第17節:包囲網と皇帝の怒り 〜SNSの誹謗中傷と業界のボイコットに女神が涙する時、氷の皇帝は私財を投じ偽りの女王を社会的に抹殺する冷徹な牙を剥く〜
第17節:包囲網と皇帝の怒り 〜SNSの誹謗中傷と業界のボイコットに女神が涙する時、氷の皇帝は私財を投じ偽りの女王を社会的に抹殺する冷徹な牙を剥く〜
外界の光を遮断するように、厚手のカーテンが閉め切られた室内。
神宮寺が用意した最高級マンションの一室は、かつてのアトリエのような華やかさは消え失せ、重苦しい静寂に包まれていた。
ピコーン。ピコーン。
スマートフォンの電源は切ってある。
だが、机の上に置かれたタブレットには、一瞬だけ表示されたニュースの見出しや、SNSの通知が容赦なく映し出されていた。
『#泥棒デザイナー柚木紬』
『#TSUMUGI不買運動』
『嘘つきパタンナーの正体! 美神先生の慈悲を踏みにじった女の末路』
麗奈がアップロードした「盗作告発動画」は、公開からわずか一日で数千万再生を突破していた。
現代日本のネット空間は、正義感に駆られた匿名の人々による、残酷な「デジタル・ギロチン」の処刑場と化していた。
「…………っ」
紬は、ソファの隅で膝を抱えて震えていた。
画面に映る罵詈雑言の嵐。彼女の個人情報を特定しようと躍起になる、会ったこともない人々の悪意。
「私がいたせいで……神宮寺さんまで『泥棒の片棒を担いでいる』って言われてる。……やっぱり、私みたいな日陰の人間が、表に出ちゃいけなかったんだ」
紬の心は、音を立てて削り取られていた。
自分が傷つくことより、自分を信じてくれた神宮寺のキャリアを汚してしまったことが、何よりも彼女を苦しめていた。
◆ ◆ ◆
その頃。別室で電話を握りしめていた神宮寺の表情は、まさに「氷の皇帝」そのものだった。
「……そうか。君の会社も、素材を卸せないと言うんだな」
『すみません、神宮寺さん。うちもルミエールとの数千億円規模の取引を人質に取られてまして……。柚木さんの件が解決するまでは、一切の生地を出せません』
「リスク、か。……わかった。君たちが今、誰を敵に回したか。後で泣いて謝っても遅いぞ」
神宮寺は冷酷に電話を切ると、手元のタブレットを叩きつけた。
麗奈の後ろ盾である前社長派が、国内の主要なテキスタイルメーカーや商社に対し、徹底的な包囲網を敷いていたのだ。
「TSUMUGIに糸一本でも卸すなら、今後ルミエールとの取引を全て白紙にする」
業界最大手の看板を使った、卑劣なボイコット。
今の『TSUMUGI』には、服を作るための「布」が届かない。
アパレルブランドにとって、それは死刑宣告にも等しい。
「……ふん。安い脅しに屈する無能どもめ。だが、お前たちが泥靴で踏みにじったのは、ただのブランドではない」
神宮寺の瞳の奥に、かつてないほど苛烈な、暗い怒りの炎が灯る。
普段は「数字」と「合理性」でしか動かない男が、一人の少女を傷つけた者たちに対し、理性を超えた「私憤」を燃やしていた。
「あの子は、ただ服が好きで、誰かを救いたいと願っていただけだ。その純粋さを汚した罪……死んでも償いきれると思うなよ」
神宮寺は即座に秘書を呼びつけ、私財を投じた「報復措置」を開始した。
「世界最高峰のサイバーセキュリティチームと、一流の私立探偵を雇え。麗奈がいつ、どこで、誰を使ってスケッチを盗ませたか。そして、彼女がルミエール時代に紬のパターンを盗んでいた過去の証拠も、塵一つ残さず洗え。……徹底的にな」
◆ ◆ ◆
深夜。
