第22節:崩れ落ちる女王 〜全世界が目撃する偽物の末路と、お姫様抱っこで日陰の天才を連れ去る皇帝の最上級の溺愛〜
第22節:崩れ落ちる女王 〜全世界が目撃する偽物の末路と、お姫様抱っこで日陰の天才を連れ去る皇帝の最上級の溺愛〜
静寂。
それは、数万人が詰めかけた国立競技場規模のメイン会場に訪れた、信じがたいほどの「沈黙」だった。
紬が仕立てた「端切れのドレス」を纏ったモデルが、ゆっくりとランウェイの中央へと歩み出る。
強烈なスポットライトが彼女を射抜いた瞬間、数千枚の布の継ぎ目が、まるでプリズムのように光を分解し、オーロラのような輝きを会場中に撒き散らした。
「……信じられない」
モデルが、震える声で呟いた。その声は、マイクが拾い、全世界へと響き渡る。
「服を着て、涙が出そうになったのは初めて。……今まで、私は服を『着せられる』だけのマネキンだと思っていました。でも、今は違う。私は今、世界で一番自由だわ……!」
先ほどまで疲労で青白かった彼女の顔は、今は聖母のような慈愛と、内側から溢れ出す圧倒的な自信に満ちていた。
それは、紬の「仕事」が、一人の人間の魂を救い上げた決定的な瞬間だった。
対照的なのは、その横に置かれた、麗奈が「作った」とされる布の塊だ。
安全ピンで無理やり留められただけの布は、モデルが動くたびに無残に形を崩し、ボロボロと剥がれ落ち、もはや見るに堪えない「残骸」と化していた。
◆ ◆ ◆
「……インチキよ!!」
沈黙を切り裂いたのは、麗奈の狂ったような叫び声だった。
彼女はマイクなしで、喉を掻きむしるように叫び続ける。
「こんなの、あらかじめ準備していたに決まってるわ! 柚木紬、あんた、どこかに型紙を隠し持っていたんでしょう!? 私のデザインを盗んだ上に、こんな卑怯な真似までして……っ!」
「見苦しいぞ、美神麗奈」
神宮寺煌が、ゆっくりと、獲物を追い詰める獅子のような足取りでステージに上がった。
彼は足元に転がっている麗奈の「残骸」を、ゴミを見るような目で見下ろす。
「お前はこれが自分の作品だと言い張るのか? 紬のスケッチを盗み、その外見だけをなぞろうとした結果が、この『布の死体』だ」
「違う! それは時間がなかったからで……!」
「時間なら紬も同じだ。……証言を」
神宮寺が合図を送ると、会場に招かれていた、世界最高峰のオートクチュール組合の理事が壇上に現れた。
老練な専門家は、麗奈の作業跡を一瞥して吐き捨てた。
「美神氏の作業をモニターで注視していたが……彼女はハサミを入れる際に、『地の目(布の繊維の方向)』を一度も確認していなかった。これは服作りを志す学生以下の、致命的な無知だ。服の構造すら理解していない人間に、このデザインは一生形にできない」
理事が紬の方を向き、深く頭を下げた。
「対して、柚木氏。あなたはすべての端切れの特性を瞬時に見抜き、完璧な幾何学的構造を作り上げた。……どちらが真の作者かは、議論の余地すらない。本物は、あなただ」
◆ ◆ ◆
その瞬間、巨大モニターにはリアルタイムで更新されるSNSの反応が、濁流のように映し出された。
『#麗奈の嘘』『#本物の天才は紬』『#ルミエールは詐欺企業』
現代日本のネットユーザーたちの「特定班」が、すでに動いていた。
麗奈が過去に発表した作品のすべてに、紬がこっそり書き込んでいた修正の筆跡が一致すること。
麗奈が裏で紬を「泥棒ネズミ」と呼んで罵倒していた録音データ。
それらが次々とネット上に流出し、洗脳されていた大衆は、一瞬にして「断罪者」へと手のひらを返した。
