円滑な魅了 後編
三階の案内を終えると、次は別館に向かうことにした。階段を下りる最中、ファインがソワソワと指を組んでいるのが目に留まる。やはり、そこが一番気になっていたようだ。
「別館には今、リファ博士がいらっしゃるんですよね?」
「そうだな。あいつはいつも研究室から出てこないけど、顔ぐらいは見せに来ると思うぜ」
「そうですか。やはり、その……気難しい方なんでしょうか?」
助手は一切取らず、たった一人で世界を救おうとしている天才科学者。この姿勢だけ採れば、確かに神経質な人物像が浮かぶだろう。ただ、実際はそこまで話が通じない奴じゃない。
「いや、わりと穏やかな性格だぜ。研究のことになると、こだわりが強くなるだけなんだ」
首を横に振って答えると、ファインは少し肩の荷を下ろした。
一階、東廊下の突き当たり。両開き扉を押して渡り廊下に出た。屋根で日差しが遮られ、辺りはほの暗さに包まれている。俺達はゆったりと庭を鑑賞しながら対岸へ渡った。
別館に入ると、俺は度肝を抜いて扉の隅に避けた。普段、客人の応対などジョンに丸投げのリファが、入り口で待っていたのだ。白衣はまとっておらず、淡いブルーのシャツに、紺色のベストと中折れハット、黒のスラックスという、きちんとした服装をしている。ここまでの歓迎ムード、よほどファインに興味を示していたのだろう。
「こんにちは、ファイン・ギフト先生。お会いできて光栄です」
リファは会釈して、黒い手袋に包まれた右手を差し出した。ファインは興奮気味に顔を赤らめ、壊れ物を扱うようにその手を握る。
「こちらこそお会いできて光栄です、リファ博士! 先生だなんて、恐れ多い」
「いえいえ、私の兄が大変お世話になったので、是非とも先生と呼ばせてください。兄からかねがね、お話を聞いていますよ。なんでも、私の助手になりたいそうですね」
友好的な笑みを消し、リファは品定めする目付きでファインを見上げた。彼女はピシッと背筋を伸ばし、ハキハキと答える。
「はい。私の目標は、完璧な奇病の治療薬を開発することです。そのためにリファ博士のお力を借りたく、この国へ渡って参りました。私の医療知識は必ずや、研究のお役に立ちます」
声を低く落とし、リファは更に問いかけた。
「私は研究のためなら、人の道を外れることも厭わないよ。君にその覚悟はあるかい?」
背中が粟立った。すぐさま間に割り込んで叱責する。
「お前、何言ってんだ!?」
ジトッと俺を睨み付け、リファは溜め息を吐いた。
「はぁ、例え話だよ。でもファイン先生には、私の状態を知ってもらうべきかな」
そう言って、リファは中折れハットをとった。二本の真っ黒な角が露になり、ファインは大きく肩を跳ねさせる。
「魔王病を発症しているんですか」
『魔王病』は、徐々に全身が黒い鱗に覆われ、二本の角が生えた化け物に変異し、性格も冷酷になっていくという奇病の症状の一種だ。リファは自身が開発した抑制剤で、症状の進行を抑えている。だが、完治には至っていない。
「そう。だから私は理性を失い、人体への有害性を配慮せず、薬の開発を進めてしまうかもしれない。その時のために、医学的観点から意見を聞きたいんだ」
ファインは深く頷き、決意の固まった顔で答えた。
「先ほどの言葉が冗談だったとしても、私は完璧な治療薬を作るためなら何だってします。どうか、博士のお役に立たせてください」
真剣な彼女の表情を見て、リファは満足げに目を細めた。
「貴方ほど熱意のある人なら、私に着いてこられるでしょうね。別館を案内しましょう。いいよね、ダリアン?」
嫌味な笑みで尋ねられ、ムッとした。こいつ、俺の恋心を弄んでやがる。確かに嫉妬しないこともないが、ここの案内はリファの方が適任だと分かっている。兄としての余裕を見せるため、潔く譲ってやった。
「おう、いいぜ。昼食はどうするんだ?」
期待通りの反応を得られなかったリファは、つまらなそうに口角を下げた。可愛くない奴。
「今日は一緒に食べるよ。ジョンにはもう伝えてある」
「分かった。それじゃあ、また後でな」
別館から出る際、俺は手を振った。ファインがニッコリ笑ってそれに応えてくれて、背を向けた後にガッツポーズをとる。大丈夫、俺達結構仲良くなってきたし、好意がリファへ全集中する事は早々ないだろう。俺は軽い足取りで、一足先にダイニングへ向かった。
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読みが甘かった。30分後、リファと談笑しながらやってきたファインは、キラキラと目を輝かせていた。高度な哲学について語り合っているようで、とても間に入れない。
無意識に困った顔をしていたのか、俺を見たリファがほくそ笑んだ。
