壱‐3
「入ってよ~、早く早く!」
ドアを開いて、中から少女が言う。
手を引かれなくなったと思ったら、今度は中へと急かされる。
大人の目線の高さにある名札をよく見ようとして立ち止まっていたが、促されるままに室内へ。するとそこには、
「ようこそ! ここが私のお城だよ!!」
まず、ぬいぐるみが沢山あった。数える気にもならないけれど、もしかすると五十個くらいあるのかも。大きいものから小さいものまで、全部が全部、ベッドのほうを向いて飾られていた。
「凄いでしょ? ね、凄いでしょ!?」
「う、うん……」
ある意味異様とも言える空間に、僕は気圧されてしまう。
病院だというのにカーテンやベッドシーツすらピンク色で、六人部屋よりはやや小さいがそれでも一人では持て余すだろう広さ。子供心に、彼女の親は結構な名士か金持ちだと予想が付いた。
「なによぉ、凄いでしょ!」
僕のリアクションが不満だったのか、彼女はちょっと不機嫌になり、先ほどと同じ言葉を違うニュアンスで言った。
「うん、凄い、ね」
僕は歩いて窓際に寄る。そこから見えるのは、僕のベッドからの景色と同じ高さだけれど、向きが違った。
山側を向いていて、今はまばらだが、きっともうすぐ全面に紅葉が美しく眺められるようになるはずだ。人など、どこにも見当たらない。
と、彼女が横から手を伸ばしカーテンを閉める。
振り向くと、彼女が口を尖らせていた。
「外なんかいいじゃない。どうせ出られないんだし」
「うん、そうだね」
眺めているだけじゃ詰まらないのは分かる。僕だって一日で飽きた。でも、僕は彼女のその言葉に、何か薄ら暗いものを感じてしまう。
――外に出たくないはずが無いのに。
「そんなことより、お話しましょ! どうぞ座って!」
「うん」
「シュウヤくんは幾つなの?」
「十歳。小四だよ」
「え、やった。同い年だね、嬉しいなぁ!」
ベッドに並んで座って、とめどなく喋る。
二人きりになっても彼女は元気が良かった。僕が言葉少なに返しても、彼女は質問を倍にして戻した。
僕は、色んなことを彼女に話した。
学校のこと。友達との遊び、怪我の原因、好きな給食、流行っているテレビ、面白い先生の口癖。
家庭のこと。どんな家に住んでいるか、家でなにをして過ごすか、母親との関係、母親の仕事、母親が作ってくれるご飯で好きなもの、母親のことを好きかどうか。
彼女は僕に質問をするばかりで、あまり僕から尋ねることは出来なかったけれど。どうしても気になって一つだけ聞いてみた。
「キミは、お母さんは?」
「……」
「……」
「ねぇねぇ、それよりさ! この部屋にあるぬいぐるみ、どれが好き?」
「……ん~、えっとね」
そうだろうとは思ったけれど。母親のことを随分聞いてくるし、その割りに自分の方は話さないし、僕の母さんに会ったとき視線を合わせようとしなかった。嫌いなのか、それとも居ないのか、なんにせよ聞かれたくないんだろう。――それでも僕だって父親が居ないんだから、共感してあげることだって出来るのに。
話を逸らされたのは明らかだが、付き合ってあげようと立ち上がり、ケンケンでぬいぐるみを見て回る。窓際、チェストの上、枕元。
話をした末にこうして部屋を見ると……何やら寒々しく見えてくる。
カーテン越しに差し込んでくる夕日(来たときは四時過ぎだったが、既に六時が近い)、部屋の電球は点いているが心もとなく、部屋は赤に染まっている。染み一つ無い壁紙は元より、ぬいぐるみもベッドに座る彼女も、全てが暗い赤に満たされていた。
入院したときの血液検査でこんな色を見たな、と思い出す。
そしてついでに、ベッドの横に点滴用の機器が輝いているのに気付く。
もう一つ、そう言えば誰もこの部屋に来ないことにも。二時間以上が経っているのに。病院としてはそれが普通かもしれないけれど、そもそも子供を一人にして心配じゃないんだろうか?
綺麗に整えられた、人形のための部屋のようだ、と思った。
「ねぇ、どれが好きなの~?」
待っているのに飽きたのか、彼女が近づいてくる。
「あ、う、うん。これかな」
言われて慌てて手近にあったものを指せば、フワフワのライオンだった。着せ替え人形などでなくてまだしも良かったが、それでもデフォルメされすぎて目がクリクリとしたライオンはなんとも可愛らしく、僕の趣味ではなかった。
……男の趣味に合うようなものは、元よりこの部屋には無かったが。
「ふぅん?」
首を傾げられる。急に選んだから、何か怪しまれたのだろうか?
「――うん、良いよ、あげる」
ライオンを手渡してくる。強引に手の中に押し付けられ、受け取ってしまう。
「え」
「あげるよ。友達の証ね!」
「い、いいの?」
「うん!!」
笑顔の少女。僕としては別に要らなかったけれど、その顔を見ると断りづらかった。
「分かった。ありがとう、貰っていくね」
「大切にしてね?」
「勿論だよ」
「あと……明日も、遊んでくれる?」
ほぼ同じ高さの目線の彼女。懇願するように、不安げに。
その頬の赤みは、夕日のせいか、緊張ゆえか。
そんな顔をされてしまえば、選択肢なんて無いも同然だ。
「うん、良いよ」
「!! やった、約束ね!」
僕の手を取り、小指同士を絡ませ上下に振る。ぶんぶんと力強く何回も振るので、思わずよろけてしまう。
よろけついでに、ベッドに立てかけてあった松葉杖を取りに行く。
「明日、迎えに行くね! 待っててね! 絶対だよ!」
「うん、待ってる」
「じゃあね、ご飯いっぱい食べてね!」
「うん、じゃあね」
部屋を出て、ドアを閉めながら手を振る。あんなにはしゃいで、まるで子供みたいだ。大人ぶりたい年頃の僕は、そんなことを思いながら歩き始める。
と、閉めたはずのドアが開き、彼女も外に出てきた。そして後ろから激しく手を振ってくる。
時々振り返って手を振りながら、僕は歩き去った。
(……もしかして明日は、一日中付き合わされるかも)
なんてことを思いながら。
ちなみに、戻ってすぐに部屋に夕食が配膳された。
僕は考えていなかったけれど、この時間を見計らって帰してくれたのだとしたら。
『ご飯いっぱい食べてね!』
彼女は、思ったより大人なのかもしれない。
そんなことを思った。