「株価が暴落している! もう止まらないぞ!」
ステージ袖では、ルミエールの取締役たちが顔面蒼白で叫んでいる。
「美神麗奈!!」
取締役会長がステージに現れ、麗奈に向かって冷酷な宣告を突きつけた。
「君を今この瞬間をもって解雇する! 過去の著作権侵害、名誉毀損、そして我が社に与えた莫大な損害に対し、一生かかっても払い切れない賠償金を請求させてもらう! ……警備員! この『偽物』を今すぐ会場から連れ出せ!!」
◆ ◆ ◆
「離して! 離しなさいよ!!」
警備員に両脇を抱えられ、ズルズルとランウェイを引きずられていく麗奈。
彼女の自慢だった高級ブランドのドレスは、暴れるたびに破け、厚化粧は涙と鼻水でドロドロに溶け出している。
「私がいなきゃルミエールは終わりよ! 柚木紬、あんたなんて、一生私の影で、日陰で縫い物をしてればよかったのよぉぉぉーーーっ!!」
負け犬の遠吠えが、ホールの外へと消えていく。
紬は、その姿をただ静かに見守っていた。
怒りではなく、深い悲しみとともに。
(……麗奈先生。服は、人を攻撃するための武器じゃなくて、愛するためのものだったのに……)
復讐なんて、望んでいなかった。
ただ、目の前の布と、着る人を幸せにしたかっただけ。
だが、その「本質」を貫いた結果が、悪意を勝手に自滅させていた。
◆ ◆ ◆
「紬さん」
ステージに残されたモデルが、紬の前に跪き、彼女の小さな手を取った。
「あなたのこの服が、私に教えてくれました。……私は、誰かに使い捨てられるだけの駒じゃない。一人の、価値ある人間なんだって。……私の人生を、歌声を救ってくれて、ありがとう」
「…………っ」
「その仕事、誰でもできる」
そう言われ続けて、地下室で埃を被っていた三年間。
だが今、彼女の「丁寧な一針」が、一人の女性の魂を救い、世界の価値観をひっくり返した。
会場中の観客が立ち上がり、一人の小さなパタンナーのために、地鳴りのような拍手を送っていた。
「見ろ、紬。これが君の『仕事』が引き寄せた光だ」
神宮寺が、紬の隣に立ち、誇らしげに周囲を見渡した。
「現代日本という、息苦しく、誰かを蹴落とすことでしか生きられない社会に、君は『癒やし』という名の風を吹かせたんだ。……君が、時代を変えたんだよ」
◆ ◆ ◆
極度の緊張が解けたせいか。
それとも、降り注ぐフラッシュの光のせいか。
「あ……」
紬の足元が、ふらりと揺れた。
倒れそうになった瞬間、力強い、けれど羽毛のように優しい腕が、彼女を掬い上げた。
「ひゃうっ……!?」
神宮寺が、全世界のカメラが見守る中、紬を軽々と「お姫様抱っこ」で抱き上げたのだ。
「神宮寺、さん……!? 恥ずかしいです、降ろしてください……っ」
「嫌だね。よくやった、紬。……もう十分だ。あとは俺が、君を誰もいない静かな場所へ連れていく」
「……神宮寺さん。あの……モデルさんのあのドレス、終わったら洗って、大切に保管してあげてくださいね。布さんが、まだドキドキしてるから……」
極限状態でも、なお布の心配をする紬。
神宮寺は、あきれたように、けれどこの上なく愛おしそうに目を細めた。
「……フ。どこまでも『布の味方』だな、君は。……わかった、すべて俺に任せろ」
氷の皇帝は、腕の中の宝物を守るように強く抱き寄せると、ランウェイを堂々と歩き去っていった。
背後に残されたのは、偽物の女王の残骸と、新時代の幕開けを祝う、止まない喝采。
紬は、安らぎに満ちた神宮寺の胸の中で、静かに、深く目を閉じた。
本当の「仕事」が報われた、美しい夜だった。