神宮寺がリビングへ戻ると、紬の姿がなかった。
まさかと思い、キッチンへ向かった彼は、そこで足を止めた。
「……紬?」
絶望して寝込んでいると思った紬が、マンションのキッチンの床に這いつくばり、古い裁断バサミを手に何かに没頭していた。
彼女の周りには、引っ越しの時に持ってきた、本来ならゴミとして捨てられるはずだった「端切れの山」が広がっていた。
「布さんが……泣いてる気がして」
紬は神宮寺に気づくと、弱々しく、けれど真っ直ぐな瞳で彼を見上げた。
「世間の人が私のことを泥棒だと言っても……この子たちだけは、私を信じてくれてる気がするから。……布さんにだけは、嘘をつきたくないんです」
紬は、バラバラの形をした端切れを、パズルのように組み合わせ始めた。
それは、通常のアパレルの常識では非効率極まりない、途方もない作業。
だが、紬の指先が動くたび、異なる素材が魔法のように溶け合い、誰も見たことがないような、宝石のように美しい「質感」が生まれていく。
パタンナーとしての高度な幾何学的計算と、布への深い愛。
素材供給が止まった絶体絶命の状況で、紬は「ゴミ」から「奇跡」を生み出し始めていた。
◆ ◆ ◆
「紬。君はどこまでも、君なんだな」
神宮寺は紬の隣に膝をつき、その荒れた指先に触れた。
「日本には、一生懸命働いても報われない人がたくさんいます。私も、地下の制作室にいた頃はそうでした。……でも、そんな人たちを救えるのは、立派な言葉じゃなくて、側にいてくれる『優しい服』だって信じているんです。……だから、私がここで止まったら、布さんに申し訳ないです」
合理主義の権化である神宮寺は、その「非合理的なまでの優しさ」に、改めて自分の心が救われるのを感じた。
「……わかった。その『仕事』、俺が全力で守り抜く」
その時だった。
神宮寺のプライベートのスマホに、一通のメッセージが届いた。
送り主は、日暮里繊維街の源蔵からだった。
『神宮寺さん、紬ちゃんに伝えろ。誰が泥棒だって? ふざけるんじゃねぇ。繊維街の店主はみんな紬ちゃんの味方だ。大手商社が布を売らねぇなら、俺たちが蔵の底に眠らせてた伝説のデッドストックを、全部紬ちゃんに届けてやる。……今、トラックを出した。待ってろよ!』
「…………ふっ。あはははは!」
神宮寺は、声を上げて笑った。
かつて誰も気づかなかった紬の「誠実な仕事」が、今、巨大なうねりとなって包囲網を内側から食い破ろうとしていた。
◆ ◆ ◆
「紬。素材が届かないなら、届かないなりの『戦い方』があるぞ」
神宮寺は、タブレットでルミエールの株価チャートを紬に見せた。
麗奈の会見で一時的に回復したものの、内部崩壊の予兆は隠せない。
「来週、麗奈が盗んだ君のデザインを、ルミエールが『自分たちの新作』としてお披露目するファッションショーがある。……その同じ場所、同じ時間に、君を立たせる」
「え……? 泥棒だと言われている私が、そんなところに行ったら……」
神宮寺は紬の肩を強く抱き寄せ、不敵に笑った。
「行かせるさ。そして、全世界の前で証明させるんだ。……どちらが『本物』で、どちらが『中身のない空っぽの殻』であるかをな」
皇帝の宣告。
それは、偽りの女王を奈落の底へ突き落とす、最も残酷で華やかな復讐劇の始まりだった。
「準備はいいか、紬。ゴミから生まれた奇跡で、世界をひれ伏させてやれ」
「…………はい、神宮寺さん!」
紬の瞳に、日陰の天才としての強い光が宿った。
伝説の「アップサイクル・コレクション」の幕が、今、静かに上がろうとしていた。




