部済ませてある!始業までは……あと一時間くらいか。それまで席を離れられると思うな!」

 「……はい」

 声の調子は、もう元通り大きくなっている。穣は、もう30分早く家を出るんだったと、心中悔やんだ。



(続く)

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