第4節:ゴミ箱の中の至宝 〜豪華絢爛なデザインを「産業廃棄物」と切り捨てる皇帝と、ゴミ箱の底で拾い上げた「奇跡の布」の感触〜
第4節:ゴミ箱の中の至宝 〜豪華絢爛なデザインを「産業廃棄物」と切り捨てる皇帝と、ゴミ箱の底で拾い上げた「奇跡の布」の感触〜
ルミエール本社、最上階。
そこは『特別デザイン室』と呼ばれ、選ばれたトップデザイナーのみが入室を許される、ブランドの聖域だった。
白大理石のテーブルの上には、美神麗奈が自信満々に並べた次期コレクションのデザインボードが、眩い光を放っている。
「見て、神宮寺さん。これがルミエールの進むべき道よ。圧倒的なラグジュアリー。スワロフスキーを何万個も散りばめたドレスに、この奇抜なカッティング。SNSで映え、世界中のセレブが奪い合う『夢』のデザイン。これこそが、停滞した我が社を救うわ」
麗奈は自分の才能に陶酔し、うっとりとボードを眺めている。
その横で、紬は黙々とモデル用のサンプルを片付け、麗奈が飲み散らかしたティーカップを回収していた。
「……あ、そこの掃除婦」
麗奈が、顎で紬をしゃくった。
「喉が渇いたわ。最高級のハーブティーを淹れてきて。あ、あなたみたいな安物の舌しか持たない人間に、あの繊細な香りが引き出せるかは疑問だけど?」
「……あ、はい。すぐに失礼します」
紬は小さく頭を下げ、部屋を辞そうとする。
麗奈はそんな紬を嘲笑い、神宮寺に同意を求めるように視線を送った。
だが、神宮寺は紬の背中を一瞥しただけで、すぐにテーブルの上のボードへと視線を戻した。
◆ ◆ ◆
神宮寺は、麗奈のデザインボードを一枚一枚、指先で弾くようにめくっていく。
その表情は、感動どころか、深い嫌悪感に満ちていた。
「……神宮寺さん? どうしたの、あまりの素晴らしさに言葉が出ないのかしら?」
期待に胸を膨らませる麗奈。
だが、神宮寺の口から出たのは、氷よりも冷たい宣告だった。
「……美神麗奈。君はこれを『夢』と言ったが、俺の目には『悪夢』にしか見えない」
「えっ……?」
麗奈の笑顔が、凍りついた。
神宮寺は、まるで解剖医が死体を検分するかのような冷徹さで、そのデザインを論理的に解体していく。
「まず、このカッティング。解剖学を無視している。これではモデルは腕を15度以上上げられない。次に、この過剰な装飾の重量。着用者はわずか30分で脊椎に過度な負担を負い、呼吸困難に陥るだろう。……これは服ではない。ただの『拷問器具』だ」
「な、何を言うの! ファッションはガマンよ! 美しさのために機能性を捨てるのがオートクチュールの――」
「黙れ」
神宮寺の鋭い一喝が、部屋の空気を切り裂いた。
「本質のないデザインなど、ゴミに等しい。今のルミエールに必要なのは、着る者の人生を豊かにする『仕事』だ。お前の自己顕示欲を満たすための『産業廃棄物』ではない」
神宮寺はそう吐き捨てると、テーブルの上のデザインボードをすべて、鷲掴みにした。
ガシャアアアアアンッ!!
そのまま、部屋の隅にある大型のゴミ箱へ、音を立てて投げ捨てたのだ。
◆ ◆ ◆
「あ……ああ……っ」
自分の『魂』と呼んだデザインを、文字通りゴミ箱に捨てられた麗奈は、ショックでその場に崩れ落ちた。
部屋中に、死のような静寂が広がる。
神宮寺は彼女を一瞥もせず、部屋を立ち去ろうとした。
その時だった。
ふわり。
投げ捨てられた衝撃で、ゴミ箱の中から一枚の、薄汚れたスケッチが風に煽られて舞い上がった。
それは、ひらひらと神宮寺の足元へ落ちる。
「……?」
神宮寺は、眉をひそめてその紙を見つめた。
それは、先ほど麗奈が紬から奪い取り、コーヒーをぶちまけて捨てた、あの『端切れのスケッチ』だった。
神宮寺は何気なく、その紙を拾い上げようと指を伸ばした。
その瞬間――。
(……っ!?)
指先に、微かな電流が走ったような感覚を覚えた。
◆ ◆ ◆
汚れ、端が破れたその紙に描かれていたのは、麗奈の派手なドレスとは真逆の、究極にシンプルな『ルームウェア』の構想だった。
(……このシーム(縫い目)の位置。あり得ない……!)
