第18節:端切れの奇跡 〜業界から干されたアトリエに届く職人たちの愛と、捨てられたゴミを『ステンドグラス』に変える日陰の天才の神業〜
第18節:端切れの奇跡 〜業界から干されたアトリエに届く職人たちの愛と、捨てられたゴミを『ステンドグラス』に変える日陰の天才の神業〜
神宮寺が用意したセーフハウスの、広大なアトリエ。
普段なら、ミシンのリズミカルな音や布が擦れる心地よい音で満たされているはずの空間は、今は死んだような静寂に包まれていた。
窓の外では、現代日本の喧騒が続いている。
だが、業界のボイコットを受けた『TSUMUGI』には、新しい生地が一切届かない。
それどころか、スマホを開けば、紬を泥棒と罵る残酷な言葉が滝のように流れてくるのだ。
「……もう、誰も私の服なんて着たくないよね。布さんたちも、泥棒の手に触られたら嫌だよね……」
紬は、自分の指先をじっと見つめながら、ポツリと呟いた。
神宮寺は麗奈の『盗作工作』の証拠を掴むため、連日、弁護士やサイバー調査チームと飛び回っている。
一人残されたアトリエで、紬は職人としてのアイデンティティを見失いかけていた。
◆ ◆ ◆
深夜。
静まり返ったマンションのインターホンが、不意に鳴り響いた。
コンシェルジュからの内線だ。
『柚木様。地下の搬入口に、日暮里の源蔵と名乗る方から、大量のお荷物が届いております』
「え……源蔵さんから?」
紬が急いで地下の搬入口へ降りると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「よぉ、紬ちゃん! 待たせたな!」
源蔵をはじめとする、繊維街の店主たち。
彼らが自分たちの軽トラックで乗り付け、荷台から大量の「段ボール箱」を次々と運び出していたのだ。
「源蔵さん……これ、一体……」
「紬ちゃん。大手商社がルミエールにビビって布を売らねぇなら、俺たちが蔵の底に眠らせてた『ゴミ』を持ってきてやったよ」
源蔵がニヤリと笑い、段ボールの一つを開けた。
「……あっ」
箱の中に詰まっていたのは、綺麗な一反の布ではなかった。
高級絹織物の端っこ(耳)。
染めムラで商品にならず弾かれたリネン。
試織で作られた、ほんの数センチ単位のカシミア。
どれも、本来なら『産業廃棄物』として捨てられるはずの、端切れの山だった。
「これは『商品』じゃねぇ。俺たちの『気持ち』だ。だから、あんな胸糞悪いボイコットなんて関係ねぇ」
源蔵は、紬の肩をポンと叩いた。
「この布たちは、あんたに触ってもらうのをずっと待ってたんだ。……頼む、紬ちゃん。これを使って、あの高慢ちきな女(麗奈)の鼻を明かしてやってくれ!」
「源蔵さん……皆さん……」
紬は、箱の中に詰められた端切れ一枚一枚に、職人たちの『何とかしてやりたい』という深い祈りがこもっているのを感じた。
「……はいっ。私、やります。絶対に、無駄にしません……っ!」
紬の目から、大粒の涙が溢れ出した。
泥棒と呼ばれ、凍りついていた彼女の心が、職人たちの温かい愛によって激しく溶かされていく。
◆ ◆ ◆
アトリエに戻った紬は、床いっぱいに端切れの山を広げた。
その瞬間。
絶望で閉じていた紬の感覚が、爆発的に開花した。
(……聞こえる。みんな、歌ってる!)
紬の目には、バラバラの色、形、素材をした端切れたちが、それぞれに柔らかな光を放ち、大合唱しているように見えた。
(あ、この子とこの子、素材は違うけど、色がすごく仲良し。……こっちのカシミアさんは、小さなリネンさんと手を繋ぎたがってる……!)
紬は、型紙を引くのをやめた。
彼女は直感のままに端切れを拾い上げ、直接ミシンで繋ぎ合わせ始めた。
ダダダダダダッ!!
通常、伸縮率の違う素材(例えば、伸びるジャージと伸びないシルク)を繋ぐと、どうしても縫い目が引きつれ、服として破綻してしまう。
しかし、紬の指先は違った。
彼女は、布が持つ『抵抗』を完全にコントロールし、それぞれのテンションをミリ単位で逃がしていく。
あたかも、最初から一枚の大きな布だったかのように、完璧なフラット状態で端切れが繋がっていく。
それは現代日本の『サステナブル(持続可能)』という概念を、紬個人の神業だけで、圧倒的な芸術へと昇華させた瞬間だった。
(私も、この端切れと同じだった。誰かに使われるだけの、代わりのきく存在……。でも、端切れだってこうして手を繋げば、どんな高級な布よりも、強く、優しくなれるんだ!)
