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第5節:真実の追及 〜深夜の制作室で暴かれる「ゴースト」の正体と、無能な女王に叩きつける氷の皇帝の絶縁宣言〜

第5節:真実の追及 〜深夜の制作室で暴かれる「ゴースト」の正体と、無能な女王に叩きつける氷の皇帝の絶縁宣言〜



深夜。都会の喧騒が消え、静寂が支配するルミエール本社。

再建コンサルタント・神宮寺煌の仮オフィスには、青白いPCの光だけが灯っていた。


デスクの上には、ルミエールの過去三年間におけるすべてのデザイン画と、その『型紙パターン』の履歴が並べられている。


「……やはり、そうだ」


神宮寺は、冷徹な瞳を細めた。

彼はこれまでのキャリアで、世界中の名だたるデザイナーと渡り合ってきた。

だからこそ、美神麗奈の作品に抱いた『違和感』の正体を、数字と論理で解体していく。


「美神のデザイン画は、解剖学的に見てゴミだ。重心が狂い、布の特性を無視している。この絵の通りに縫えば、モデルは一歩も歩けず転倒する。……だが」


神宮寺は、実際の製品化されたドレスのパターンデータを画面に呼び出した。


「製品化された服は、奇跡的なバランスで成立している。……この『埋められない空白』を埋めている人間が、別にいる」


彼はパターンの隅、ごく僅かな余白に注目した。

そこには、丁寧な、しかし迷いのない筆致で、ミリ単位の修正指示が書き込まれていた。


『ここ、布さんが窮屈がっています。あと2ミリ、外側へ逃がしてあげてください』


「……これだ。布の伸びを計算し、モデルの動きを先読みした、緻密な計算。これはもはや数学であり……祈りだ」


神宮寺は、先ほどゴミ箱から拾い上げた『端切れのスケッチ』を横に並べた。

筆跡は、完全に一致している。


「ルミエールという巨大な船を、水面下でたった一人で支えていたエンジン……。その正体は、あの日陰の少女だったか」


確信が、神宮寺の胸を熱くさせた。




   ◆ ◆ ◆




同時刻。地下にある制作室。

華やかなデザイナー室とは正反対の、ミシン油の匂いと布の埃が染み付いた場所。


明かりが一つだけ灯るその部屋で、紬は一人、ミシンに向かっていた。


「……よし、これで布さんも、呼吸ができるようになるね」


麗奈から押し付けられた『掃除』と『明日までの無茶な修正』。

紬は疲労で目をこすりながらも、丁寧に針を動かしていく。


彼女が行っているのは、麗奈がモデルの体型を無視して引いた無理なラインを、着る人が苦しまないように微調整する作業だ。

地味で、誰にも気づかれない。だが、これがなければルミエールの服は『服』ですらなくなる。


「もうちょっとだけ、頑張ろうね。明日、モデルさんがこの子を着た時に、痛くないようにしてあげたいから……」


(私、パタンナーだもん。布さんに嘘はつけないよ)


紬にとって、これは搾取でも残業でもなかった。

ただ、目の前の布に対する、誠実さという名の『仕事』だった。




   ◆ ◆ ◆




カツ、カツ、カツ。


音もなく、神宮寺が制作室に現れた。

彼は紬に声をかけず、影からその作業を注視する。


その時、神宮寺は目撃した。

紬が布を手に取った瞬間、彼女の周囲の空気が、ふわりと黄金色に輝いたような錯覚を。


(……っ!?)


神宮寺の目には、紬の指先から柔らかな光が溢れているように見えた。

紬は型紙も使わず、布の『重み』と『流れ』だけで、完璧なシルエットを立体的に構築していく。

その指先の動きは、もはや職人の域を超え、指揮者が音楽を紡いでいるかのようだった。


(信じられない……。あれはドレーピング(立体裁断)の域を超えている。布と対話しているというのか?)


