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第24節:世界を笑顔にする服 〜予約5年待ちの世界的ブランドになっても変わらぬ下町のアトリエと、日陰の天才を一生甘やかすと誓う皇帝の献身〜

第24節:世界を笑顔にする服 〜予約5年待ちの世界的ブランドになっても変わらぬ下町のアトリエと、日陰の天才を一生甘やかすと誓う皇帝の献身〜



あの伝説のライブソーイングから、半年が経過した。


今、世界のファッション界で、その名を知らぬ者はいない。

新ブランド『TSUMUGI』。


エマ・ワトソンをはじめとする世界のトップスターたちがこぞって愛用し、新作の予約は今や「5年待ち」。

パリやニューヨークの老舗メゾンを差し置いて、世界で最も入手困難な、そして最も「袖を通したい」と願われるラグジュアリーブランドへと成長を遂げていた。


世界中の有名ファッション誌は、こぞって特集を組んでいる。

『21世紀の革命』『布の声を聴く魔法使い』。


しかし。

そんな熱狂の渦の中心にいるはずのつむぎは――。


「……うーん。このリネンさんは、こっちのシルクさんと手を繋ぎたがってるみたい。……ふふっ、よし、可愛いお花にしてあげようね」


彼女が拠点に選んだのは、パリの豪奢なオフィスでも、青山の高層ビルでもなかった。

東京・日暮里。

あの思い出の繊維街の路地裏にある、古い空き家を改装した、小さな、小さめのアトリエだった。


お気に入りの割烹着をまとい、床に座り込んで、鼻歌交じりに端切れを縫い合わせる。

世界経済を動かすほどのブランドの主になっても、彼女のスタイルは一ミリも変わっていなかった。


神宮寺じんぐうじさん。この子の『イセ込み』、あとコンマ数ミリだけ増やしてもいいですか? その方が、布さんが深呼吸できる気がして」


「ああ、君の好きなようにすればいい。……俺が認めた、世界一のデザイナーの直感だ」


アトリエの隅で、エプロン姿の神宮寺が、穏やかな手つきでハーブティーを淹れていた。




   ◆ ◆ ◆




アトリエの壁には、世界中から届いた手紙や写真が、びっしりと貼られている。

神宮寺は、翻訳した手紙を一通、紬に読み聞かせた。


「……これは、ロンドンに住む女性からだ」


『重い皮膚病で何年も引きこもっていましたが、TSUMUGIの服は全く肌が痛くなく、昨日、5年ぶりに公園を歩くことができました。太陽の光が、あんなに温かいなんて忘れていました。私を外へ連れ出してくれて、ありがとう』


「…………っ」


紬の動きが止まり、大きな瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。

続いて、神宮寺が別の手紙を手に取る。


『産後の体型変化で自分を嫌いになりそうでしたが、あなたのドレスを着たら、鏡の前の自分が魔法のように美しく見えて、また笑えるようになりました。夫も「綺麗だね」と言ってくれました』


『アームホールの絶妙な設計のおかげで、車椅子を漕いでも全く肩が凝りません。この服は、私の翼です』


かつてルミエールで、「誰でもできる雑用」「代わりのきく端切れ」と嘲笑われていた自分の仕事。

でも、その丁寧な一針が、海を越えて、見知らぬ誰かの人生を劇的に救っている。


「私……服作りを好きでいて、本当によかったです……っ」


紬は手紙を胸に抱きしめ、心からの幸福を噛みしめるように微笑んだ。

神宮寺は、そんな彼女の涙を親指で優しく拭った。




   ◆ ◆ ◆




「紬ちゃん! 今日もいい布が入ったよ!」


ガラガラと扉を開けて入ってきたのは、繊維街の店主・源蔵げんぞうたちだ。


「源蔵さん! お疲れ様です!」


「いやぁ、紬ちゃんのおかげで、うちだけじゃなく繊維街全体に世界中から注文が殺到してるよ! 日本の伝統的な織物や染め物工場の技術が、あんたのおかげで見直されてる。……あんたは、俺たち職人の誇りだよ!」


