第13節:魔法のドレス 〜25キロの豪華な『拷問器具』で歌姫を絶望させる偽りの女王と、空気のように軽いドレスで奇跡の歌声を解放する真の天才パタンナー〜
第13節:魔法のドレス 〜25キロの豪華な『拷問器具』で歌姫を絶望させる偽りの女王と、空気のように軽いドレスで奇跡の歌声を解放する真の天才パタンナー〜
国立競技場。
その周辺は、異様な熱気に包まれていた。
世界的な歌姫、エマ・ワトソンのワールドツアー最終公演。
そのメイン衣装を決定する最終コンペ。
会場には世界中のメディアが詰めかけ、その様子は全世界に生中継されていた。
「……フン、準備は万全ね」
美神麗奈は、十数人のスタッフを引き連れ、厳重にガードされた巨大な衣装ケースと共に現れた。
彼女の目は、獲物を狙う肉食獣のようにギラついている。
「ねえ、パタンナーの端くれさん」
麗奈は、神宮寺にエソコートされて現れた紬を、扇子で指し示して嘲笑った。
「あなた、そんな小さなキャリーケース一つで何をするつもり? もしかして、エマにパジャマでも着せる気かしら?」
麗奈のスタッフたちが、疲れ切った顔で愛想笑いを浮かべる。
彼女たちの目は、連日の徹夜と麗奈の罵倒により、どす黒いクマが張り付いていた。
彼女たちが命を削って作り上げたのは、総計二万個のスワロフスキーと本真珠を散りばめた、重さ二十五キロを超える重装甲ドレスだ。
「……神宮寺さん、あの。布さんが、なんだか苦しそうに泣いています」
紬は、麗奈の衣装ケースから漏れ出す『布の悲鳴』に、胸を痛めていた。
「気にするな、紬。……ゴミの断末魔を聴く必要はない。君は、自分の『魔法』を信じていればいい」
神宮寺は、紬に温かいハーブティーを差し出した。
周囲のデザイナーたちが「緊張感がない」「新興ブランドの限界だ」と冷笑する中、紬だけが、穏やかな表情でエマの出番を待っていた。
◆ ◆ ◆
「……それでは、エントリーナンバー一番。ルミエール、美神麗奈!」
司会者の声と共に、ステージのカーテンが開いた。
現れたエマ・ワトソンの姿に、会場中から「おおおっ!」という地鳴りのような歓声が上がる。
『アジアン・ゴシック・エンプレス』
金糸と銀糸で埋め尽くされ、数千の宝石がライトを浴びて狂ったように光を放つ。
まさに、暴力的なまでの豪華絢爛。
麗奈は、勝ち誇ったように胸を張った。
(見た!? これこそがルミエールの、私の『圧倒的な美』よ! こんな地味なネズミが太刀打ちできるわけがないわ!)
だが、ステージ上のエマの表情は、仮面のようだった。
彼女の白い肌には、ドレスのあまりの重みで、肩紐が食い込んだ赤いミミズ腫れが浮き上がっている。
コルセットは肋骨を極限まで締め上げ、肺が膨らむ余裕すら奪っていた。
「……っ、ふ……っ」
エマが、歌い出そうと大きく息を吸い込んだ。
しかし。
「………………」
声が出ない。
肺が圧迫され、喉が拒絶反応を起こしている。
彼女は苦しげに胸を押さえ、その場に膝をついてしまった。
二十五キロの宝石の塊が、無慈悲に彼女の体力を奪っていく。
「ちょっと、エマ! 何してるのよ、立ちなさい! ファッションは我慢だって言ったでしょ! 世界中が見てるのよ、私のドレスを汚さないで!!」
麗奈の醜い叫びが、マイクを通して会場に響き渡った。
静まり返る競技場。
マネジメント・チームが青ざめてステージに駆け寄ろうとした、その時。
◆ ◆ ◆
「エマさん! もう大丈夫です!」
紬が、誰よりも早くステージに駆け上がった。
彼女は手際よく、エマを苦しめていた宝石の『鎧』の留め具を外していく。
「……紬……。ごめんなさい、私……もう、歌えない……」
「いいえ。あなたはまだ、本当の自分の声に出会っていないだけです。……この子に着替えてください」
紬は、小さなケースから一枚のドレスを取り出した。