出来上がっていくのは、複雑なパッチワークでありながら、驚くほど軽量なアウター。
肌に触れる部分の縫い代はすべて外側に逃がされ、究極の着心地が計算し尽くされている。
色とりどりの端切れが組み合わさったその姿は、まるで教会の『ステンドグラス』や、命の息吹を感じさせる『生命の樹』のように美しかった。
◆ ◆ ◆
翌朝。
アトリエのインターホンが鳴り、数人の男女が恐る恐る入ってきた。
彼らは、麗奈の恐怖政治に耐えかね、ルミエールを逃げ出した若手パタンナーや縫製スタッフたちだった。
神宮寺が裏で手を回し、紬のアトリエに合流させたのだ。
「柚木さん……お久しぶりです」
彼らは、部屋の中央にあるトルソー(マネキン)を見て、息を呑んだ。
「紬さん……これ、全部端切れなんですか? 縫い目が全く当たらない。それに、どうやってこの異素材同士のカーブを……!?」
プロである彼らだからこそ、紬がやっていることの『異常性』が痛いほど理解できた。
「あ、皆さん! 来てくれたんですね!」
紬は嬉しそうに駆け寄り、無意識に行っていたコツを教え始めた。
「これ、無理に引っ張らなくていいんです。布さんが行きたい方向に、針をそっと置いてあげるだけで……ほら、綺麗に繋がるでしょう?」
「す、すごい……。魔法みたいだ」
アシスタントたちは、紬の『仕事』に対する誠実さと圧倒的な技術に、心から感銘を受けた。
「紬さんと働けてよかった。私たち……もう一度、『服作り』を好きになれそうです!」
かつて、麗奈の下で使い捨てられていた者たちが、紬の元で再び『誇り』を取り戻していく。
◆ ◆ ◆
一方、その頃。
ルミエール本社の特別制作室は、まさに地獄の様相を呈していた。
「どうしてこのシルエットが出ないのよ!! スケッチ通りに縫いなさいって言ってるでしょ!!」
麗奈が、仕上がったばかりのサンプルを床に叩きつけた。
彼女は紬から盗んだスケッチを元に、新作『リラックス・クイーン』を強引に作らせていた。
「美神先生! 無理です! このデザインは、紬さんの特殊なパターンの引き方……ミリ単位の『逃がし』が前提になっています。普通の縫製でこのラインを出すと、着た瞬間に脇が破けてしまいます!」
「うるさいわね! 技術がないなら、裏から接着剤で固めなさいよ! 見た目さえ綺麗なら、消費者は騙されて買うわよ!」
麗奈の無茶苦茶な指示により、見た目だけは美しいが、着た瞬間に肌を傷つけ、全く呼吸ができない『偽物の服』が量産されていく。
翻訳者である紬を失った麗奈は、今や完全に『機能不全』に陥っていた。
◆ ◆ ◆
数日後の朝方。
徹夜の調査を終え、疲れ果てた神宮寺がアトリエに戻ってきた。
彼がそこで見たものは。
朝日を浴びて、ステンドグラスのように神々しく輝く『端切れのドレス』。
そして、その傍らで、アシスタントたちに毛布をかけられ、幸せそうに眠る紬の姿だった。
「…………紬」
神宮寺はそのドレスにそっと触れ、あまりの『生命力』に指先が震えるのを感じた。
ゴミとして捨てられるはずだった端切れが、彼女の愛によって、最高の芸術へと生まれ変わっている。
「……君はやはり、俺の想像を遥かに超えていくな」
神宮寺の疲れ切った顔に、獲物を狩る直前の、冷酷で不敵な笑みが浮かんだ。
彼の手のブリーフケースには、スパイ(佐藤)の自白音声と、麗奈が過去に数々の公募展で紬の作品を横取りしていた決定的な証拠が、すべて揃っていた。
「準備は整った。……盗まれたデザインの『公開お披露目』は、来週の東京ファッションウィークだ」
神宮寺は、眠る紬の頭を優しく撫でながら、虚空に向かって宣告した。
「美神麗奈。お前が『最高傑作』として紬のデザインを発表するその華やかな舞台を……お前の、公開処刑場に変えてやる」
次節、ついにファッションウィークが開幕する。
麗奈が『自分の新作』としてランウェイに服を送り出す中、神宮寺が用意した最凶の『仕掛け』が発動する。