神宮寺の圧倒的な審美眼が、そのスケッチの背後に隠された、緻密すぎる計算を瞬時に見抜いた。
人間の骨格と筋肉の動きを、完全に理解している。
さらに、バラバラの端切れをパッチワークのように組み合わせる発想。
それは単なる節約ではない。
異なる素材の伸縮率を計算し、最高の可動域を確保するための『パターンの設計図』そのものだった。
スケッチの端には、紬が余り布で作った10センチ四方の小さなサンプル布が、ピンで留められていた。
神宮寺は、吸い寄せられるようにその布に触れた。
(……あ)
その瞬間、彼の脳裏に、かつてない衝撃が走った。
不眠症で常に張り詰めていた神経が、しゅるしゅると解けていく。
まるで、夏の午後に草原で風に吹かれているような、圧倒的な解放感。
(何だ、この布は……。ただの綿とシルクの端切れのはずなのに。どうして、これほどまでに心が安らぐ?)
指先から伝わる、異常なまでの優しさ。
それは、着用者の痛みをすべて取り去ろうとする、深い慈しみの結晶だった。
神宮寺は思い出す。
先ほど、自分のシャツのボタンを一瞬で直し、呼吸を楽にしてくれた、あの少女の指先を。
「……このスケッチの主は……まさか」
神宮寺は、放心状態で床を這い回る麗奈を無視し、部屋の外で震えていた紬を呼び戻した。
◆ ◆ ◆
「……柚木。この紙は、君のものか」
神宮寺が、汚れたスケッチを差し出す。
紬は顔を真っ青にして、ペコペコと頭を下げた。
「は、はいっ! すみません、ゴミ箱に捨ててあったものなら、私が後でちゃんと片付けますので……本当に、申し訳ありません!」
「謝るな。……質問に答えろ。なぜ、これを作った」
紬は、戸惑いながらも指先をいじり、消え入りそうな声で答えた。
「ええと、その……会社で捨てられる端切れが、なんだか寂しそうだったので。みんな個性が違う布さんたちだけど、こうやって繋いであげれば、お家で疲れている人を、優しく抱きしめてあげられるかなって……」
紬は、少しだけ照れくさそうに、けれど真剣な瞳で続けた。
「ただの、私の遊びなんですけど。布さんたちが『誰かの役に立ちたい』って言っている気がしたんです」
「…………遊び、だと?」
神宮寺は、心の中で戦慄した。
世界中のトップデザイナーたちが一生をかけても到達できない、『優しさと技術の完全な融合』。
それを、この少女は『端切れ遊び』で成し遂げているというのか。
合理主義、数字、利益。
俺が求めていたルミエール再建の答えは、煌びやかなランウェイでも、会議室でもなく――このゴミ箱の中にあったのか。
現代日本の歪んだ構造が、神宮寺の目の前に露わになっていた。
麗奈のように、誰かを見下すことでしか輝けない偽物がトップに君臨し。
紬のように、誰かを癒やしたいと願う本物の天才が、ゴミ箱の横で謝っている。
「……フ」
神宮寺の口から、自嘲気味な笑いが漏れた。
彼は決意した。
この腐りきった秩序を、根底から破壊することを。
◆ ◆ ◆
神宮寺は、床で泣き喚いている麗奈を振り返り、氷のような声で告げた。
「美神。お前のデザインはやはりゴミだ。……いや、ゴミに失礼か。このスケッチの爪の垢でも煎じて飲むがいい。もっとも、お前にはその価値すら理解できないだろうがな」
「な、何よ……! あんなゴミ同然のパッチワークが、私のドレスより優れているって言うの!?」
「ああ。比べ物にならん」
神宮寺は、紬の腕を真っ直ぐに掴んだ。
紬は、驚きで目を丸くしている。
「柚木紬。君を、ルミエールから『解雇』する」
「ええっ!? そ、そんな、お仕事、私、一生懸命がんばりますから……! どうか、辞めさせないでください……っ!」
紬は、半泣きで必死に訴える。
だが、神宮寺はその手を離さず、彼女を真っ直ぐに見つめた。
「勘違いするな。こんな澱んだ場所で雑用をさせるには、君の才能はあまりに美しすぎる。……俺が、君だけの城を用意する。明日から、君は俺の専属だ」
「……専属、ですか?」
「そうだ。君はただ、布の声とやらを聴いていればいい。あとの面倒なことは、すべて俺が片付ける」
反論を許さない、皇帝の絶対的な命令。
紬は戸惑いながらも、神宮寺の瞳の中に、冷たさではない『本当の熱量』を見つけた。
「……はい」
小さな、しかし確かな返事。
ゴミ箱の前に崩れ落ちる麗奈を背に、神宮寺は紬を連れて歩き出した。
「ゴミ箱の中の至宝」が見つかった瞬間。
ルミエールの、そして世界のファッション界の歴史が、静かに、しかし激しく動き始めていた。




