第11節:国家レベルの依頼 〜世界的人気歌姫からの極秘コンペと、贅を尽くした『拷問器具』で圧倒しようとする偽りの女王の暴挙〜
第3章:立ちはだかる女王の牙と、最初の勝利
第11節:国家レベルの依頼 〜世界的人気歌姫からの極秘コンペと、贅を尽くした『拷問器具』で圧倒しようとする偽りの女王の暴挙〜
高級ホテルの最上階。
『TSUMUGI』の専用アトリエには、穏やかな午後の光が差し込んでいた。
紬は、神宮寺のために仕立てた新しいシャツの微調整を終え、ふぅ、と小さく息をつく。
目の前には、神宮寺が淹れてくれた香りのいいダージリンティー。
「……落ち着くな。君の隣にいると、数字の羅列がただの砂粒のように思えてくる」
外出先から戻ったばかりの神宮寺が、ソファに深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべた。
その手には、一枚の重厚な、銀の縁取りがなされた招待状が握られている。
「神宮寺さん、おかえりなさい。……そのお手紙、なんだか凄く高そうですけど」
「ああ。これか。……紬、驚くなよ。特大の『チケット』を手に入れてきた」
神宮寺は、その招待状をテーブルの上にスッと滑らせた。
「来月、世界的な歌姫であるエマ・ワトソンがワールドツアーの最終公演を東京で行う。その『メインステージ衣装』を決める極秘コンペに、新ブランド『TSUMUGI』をエントリーしておいた」
「………………はい?」
紬は、持っていたティーカップを落としそうになった。
「え、ええええええっ!? せ、世界的歌姫!? あの、グラミー賞常連の、あのエマ・ワトソンさんですか!?」
「そうだ」
「ムリムリムリです! 私なんて、ついこの間まで地下でゴミ拾いしてた雑用係ですよ!? そんな雲の上の人、私なんかがお洋服を作るなんて、失礼に当たります!」
紬は真っ青になって、ぶんぶんと首を振った。
だが、神宮寺はそんな彼女の元へ歩み寄り、その頭を大きな手で優しく、慈しむように撫でた。
「落ち着け。君が世界のトップスターに媚びる必要はない。君はただ、いつも通り『着る人が一番楽になる服』を作ればいいんだ」
「でも……」
「世界を君の服に合わせるのが、俺の仕事だ。……いいな、紬。君の指先には、世界を救う力がある。それを俺が証明してやる」
神宮寺の絶対的な肯定。
その瞳に宿る熱量に、紬は「……はい」と小さく頷くしかなかった。
◆ ◆ ◆
一方、その頃。
ルミエール本社の役員会議室では、美神麗奈がヒステリックに机を叩いていた。
「何よ、このデザイン! 全然ダメ! もっとキラキラさせて、もっと派手にしなさいよ!」
紬という『影武者』を失い、新作の進行が完全に止まっている麗奈。
ブランドの株価は下がり続け、業界内では彼女の『才能の枯渇』が噂され始めていた。
「先生……エマ・ワトソンの来日公演の情報を掴みました。メイン衣装のコンペが行われるそうです」
秘書の報告に、麗奈の目がぎらりと光った。
「それよ! 世界中のメディアが注目するステージだわ。ここで私のドレスをエマに着せれば、ルミエールは……私は、世界的なデザイナーとして復活できる!」
本来、今のルミエールの実力では招待状すら届かない。
だが、麗奈は自分を寵愛する前社長のコネクションをフルに活用した。
政治家、大手広告代理店、あらゆる『裏の力』を使い、強引にコンペの参加枠をもぎ取ったのだ。
「『TSUMUGI』とかいう、あのコンサルの道楽ブランドも参加するらしいじゃない。ちょうどいいわ……。あの泥棒ネズミと生意気な皇帝の目の前で、私の圧倒的な『格』の違いを見せつけてやるのよ!」
麗奈は勝ち誇ったように、真っ赤な口紅の唇を吊り上げた。
◆ ◆ ◆
「……痛そう」
『TSUMUGI』のアトリエ。
紬は、神宮寺から渡されたエマ・ワトソンの過去のライブ映像を、食い入るように見つめていた。
映像の中のエマは、まさに『女神』だった。
数万個のスパンコールを散りばめた、重厚なイブニングドレス。
極限までウエストを絞り上げた、コルセットスタイルの衣装。
彼女はその華やかな姿で、力強い『鋼の歌声』を響かせている。
だが、紬の目には、華やかさなど一ミリも映っていなかった。
彼女の特殊な視覚は、エマの衣装が発する『布の悲鳴』を捉えていた。
「……神宮寺さん。このドレス、すごく重いです。たぶん、二十キロ以上ある。それに……」
紬は、画面の中のエマが、最高音を出す瞬間の顔を指差した。
「ここ。胸のアンダーバストの締め付けが強すぎて、彼女、息を吸い込む時に一瞬だけ顔が強張ってます。……これ、お洋服じゃありません。『鎧』です。彼女、歌いながら自分の身体と戦ってます」
「…………ほう」
