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第15節:逆転の兆し 〜世界中から鳴り止まない感謝の通知と、破滅へ向かうルミエールの裏で蠢く卑劣な女王の罠〜

第15節:逆転の兆し 〜世界中から鳴り止まない感謝の通知と、破滅へ向かうルミエールの裏で蠢く卑劣な女王の罠〜



翌朝。

『TSUMUGI』のアトリエとして使われている最高級スイートルームには、清々しい朝日が差し込んでいた。


テーブルには、ルームサービスで運ばれた美しい朝食が並んでいる。

だが、つむぎの視線はクロワッサンではなく、昨晩エマ・ワトソンから直接贈られた一輪の赤い薔薇と、手書きの手紙に釘付けになっていた。


「……ふふっ。布さん、エマさんのこと、ちゃんと守れたんだね」


紬は手紙を胸に抱きしめ、嬉しそうに微笑む。

そこに、シャワーを浴び終えた神宮寺じんぐうじが、タブレットを片手にリビングへやってきた。


「紬。……君の言う『布の声』とやらは、どうやら世界中に届いたようだな」


神宮寺は、タブレットの画面を紬に向けた。

そこには、現代日本の熱狂――SNSの画面が表示されている。


『#EmmaInTSUMUGI』『#魔法の着心地』『#呼吸するドレス』

これらのハッシュタグが、日本語、英語、フランス語など多言語で入り乱れ、世界トレンドの一位から五位までを独占していた。


「ええっ!?」


紬は目をパチクリと瞬かせた。


「神宮寺さん、これ……全部エマさんのファンの人たちですよね? 私の服を、ちょっとだけ褒めてくれてるみたいで、なんだか恐縮です……」


「『ちょっとだけ』ではない。……見ろ」


神宮寺は画面をスクロールし、世界的に権威のあるファッション評論家のコラムを表示した。


『このドレスの真の凄さは、装飾ではない。人間の骨格と布の特性を完全に調和させた、緻密な「設計」にある。これはもはや数学的芸術であり、21世紀のファッション革命である』


「……か、革命? 私、ただ縫い代が肌に当たらないように、袋縫いにしてちょっとイセ込みを入れただけで……」


「それが革命なんだよ、紬」


神宮寺は、呆れたように、けれどひどく優しい声で笑った。


「さらに、ブランドの公式サイトは、開設してわずか数分でサーバーがパンクした。世界中のセレブや一般女性から、『あのドレスはどこで買えるのか』『次の新作はいつか』という問い合わせが殺到している」


「ひゃあ……っ! ど、どうしよう。私一人じゃ、そんなにたくさん縫えません……!」


パニックになる紬の頭を、神宮寺は大きな手でポンと撫でた。


「安心しろ。生産ラインの確保も、ブランドの管理も、すべて俺の仕事だ。君は今まで通り、ただマイペースに服を作ればいい」




   ◆ ◆ ◆




神宮寺のスマホが、先ほどから休むことなく震え続けていた。


着信の相手は、ルミエール本社の制作部長や、かつて紬を「代わりのきく雑用」と見下していたチーフデザイナーたちだ。


『神宮寺さん! 頼む、紬ちゃんを……柚木さんをうちに戻してくれませんか!』

『彼女の技術を、少しだけでもうちのパタンナーに教えてほしいんです! このままじゃ、ルミエールは……!』


身勝手な懇願のメッセージ。

神宮寺はそれらを、表情一つ変えずにすべて『ブロック』した。


「君たちが『誰でもできる仕事』だと切り捨てたものが、世界を救う価値だった。……その損失の大きさを、これから一生かけて噛みしめるがいい」


冷徹な皇帝の顔。

だが、紬に向き直った瞬間、その表情は甘くとろけるようなものに変わる。


「……神宮寺さん?」


「いや。ゴミの処理をしていただけだ。それより、嬉しいニュースがあるぞ」




   ◆ ◆ ◆




「紬ちゃん! やったな!!」


神宮寺が繋いだスピーカー通話から、日暮里繊維街の『布善』の店主・源蔵げんぞうの弾んだ声が響き渡った。


「源蔵さん! 昨日は、本当にありがとうございました。源蔵さんの三代織のおかげで――」


「バカ野郎、礼を言うのはこっちだ! エマがうちの布を纏って歌ってるのを見て、涙が止まらなかったよ! 街のみんな、あんたを誇りに思ってる!」


源蔵の声の向こうで、繊維街の職人たちが「バンザーイ!」とお祭り騒ぎをしているのが聞こえる。


「それにさ、紬ちゃんが使った布やボタンの問い合わせが、世界中からうちに殺到してるんだ! 『TSUMUGIが選んだ素材が欲しい』ってな! おかげで、廃業寸前だった染め物工場も息を吹き返したよ!」