「先生、続きは食事の後にしましょう。どうぞ、私の向かいにお掛けください」
「あっ、そうですね。失礼いたします」
楽しい夢から覚めたように、ファインの笑顔はスンと抜け落ちた。なんか、悪いことをした気分だ。リファは俺と対角の席に座り、彼女が隣に来る。嬉しいけど、些か居心地が悪い。
「別館はどうだった? 気に入ったか?」
とりあえず話しかけようと思い、別館を見学した感想を尋ねた。
「はい。最新の設備が整っていて、効率的に作業を進められそうでした。あれほど理想的な空間はそうありません。リファ博士と共同研究を始められる日が、より待ち遠しくなりました」
返答中、僅かに俺へ向けられた視線は、すぐさまリファに移された。
「私達、凄く気が合ってね。こんなに話が弾む人は初めてだよ。私も早く、ファイン君と協働したいな」
上機嫌に、リファは椅子の背に寄りかかる。言い回しがもう、慣れ親しんだ友人に対するそれだ。さっきまで『先生』って呼んでたクセに、俺より好意を持たれてると確信した瞬間、『君』呼びになりやがった。
挑発に乗ってたまるか。そろそろジョン達が料理を運んで来る。食事の間なら、料理の話題で盛り上がれるはずだ。ファインの視線は独り占めさせない。
その時ちょうど、コンコンと小気味良いノックが届けられた。フロースが扉を開け、ワイン瓶を持ったジョンと、クロッシュを被せた皿を盆に乗せたバービーが入ってくる。
まずはジョンがワインの銘柄を説明し、各自のグラスに注いでいった。ランチということで、用意されたのは度数の低い辛口のスパークリングワインだ。透き通った黄金色の泡が、グラスの中でワルツを踊っている。
「それじゃあ、食事を始めよう」
俺が声を掛け、皆で一口ワインを飲んだ。ファインは顔を綻ばせる。
「このワイン、口当たりがさっぱりしていて、とても飲みやすいですね」
ジョンがペコリと頭を下げ、そのワインを選んだ理由を説明した。
「ダンデレオン様から、ファイン様はブランデーが苦手だとお聞きしておりました。そのため、今回は香りの強くない物を選ばせていただきました」
「私のために配慮してくださったんですね。ありがとうございます」
ファインはジョンに礼を言い、それから俺にも会釈した。よし、まずは1ポイントゲット。
グラスを置くと、バービーが静かに皿を据えてクロッシュを外した。現れたのは、トマトの冷製スープだ。続けてフロースが、白パンの乗った皿を差し出す。俺とリファは先に、スプーンでスープを飲んだ。目線を横にずらせば、ファインはパンをちぎり、少し浸して口にしていた。
「ごめん、そのパン硬かった?」
気になって質問すると、彼女はピタッと手を止めた。
「すみません、実家にいた時の癖でつい。失礼しました」
心底申し訳なさそうな顔をされて、慌てて弁明する。
「あぁいや、良いんだ。こちらに不備があったら悪いと思って。気にせず食べてくれ」
ぎこちないやり取りに、リファがフッと鼻で笑った。
「私もよく、パンをスープに浸して食べますよ。その方が効率が良いですから」
「そうなんですね」
ファインはホッと目尻を下げて、再びパンをちぎった。上手いことフォローされてしまって悔しい。俺もなんか、場の空気が和むような話をしないと。スープで喉を潤し、口を開いた。
「こうしてランチをとるのも久しぶりだな。リファはたまにしかダイニングに来ないし。やっぱり、誰かと話しながら食事をするのはいいな」
感慨深そうにファインが頷いた。
「同感です。こういった時間は、かけがえのない宝物になりますよね」
今度は共感できなかったのか、リファは小首を傾げる。
「へぇ。そういうものなんですか?」
「そうですよ。愛しい人に、いつでも会えるとは限りませんから。共に過ごした思い出だけが、会えない孤独を埋めてくれるんです」
意味深な彼女の発言に、リファは顎に手を当てて思案した。それから何かを閃き、糸のように目を細めた。
「それってつまり、ファイン君には恋人がいるのかい?」
「えっ!?」
思わずデカい声が出てしまった。嘘だろ? 恋人がいるのに、リファの助手になりたいがあまり、俺に近づいたのか? もしそうだったとしたら、ショック過ぎて立ち直れない。二度と恋なんてしないと神に誓う。
だが、心配は杞憂だったようで、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。私にとっての愛しい人は、弟のエーデルです」
なんだ、びっくりした。ホッと胸を撫で下ろし、ギロッとリファを睨み付ける。お前、なんてこと聞いてくれるんだよ。リファはプイッと顔を反らし、素知らぬ顔でワインを飲んだ。ほんっとにこいつは……!