世界屈指のメゾンですら見たことがない、野生の天才。

神宮寺は、自分が今、歴史的な瞬間に立ち会っていることに武者震いした。




   ◆ ◆ ◆




「ちょっと、何やってるのよ! この泥棒猫!」


不意に、酒の匂いをさせた麗奈が、取り巻きを引き連れて制作室に乗り込んできた。

神宮寺に無視されたストレスを、紬にぶつけに来たのだ。


「先生……! お疲れ様です、まだ作業の途中で……」


「うるさいわね!」


麗奈は、紬が丁寧に縫い直していたジャケットを奪い取ると、そのまま床に叩きつけ、ヒールで踏みにじった。


「何よこのライン! 私の『芸術』を殺す気!? あなたみたいな日陰のネズミは、私の言う通りに縫っていればいいのよ!」


「でも……麗奈先生。このままだと、モデルさんの呼吸が苦しくなってしまいます。脇のラインをあと少しだけ逃がさないと……」


「ガマンすればいいのよ! ファッションは私のためにあるんだから! あんたの汚い考えを私の服に混ぜないで!」


麗奈が紬の頬を張ろうと、手を振り上げた――。


「その通りだ。お前のデザインは、お前の歪んだ自己愛のためにある」


「……っ!?」


闇の中から響いた、氷のように冷たい声。

神宮寺煌が、ゆっくりと光の中に姿を現した。


「し、神宮寺さん!? な、なぜこんな地下に……。あ、これは、その、不出来な部下を指導していたところでして……」


一瞬で顔を真っ青にする麗奈。

神宮寺は彼女を一瞥もせず、床に落ちたジャケットを拾い上げ、埃を丁寧に払った。


「美神。この服のどこに、お前の引いた線がある?」


「え……? それは、私の描いたデザイン画を元に……」


「嘘を吐くな。この絶妙な肩の傾斜も、脇のゆとりも、すべて柚木紬が『お前の無能』をカバーするために生み出したものだ」


神宮寺は、持っていたタブレットを麗奈の目の前に突きつけた。

そこには、彼が解析した過去のパターンデータが赤裸々に表示されている。


「ルミエールが過去三年間で得た利益の八十パーセントは、お前のデザインではない。柚木のパターンによる『着心地の良さ』が生み出したリピーターによるものだ。数字が、そう証明している」


「…………なっ」


麗奈は言葉を失い、絶句した。

自分の名声が、すべて『日陰のネズミ』と見下していた少女に支えられていたという事実。

それが、最も認めたくない相手から、最も残酷な形で突きつけられたのだ。




   ◆ ◆ ◆




神宮寺は、呆然と立ち尽くす紬に向き直った。


「柚木、君は……自分の価値をわかっていないのか?」


「え……? 私、は……ただ、布さんが可哀想で……。麗奈先生のお手伝いをしているだけで……」


「君がこの三年間、誰にも気づかれずにやってきたことは、世界を支えるに値する至高の仕事だ。……ルミエールという沈みかけの泥舟を、君一人の指先が繋ぎ止めていたんだよ」


「私の……仕事が、会社を……?」


紬の瞳に、初めて涙が浮かんだ。

『誰でもできる雑用』。そう言われ続けてきた三年間。

その日々を、この氷の皇帝が、誰よりも深く、正しく肯定してくれた。


神宮寺は、紬に向かって右手を差し出した。


「柚木紬。君はこの泥沼にいるべき人間じゃない。偽物の盾にされる日々は、今この瞬間、終わりだ」


「神宮寺さん……」


神宮寺は、麗奈を一瞥して言い放った。


「美神。お前はもう終わりだ。明日、親会社に報告を入れる。お前の契約は解除、並びに過去の手柄横取りに関する損害賠償の請求も検討させてもらう」


「そ、そんな! 待って、神宮寺さん! 私がいなきゃルミエールは――!」


「ルミエールなど、どうでもいい。……俺が欲しいのは、本物だけだ」


神宮寺は、紬を真っ直ぐに見つめた。


「紬。俺と一緒に来い。君が『布の声』を世界に届けるための、最高の場所を用意した。……そこで君は、ただ好きな服を縫えばいい」


紬は、震える手で、神宮寺の温かな手を取った。


「私……布さんたちを、もっと笑顔にしてあげたいです。……神宮寺さんと、一緒に」


「……ああ。約束しよう」




   ◆ ◆ ◆




夜明けの光が、地下の制作室に差し込み始める。

ルミエール本社の前に停められた、最高級のリムジン。


神宮寺にエスコートされ、紬は生まれて初めて、後部座席に座った。

窓の外では、すべてを失った麗奈が絶叫し、警備員に引き離されていく。

それは、偽りの女王の最期と、真の天才の誕生を告げる美しい夜明けだった。


リムジンが滑らかに走り出す。

ふと、紬がシートの革を優しく撫でて、クスクスと笑った。


「どうかしたか?」


「あ……。このシートの革さん、すごくいい声で鳴いてます。『かっこいい人に座ってもらえて嬉しいな』って」


「…………」


神宮寺は一瞬、呆気に取られたように目を見開いた。

だが、次の瞬間。

氷の皇帝と呼ばれた男が、子供のように声を上げて笑った。


「ハハッ……! 革の声、か。なるほど、俺の選美眼よりも鋭いらしい」


神宮寺は、自分の隣で無邪気に笑う紬を、愛おしそうに見つめた。


(合理主義の俺が、まさかこんなにも一人の少女に突き動かされるとはな……)


彼は心に誓った。

この純粋すぎる指先が、二度と誰かに踏みにじられないように。

世界で一番幸せなデザイナーにしてみせる。


それが、神宮寺煌の、新しい人生の『仕事』になったのだ。


「紬。まずは……君のためのアトリエを、日暮里の近くに見に行こうか。君の好きな布たちが、待っている場所だ」


「はい! 神宮寺さん!」


新時代の幕開けを予感させる光の中、二人の物語が、今ここから始まった。

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