仲介と取引
2日後のお昼過ぎ。病室の扉を叩く音がして、黒いスーツにツバが広いボーラーハット、サングラスを身につけた男が入室してきた。パッと見は完全に不審者だが、俺の口角は緩やかに上がった。
「災難だったねダリアン。でももう意識が戻るなんて、さすがは悪魔病患者だ」
リファが、ベッド脇の丸椅子に腰掛けた。
『悪魔病』は、教会旋法を用いて作られた曲を聞くと強い苦痛を感じるようになるが、常人離れした身体能力が手に入るという、奇病の症状の一つだ。昨日の診察で、俺が生き延びられたのはその病を発症していたおかげだと、ファイン先生も言っていた。
「まあな。研究で忙しいのに、わざわざ見舞いに来てくれてありがとう」
「さすがに心配になってね」
眉間に皺を寄せ、リファは苦笑する。それから一つ間を空けて話を始めた。
「それで、メールの件なんだけど、ファイン先生について詳しく教えてくれるかい?」
「マジで!? 即刻断ると思ってた。どういう風の吹き回し?」
「完璧な治療薬の開発には、薬学の観点だけでなく、医学の観点も必要だと思ってね」
既存の奇病抑制剤では、俺が発症した悪魔病や、ファイン先生の弟が発症した天使病など、治療できない症状がある。また、遺伝を防ぐこともできないため、奇病の根絶を目指すリファは、薬の改良を続けているのだ。
「別の角度から見てみないと、分からないことってあるもんな」
相槌を打ち、本題へ移る。
「ファイン先生は凄いぜ。今年で研修2年目らしいんだけど、それにしては若いなぁと思って、話を聞いてみたんだ。そしたら、医大に入ったのは14、医師免許を取ったのは20の時なんだってよ」
「へぇ。4年も飛び級して、留年せずに医大を卒業できるなんて、かなりの逸材だね」
明らかにリファの目の色が変わった。俺は心の中でガッツポーズを取る。研究室は自宅の隣にあるため、ファイン先生がリファの助手になったら、一緒に暮らさないかと提案できるからだ。
その後も質問に答えていくと、リファからとうとう、「一度貴方を助手にしたい。使える人材かどうか確かめさせてほしい。そう、ファイン先生に伝えておいて」と頼まれた。これで、ファイン先生を誘う大義名分ができた訳だ。俺は夜が来るのが待ち遠しくなった。
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窓から空高く昇った月が見える。消灯時間は過ぎているが、電気はつけっぱなしにしておいた。パタ、パタ、とゴム底が床に当たる音が聞こえ、心臓が早鐘のように脈打つ。あと30秒。20、10、0……
「こんばんは、ダンデレオンさん」
今か今かと待ちわびた人物のお出ましに、思わず笑みが溢れる。
「ファイン先生、リファから伝言を預かりましたよ」
「本当ですか! ぜひ、聞かせてください!」
ファイン先生の瞳が一等星のように輝いた。彼女の期待に応えられることが堪らなく嬉しい。俺のおかげでリファが頼みを承知した、というニュアンスで話せば、一気に好感度を上げられそうだ。
「俺、先生の凄さを伝えたくて、一生懸命リファを説得しました。そしたら、是非とも貴方を助手にしたい、と」
ハッと息を呑み、ファイン先生は口元を手で覆った。俺は自慢の動体視力で、隠される前の弛緩しきった頬を捉えている。緩みきったその表情は凄く可愛かった。
「ダンデレオンさん、本当にありがとうございます! どうお礼をしたらよいものか……」
よほど感動しているのか、ファイン先生の声は震えていた。俺もまた、絶好のチャンス到来に声が昂る。
「お礼なんてそんな。俺はただ、仲介役になっただけですよ。でもそうですね、一つだけ、お願いしちゃってもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
興奮のあまり、口から内蔵を吐きそうだ。こんなこと、図々しく頼んでもいいのか? いや、俺には頼める権利がある。だって、ファイン先生の心からの望みを叶える、手助けをしてやったんだから。
「一緒にご飯行きませんか? 俺、ファイン先生と仲良くなりたいんです」
「えっ?」
ポカンと口を開けた表情に、胸がツクンと痛んだ。俺はファイン先生の前で、やたらデレデレしてしまっている自覚がある。好意を寄せている事など、とっくにバレていると思っていた。でもこんな反応をされるなんて、俺は全くファイン先生の眼中に無かったんだろう。これなら、嫌な顔をされる方がまだマシだ。
「あ、えっと、ごめんなさい。急にこんなこと頼まれても困りますよね。先生だって忙しいのに」
「いえ、そんなことで良いのかと思って、少し驚いてしまったんです。私、何も面白い話できませんよ。それに、美味しいレストランだって知らなくて……」
戸惑うファイン先生に、今度は焦れったさを感じた。こうなったら、はっきり気持ちを伝えた方が良いかもしれない。俺は深呼吸して、一思いに告白した。
「俺、ファイン先生に一目惚れしちゃったんです。だから、一緒にご飯に行ってほしいんです」
耳まで顔が紅潮していくのを感じた。ファイン先生は長い睫毛をパチパチさせ、それから顎に手を当てて思案した。
「あの、一つ勘違いしていませんか?」
「えっ、何を?」
今度は俺が首を傾げる番だった。ファイン先生はジッと俺の顔を見つめる。すっげえ綺麗な顔。頭が良い上に顔も良いなんて、神は二物を与えないという言葉は嘘だと思う。
徐に、ファイン先生が口を開いた。
「……分かりました。行きましょう、ご飯。何事も経験ですよね」
フッと目を細められ、俺は有頂天になった。
「マジマジマジ!? じゃ、じゃあ、いつなら空いてますか? 苦手な食べ物とかありますか?」
俺は嬉々として質問攻めし、着々と予定を立てていった。『5月6日午前11時、病院近くのカフェでファイン先生とデート』と、スマホのメモ機能があるアプリ全てに記録した。