「あの、失礼な事をお聞きしますが、リファ博士とダリアンは、あまり仲がよろしくないんですか?」
俺達の様子を観察していたのか、ファインが問診するように真面目な声で尋ねてきた。答えに詰まり、俺とリファは顔を見合わせる。壊滅的に悪い訳ではないが、特別仲が良いとも言えない。お互い黙り込んでしまい、辺りはシーンと静まり返った。
気まずい沈黙を、3拍空けてフロースが打ち破る。
「そんなことございませんわ。ダンデレオン坊っちゃんとリファ坊っちゃんは、とても仲が良いですわ」
同じくメイドのバービーが、言葉を紡ぐ。
「えぇ。昔はどこに行く時も、リファ坊っちゃんはダンデレオン坊っちゃんに、付いていっていましたわね」
「いつの話をしているんだい!?」
リファはカアッと顔を赤くした。今日初めて、というか数年ぶりぐらいに動揺する所を見た。気味が良くなって、俺も彼女達に続く。
「あーあ、昔はあんなに可愛かったのになぁ~。今はこんなに生意気になっちゃって」
ニヤリと笑って見せると、リファは唇を薄く噛んだ。ファインは緩やかに口角を上げていき、「クスッ」と声を漏らす。
「いいご関係ですね。私ももっと、こんな風にエーデルと話したかったです」
綻びながら、彼女はどこか寂しげな目をした。いたたまれなくなって、少し踏み込んだ話をしてしまう。
「俺達じゃ代わりになんないかもしれないけどさ、帰りを待ってくれる人が家にいるってのは、少し安心すると思うんだけど……どう?」
虚をつかれた顔をして、ファインは深く俺を見つめた。徐に、胸へ手を当てる。
「そうですね。皆さんと一緒に暮らせたら、生活が充実しそうです。研修期間が終わったら、お世話になってもいいですか?」
頬を淡く染めながら、彼女は周りを見渡した。ジョン達はにこやかに頷き、リファは口元を緩める。俺は額が熱くなるのを感じながら、満面の笑みで返答した。
「もちろん! ようこそ我が家へ!」
そう言うと、リファが吹き出した。
「プフッ、気が早いよダリアン」
「あっ、そうだな。わりぃ」
皆も連られて破顔した。こっ恥ずかしいけど、場の雰囲気が明るくなったなら何よりだ。
それから食事は和気あいあいと進み、食後のティータイムとなった。ファインが心置きなくリファと話せるよう、「少し用事がある」と言って席を外す。
暇なので庭を見に行くと、ベスが薔薇の木を手入れしていた。アプリコット色の花びらが大きく開き、先端が僅かに反り返っている。その上、まろやかな甘みの中に、キリッとした酸味がある香りを漂わせていて、とても上品だ。
これをプレゼントしたら、ファインが喜んでくれるかもしれない。反射的にそう思い、一輪くれないかとベスに頼んだ。彼は顎髭を撫でながら、「あのお嬢さんにぞっこんですな」とクツクツ笑う。考えることはお見通しのようで、頭を掻きながらおずおず頷くしかなかった。
ダイニングに戻ると、ファインが俺の方をチラリと見て、リファとの会話を切り上げた。
「これ以上の長居は、ご迷惑になってしまいますね。そろそろお暇させていただきます」
「おや、もう帰ってしまうんですか? 名残惜しいですが、一緒に暮らせる日を、楽しみに待っていますよ」
リファも椅子から立ち上がり、彼女と固い握手を交わした。
やり取りが終わった所で、俺はファインに歩み寄り、後ろ手に持っていた薔薇を差し出す。
「ファイン、今日は来てくれてありがとう」
「わぁ、綺麗な薔薇ですね。これを私に?」
「うん、ちょうど綺麗に咲いてたから、お土産にと思って」
「ありがとうございます」
ファインは、両手で丁重に薔薇を受け取った。薔薇のように可憐、いや、それすら足元に及ばないような、とっても可愛い顔を俺に向けてくれる。あ~最っ高! 俺天才、マジ天才。
同居に漕ぎ着けることもできたし、今日の俺は本当に冴えていた。今度の休日は、ファインが使う食器を買いに行こう。