「そんな……。皆さんが、布を大切に守り続けてくれたからです。私はただ、布さんの声を通訳しただけですから」


紬は謙虚に首を横に振る。

競争して誰かを蹴落とすのではなく、素材と職人への「敬意」を形にする。

その純粋な想いが、結果的に世界で最も強固な信頼を築き上げていた。




   ◆ ◆ ◆




そんな穏やかなアトリエに、時折、外の世界の「残骸」が風に乗って届くことがある。

アトリエに置かれた小さなラジオから、経済ニュースが流れた。


『……大手アパレル企業ルミエールは、度重なる不祥事と巨額の赤字により事実上の倒産。本日、外資系ファンドへの吸収合併が決まり、ブランド名は消滅することとなりました』


かつて紬を虐げていた上司や同僚たちは、ネットでの「特定」によって悪評が広まり、今やアパレル業界のどこからも声がかからず、路頭に迷っているという。


そして、美神麗奈みかみれいな


彼女は巨額の賠償金により自己破産し、華やかなタワーマンションを追い出されていた。

今は、場末の安アパートで、誰からも知られずに暮らしている。


(……痛い。なんで、こんなに肌が痒いの……)


麗奈は、安物の化学繊維でできた服をまとい、肌荒れに苦しみながら、古いスマホでニュースを見ていた。

画面には、エマ・ワトソンと並んで微笑む、美しい紬の姿。


「嘘よ……あんな地味な女が……私のものを盗んだ泥棒のはずなのに……っ!」


嫉妬と後悔で狂いそうになりながらも、彼女を助ける者はもう、世界に一人もいなかった。

他人の心を無視して自分を着飾ることしか知らなかった女王は、本当の「孤独」という地獄の底に落ちていた。




   ◆ ◆ ◆




「紬。あまり根を詰めすぎないように」


神宮寺が、紬の肩を優しく抱き寄せた。

かつて「数字が全て」と冷徹に言い放っていた氷の皇帝は、今や紬の「心」を守るための、最も有能で献身的な守護者となっていた。


世界中から殺到する強引な買収オファーや、悪意あるスキャンダル。

それらすべてを、神宮寺は裏で冷酷かつ完璧に叩き潰している。

紬の目に、汚いものが一ミリも入らないように。


「……神宮寺さん。これ、お返しです」


「お返し?」


紬が少し照れくさそうに差し出したのは、一着のスーツだった。


「神宮寺さんが、私のためにいっぱいいっぱい戦ってくれているの、知ってます。だから……神宮寺さんが一番リラックスできて、でも、世界で一番かっこよく見える『鎧』を、布さんたちと一緒に作りました」


神宮寺は、震える手でそのスーツを受け取った。

指先に触れるだけでわかる、圧倒的な優しさ。

肩を通した瞬間、心臓の鼓動すらも穏やかに整えられるような、魔法の着心地。


「…………ああ。これは、今まで手にしてきたどんな勲章よりも……何よりも嬉しい」


神宮寺はスーツを胸に抱き寄せ、紬の額に、誓いのような優しいキスを落とした。


夕日が差し込むアトリエ。

布の埃が光を吸い込んで、キラキラと宝石のように舞っている。


世界を熱狂させながらも、紬の世界は、目の前の布と、隣で微笑む不器用な皇帝。

ただそれだけで、完璧に満たされていた。


「神宮寺さん。……私、幸せです」


「俺もだ。……さあ、夕飯にしよう。今日は君の好きな、繊維街のコロッケを買ってある」


「わぁ! 楽しみです!」


穏やかな笑い声が、下町の路地裏に溶けていく。

だが、物語はまだ終わらない。


星降る夜のアトリエで、神宮寺はある「重大な決断」を紬に告げることになる。

二人が公私にわたる永遠のパートナーとして、真に結ばれる時が近づいていた。

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