それは、真珠のような光沢を放ちながらも、空気のように軽く、透明感のある『オーロラ・シルク・ドレス』。
エマがそのドレスに袖を通した瞬間。
彼女の瞳が、驚愕で見開かれた。
「……え!? う、嘘……。重さが、ないわ」
「源蔵さんに頂いた伝説の布を、コンマミリ単位まで薄く削ぎ落としました。でも、構造を『ハニカム(蜂の巣)構造』にすることで、空気の層がエマさんの身体を支えてくれるように設計したんです」
紬は、エマの背中のリボンを優しく結んだ。
「肩にかかる重さを分散させるために、和裁の『抜き』の技法を使っています。ドレスが身体の上で『浮いている』状態です。……それから、裏地にはエマさんの肌荒れを治すための、天然シルクプロテインをナノ単位で定着させてあります」
「………………ああ」
エマは、深く、深く息を吸い込んだ。
肺が、どこまでも広がる。
肌を刺していた痛みが消え、代わりに温かな慈しみが全身を包み込む。
「身体が……自由だわ。私、今ならどこまででも飛んでいけそう!」
◆ ◆ ◆
エマが、ゆっくりとステージの中央へ歩み出た。
スポットライトが彼女を照らした、その瞬間――。
「……なっ!?」
麗奈が、絶句した。
ドレスが光を浴びた瞬間、紬が計算し尽くした構造によって光が乱反射し、エマの周囲に本物のオーロラのような光の輪が現れたのだ。
重い宝石など一つもついていないのに、その光り輝く姿は、どのブランドの衣装よりも神々しく、豪華絢爛だった。
エマが、マイクを使わずに歌い始めた。
その歌声は、競技場の最後列まで透き通るように響き渡った。
締め付けから解放された横隔膜が、かつてないほど自由に躍動する。
圧倒的な解放感。圧倒的な幸福感。
歌い終えたエマは、ドレスの裾を翻し、少女のような満面の笑みを浮かべた。
ドォォォォォッ!!
地鳴りのようなスタンディングオベーションが、競技場を揺らした。
世界中の視聴者が、その『奇跡』に言葉を失った。
◆ ◆ ◆
「……素晴らしい。これは服ではない、奇跡だ!」
審査員のチーフが、涙を流しながら立ち上がった。
エマは、ステージ上で紬の手を強く握りしめた。
「私は今日、初めて『服』に助けられました。紬。あなたが作ってくれたのはドレスじゃない。私の『自由』よ。……ありがとう、私の親愛なる魔法使い!」
「…………っ、はい! 布さんも、エマさんの歌が聴けて嬉しいって言ってます!」
紬は、照れくさそうに、けれど誇らしげに笑った。
その隣で、神宮寺が満足そうに腕を組んでいる。
一方で、麗奈は崩れ落ちていた。
ステージの端に、脱ぎ捨てられた自分のドレスが、ゴミのように転がっている。
二十五キロの宝石。数千万円のコスト。
それが、紬の『想い』がこもった、羽のように軽いドレスに完膚なきまでに叩き潰されたのだ。
「嘘よ……私の宝石が……私の芸術がぁぁぁ!!」
「美神麗奈」
神宮寺が、冷酷な宣告を突きつける。
「価値を決めるのはお前ではない。着る人だ。……お前は今日、デザイナーとして死んだんだよ」
神宮寺は、呆然とする麗奈を一瞥もせず、紬を優しく抱き寄せた。
「さあ、帰ろうか。君の作ったドレスで、エマは世界一の幸せ者になった。……次は、俺が君を世界一の幸せ者にする番だ」
「神宮寺さん……。私、これからも、布さんの声を聴き続けてもいいですか?」
「ああ。君が飽きるまで、俺が最高の布と、最高の舞台を用意し続けてやる」
勝利の余韻の中、二人は光り輝くステージを後にした。
『TSUMUGI』の名は、一夜にして世界中の人々の記憶に刻まれた。
しかし。
復讐に燃える麗奈と、彼女を庇っていたルミエール前社長派の影が、二人の背後に忍び寄っていた。
次なる罠は、紬の『職人としてのプライド』を汚す、卑劣な盗作冤罪。
だが、その時、紬を救うのは――彼女が愛した『繊維街の絆』だった。