「えっ……本当ですか?」


紬の瞳から、嬉し涙がポロリとこぼれ落ちた。


自分の『仕事』が、エマを救っただけでなく。

いつも自分に優しくしてくれた、日本の小さな職人たちの生活をも救うことができた。

それは、どんな莫大な売上金額よりも、紬の心を満たす最高の『報酬』だった。


「源蔵さん……。皆さんの布が一番素敵だったから、世界中の人が気づいてくれたんです。私の方こそ、本当に、ありがとうございます……っ」


涙ながらに頭を下げる紬。

神宮寺は、そんな彼女の純粋な姿を、胸が締め付けられるような愛おしさで見つめていた。




   ◆ ◆ ◆




一方、その頃。

ルミエール本社の役員室は、地獄のような惨状と化していた。


「どういうことよ! 返品率が40パーセントを超えてるって、ふざけてるの!?」


美神麗奈みかみれいなが、分厚い報告書を壁に投げつけた。


エマのコンペで敗北しただけではない。

麗奈が『豪華さ』だけを追求して発表した、今季の既製服ラインに、致命的な欠陥が次々と発覚していたのだ。


『重すぎて肩を壊した』

『装飾の角が肌に刺さって怪我をした』

『一度洗っただけでシルエットが崩壊した』


SNSで悪評が瞬く間に拡散され、全国の店舗で返品と返金騒動が勃発している。


「どうして!? 宝石も、最高級のシルクも使っているのよ! あのネズミの白い布切れなんかに負けるはずがないわ!!」


麗奈は鏡の前でヒステリックに叫ぶ。

彼女は、決定的な事実を理解していなかった。


紬がいた頃は、麗奈の『製品化不可能』なデザインを、紬が着心地を損なわないよう、裏でミリ単位のパターンの修正を行っていたのだ。

紬という『土台』を失った今。

麗奈のデザインは、ただの『着る人を傷つける美しい毒物』と化していた。




   ◆ ◆ ◆




「……このままでは、ルミエールの株価は暴落だ。神宮寺に会社を完全に掌握されるのも時間の問題だな」


その夜。

都内の高級料亭の一室で、ルミエールの前社長(麗奈の強力な後ろ盾)が、忌々しげに杯を煽っていた。

その向かいには、青白い顔をした麗奈が座っている。


「社長……。私、このままじゃ終われません。あの女(紬)を、絶対に許さない……」


「だが、相手は今や世界の『TSUMUGI』だ。正面からぶつかっても勝ち目はないぞ」


「……ええ。だから、正面からは行きません」


麗奈の目に、ヘドロのように濁った、歪んだ笑みが浮かんだ。


「柚木紬が独立前に描いていた、次期コレクションのスケッチ。……まだ、うちの制作室のサーバーに残っています」


「ほう?」


「それを少し手直しして、先に『ルミエールの新作』として発表しましょう。……そうすれば、彼女がルミエールのデザインを盗んで独立したことにできます」


現代日本に渦巻く『炎上商法』と『著作権侵害』という劇薬。

SNSは、英雄を一瞬で作り上げるが、同時に、一瞬で人を地獄の底へ突き落とす凶器にもなる。


「あんな臆病なネズミ、泥棒のレッテルを貼って全世界から叩かせれば、一瞬で潰れるわ……!」


前社長もまた、醜く口角を吊り上げた。




   ◆ ◆ ◆




「……すぅ……すぅ……」


『TSUMUGI』のアトリエ。

疲れ果てた紬が、ソファで丸くなってうたた寝をしていた。


神宮寺は、彼女の寝顔を愛おしそうに見つめ、指先でその柔らかな頬をそっと撫でた。


「紬……君はまだ、自分がどれほどの奇跡を起こしたか分かっていないんだろうな。……そんな無防備な君を、一生俺の腕の中に閉じ込めておきたくなる」


神宮寺は、紬の胸元に抱えられていたスケッチブックをそっと抜き取った。

そこには、端切れを活かした、誰にでも着やすい『究極の日常着』のアイデアが、優しい線で描かれていた。


(……素晴らしい。この服が世に出れば、また多くの人が救われる)


神宮寺は、紬の正式なブランド立ち上げと、そのお披露目となる独立記念パーティーの開催を心に決めた。


「……その願いを邪魔するものは、例え神であっても俺が排除する。……紬、君の新しい人生の幕開けだ」


神宮寺は、紬の額に誓いのキスを落とした。

二人の未来は、光に満ちているはずだった。


だが。

パーティーの当日、麗奈が『紬の盗作』を全世界に告発する動画をアップロードし、歓喜の絶頂から、紬を一夜にして『業界の泥棒』へと突き落とすことになるとは、この時の二人はまだ知る由もなかった。

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