神宮寺は、興味深そうに目を細めた。
世界中の批評家が「完璧なステージ」と称賛した映像。
だが紬は、エマが隠している微かな『身体的苦痛』を、シワの寄り方一つで見抜いた。
「布さんが泣いてます。『ごめんなさい、私、この人を傷つけてる』って。……神宮寺さん。私、エマさんを楽にしてあげたい。歌う時に、空気をいっぱい吸い込めるようにしてあげたいです」
野心ではない。ただ、目の前で苦しんでいる人を救いたいという、職人としての純粋な使命感。
紬の瞳には、迷いのない光が宿っていた。
◆ ◆ ◆
数日後。
都内の超高級ホテルで行われた、コンペのオリエンテーション。
会場には国内外の有名デザイナーが集まり、異様な緊張感が漂っていた。
その中に、神宮寺にエスコートされた紬が現れる。
「あら。ゴミ拾いのネズミが、どこに紛れ込んだかと思えば」
取り巻きを引き連れた麗奈が、わざとらしく扇子を広げて道を塞いだ。
「よくこんな場違いな所に来られたわね、柚木。あなたが縫うのは、せいぜいホテルの雑巾くらいがお似合いよ」
「あ、あの……麗奈先生……」
紬が身をすくませた瞬間、神宮寺がスッと前に出た。
冷凍庫のような冷ややかな視線が、麗奈を見下ろす。
「美神。相変わらず、中身のない張りボテを着飾っているな。……コンペの前に一つ教えてやろう。本物は吠えない。吠えるのは、自分の無能さに怯える負け犬だけだ」
「なっ……! 言わせておけば……!」
麗奈は顔を真っ赤にして睨みつけたが、神宮寺の威圧感に気圧され、それ以上は言葉が出なかった。
◆ ◆ ◆
ステージでは、エマのマネジメントチームが要件を発表していた。
「今回の日本公演、ファイナルのテーマは『アジアン・エンプレス(東洋の女帝)』です。圧倒的な存在感、豪華絢爛さ、そして日本の伝統美を象徴する究極のドレスを求めています」
「勝ったわ……!」
麗奈は心の中でガッツポーズを作った。
豪華絢爛。それは彼女が最も得意とする、金に飽かせた虚飾の世界だ。
「西陣織をふんだんに使って、金糸と銀糸で埋め尽くしてやるわ! 宝石をこれでもかと縫い付けて、誰もがひれ伏すような『重み』のあるドレスを作ってやる。エマは私の作品を飾るための、最高の『マネキン』になればいいのよ!」
一方で、紬は手元のノートを握りしめ、深く悩み込んでいた。
(豪華絢爛……。でも、重い布をたくさん重ねたら、またエマさんの身体が悲鳴をあげちゃう。……どうすればいいんだろう。見た目の華やかさと、空気のような着心地……。そんなこと、本当にできるのかな……?)
現代社会が求める『映え(表面的な美)』と、紬が信じる『本質的な癒やし』。
その大きな矛盾が、紬の前に立ちはだかっていた。
◆ ◆ ◆
帰り道のリムジン。
暗い車内で、神宮寺が紬の震える手を、そっと大きな手で包み込んだ。
「紬。オリエンテーションの言葉など気にするな。マネージャーが求めているものと、エマ・ワトソン本人が求めているものは、必ずしも一致しない」
「でも……コンセプトに沿わないと、審査に落ちちゃいます」
「俺は君の『布の声を聞く力』に、全財産を賭けている。君が見抜いた『エマの苦痛』こそが真実だ。君は、エマが心から笑顔になれる服だけを考えろ。……コンペの審査員を黙らせる論理武装は、この俺が完璧に組み立ててやる」
「神宮寺さん……」
その手の温かさに、紬の目から迷いが消えた。
彼女は力強く頷いた。
「はい……! 私、エマさんをフワフワの雲で包み込むような、とびきり優しいドレスを作ります!」
◆ ◆ ◆
その夜。
ルミエール本社では、麗奈が「もっと金をかけろ! もっと宝石を増やせ! 二十キロになっても構わないわ!」とスタッフを怒鳴り散らし、暴力的なまでの重装甲ドレスを設計し始めていた。
一方、『TSUMUGI』のアトリエ。
紬は静かな空間で、一人、真っ白な型紙に向き合っていた。
どうすれば、重力を感じさせずに布を美しく膨らませることができるか。
祖母から教わった和裁の特殊な技法、そして神宮寺が取り寄せた最新の超軽量素材。
それらをどう組み合わせれば、エマを救えるのか。
「……よし。やってみよう」
紬が鉛筆を動かし始めたその時。
神宮寺が、温かいホットミルクをそっと机に置いた。
「……根詰めるなよ。俺の女神が倒れたら、元も子もない」
「ふぇっ!? め、女神だなんて……。神宮寺さん、また変なこと言ってます」
紬は顔を真っ赤にしながらも、ミルクの温かさに微笑んだ。
相反する二つのアトリエ。
虚飾の女王と、癒やしの天才。
次節、ついにエマ・ワトソン本人の『採寸』が行われる。
そこで紬は、世界の歌姫がひた隠しにしてきた、あまりにも深刻な『秘密』に触れることになる。




