春の残雪
『1.0 雪の果、春の光』の後日談。
ひーちゃんとは子供の頃からずっと一緒で、すごく仲が良くて、大人になっても絶対に離れたりなんてしないと思ってた。――あの日までは。
こうやって手を触るとさ、あったかいんだよ。ちゃんと生きてる。まだ生きてるんだよ。眠ってるだけ。眠ってるだけだから――いつか、目を覚ましてくれるんじゃないかって、また笑ってくれるんじゃないかって、たまにそんなことを考えるんだ。
たとえ目を覚ましても――ひーちゃんが私に笑ってくれるなんてこと、もうあるはずがないのに。
「星河灯雨――雨と雪、か。友達だったのなら、ユキのことを恨んでなんていないだろう」
……自信が、ないんだ。
純粋な気持ちで一緒にいられたあの頃とは、何もかも変わってしまった。ひーちゃんの笑った顔も、怒った声も、時間が経つにつれてどんどんあやふやになっていってしまう。忘れたくなんてないのに、ひーちゃんを置き去りにして時間は進んでいく。
ひーちゃんの気持ちも――私の気持ちも、どれだけ確かだったか、何が本当だったか、自信がないんだ。
もしかして、私達は友達ですらなかったんじゃないかって――あの頃の思い出は全て幻で、ひーちゃんは私を憎んでいて、きっと目を覚ましたら私を――
「ユキ。お前はいつか、そうやってあたしのことも忘れるのか。友達だったことも――姉妹だったことも、忘れる気なのか」
え――
「あたしは絶対に忘れない。砂原雪花と友達だったことを、死んでも忘れたりなんかしない。しっかりしろ。お前は星河灯雨と友達だったんだろう? 想いが変わっても、その事実だけは永遠に変わらない真実だ。星河灯雨だって、お前と友達だったことを――今も忘れたりなんてしていないはずだ」
…………。
「もし――もしそれでも、星河灯雨がお前を恨むというなら、その分だけもっともっとあたしがお前と友達になってやる。友達と姉妹は両立できるから安心しろ、ユキ」
……言ってること、ちょっと変じゃない?
「笑うな」
でも、友達――か。
私がひーちゃんにしてたことは、友達にするようなことじゃないけどね……。
「何?」
いや――なんでもない。
ありがとう、春。
……黎さんのことを、悪く言ってるんじゃないんだ。
黎さんのことは――もう、受け止めたから。
だからこれは――私の問題。
春だから言うんだよ。
私に大切なことを話してくれた春だから、私も話そうと思ったんだ。
私さ――嬉しかったんだよ。春が、自分のことを話してくれたことが。
だから私も話そうと思ったんだ。
私のことも。
ひーちゃんのことも。
ちゃんと、春に話したいと思ったんだ。
もっとも、私の力のことはもう知ってるだろうけどね。
「いつか――目を覚ますといいな」
うん……。
そのために――私は天神にいるんだ。
たとえ組織にとって、私がただの研究対象でしかなかったとしても……。
「ユキは、これからどうするんだ。今は姉様の仕事を手伝っているけど」
高校へ通うのを理由に施設を出た時、条件があったんだ。黎さんを監督者にすること。月一回メディカルチェックと能力テストを受けること。
私もよく知らないんだけど、どうやら〈神世七代〉からの指示でもあるらしい。
「天神の上層部が、姉様にユキを託したということか?」
黎さんはきっと、私達が思っている以上に天神で影響力を持ってるのかもね。ボレアスから来て数年で、国守さんと並ぶ地祇の双璧って言われてるんだから。しかも、神世七代との繋がりもある。
「なんだか――心配だ。姉様はともかく、これからはユキも危険な仕事をしていくのか」
わからない。
けれどきっと、そうなるんじゃないかな。
天神が黎さんに私を預けたのは、なるべく多くの実戦を経験させたかったからだと思う。私が早く力を操れるようにね。そしてそれは、黎さんの思惑とも一致していた。
――黎さんが言ってた。天神は、私の頭の中にいる化物のデータをほしがってる。だからその実験のために、これから前線に立つことが増えるかもしれないって。
でも――構わない。
これが私の選んだ道だから。
もう逃げたくないんだ。
春や黎さん――それにひーちゃんにも、情けない姿は見せたくないしね。
「ユキは偉いな。ちゃんと過去と向き合って、前へ進もうとしている。家を出て、過去を切り捨ててしまったあたしとは大違いだ」
違うよ。そうじゃない。
春が道を示してくれたんだ。
私に手を差し伸べてくれたのは春だよ。
春のおかげで――春と出逢えたおかげで、私は歩き出せたんだ。
それに――春だってずっと戦ってきたんだ。
春には幸せになる権利がある。
黎さんと私がいる限り、春を不幸になんてさせない。
「それなら――お前の幸せはどこにあるんだ。あたしだけもらってばかりなのは気に入らない。あたしはお前に――姉として何ができるんだ」
――私ね。
お母さんのことを調べてみようと思ってるんだ。
「ユキのお母さん――六花さん、のことをか」
そう。
私、お母さんのことを何も知らなかった。
黎さんから聞くまで、お母さんが天神の研究員だったってことすら知らなかった。
黎さんの話では、お母さんは組織の中心に近いところにいたらしい。神世七代――いや、もしかしたら別天神にすら――
「ユキ」
春は、傍にいてくれるだけでいいよ。
それだけで私は、十分幸せだから。
家族ができて嬉しいのは、私も同じ。
だから春は――私と黎さんの日常でいてほしいんだ。
春は、私達が一度は喪った――大切な宝物だから。
「――――」
不思議。
ひーちゃんの傍で、誰かとこんなことを話す日が来るなんて思いもしなかった。
「ユキ、苦しいぞ」
あー、なんかすっきりした!
ありがとう、春。
私の痛みを――もらってくれて。
いつか、三人でアメリカに行きたいな。
春が見てきた風景を、私も見てみたい。
「アメリカ……。そうか――そうだな。あたしもいつか、彼岸西風に帰る日が来るのかな。姉様はどう思うかわからないけれど――涅槃西風には、会ったことのない父様がいるし」
成長した春の姿を見たら、びっくりするんじゃないかな。こんなに綺麗で美人に育ってるんだもん。
「姉様とユキって、そういうところが似てるな……」
褒め言葉かな、それ。
――時に春日子さん、黎さんとは今どうなんですか。
いつもいちゃいちゃしているみたいですが。
「い、いちゃいちゃなんてしていないぞ。姉様がものすごく優しくなったのは――たぶんほら、今までのあれがあるから……」
好きな人とキスしたり、手を繋いだり、抱き合ったり――どんな気分なのかな。今度黎さんに訊いてみよっと。
「す、好きな人って……姉様はただ妹のあたしを可愛がってくれているだけだ」
あの人最近変態だからなあ……。
「おい」
――さ、帰ろうか。
黎さんが待ってる。
「何か納得がいかないが……」
またね。
ひーちゃん。
◆
雪は解けて、春になった。
春の陽射しは眩くて、優しくて――その温もりに満たされた揺籃の中で、美しい花達が産声を上げている。
明るい春。
煌めく春。
私は今、間違いなく春の中にいた。
しかし――日陰に目を向けると、奴等が腕を伸ばしてくるのだ。
私を闇へと引き摺り込むように。
私を冬へと連れ戻すかのように。
――残雪。
春になっても解けない雪。
それは季節を呪うように――決して解けることなく冬を叫び続ける。
その雪を解かすのは、春の光ではなく――
〈了〉
別れるためだけに出逢ったわけじゃないとー




