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病院での出会い

 シーンと静まり返った美術館のエントランス。夜闇を吸ってえんじ色になったカーペットが、足音すらも消していく。まるで誰もいなくなった世界に、たった一人取り残された気分だ。


 そんな物悲しい静寂は、ガラスの扉が破壊される「ガシャーン!」というけたたましい高音に終止符を打たれる。


 不届き者だ。右手にバールを持っている。俺はベルトに着けた袋から警棒を取り出し、素早くそいつへタックルした。転倒したそいつの両手を警棒で押さえ、床に縫い付ける。


「クソッ!」


 不届き者が悪態をついてもがいた。左手に体重をかけ、さらに腕を圧迫しながら、右手でズボンのポケットにあるスマホを取り出す。警察に通報するためスマホ画面へ視線を写し、通話アプリを開いた。素早く番号を入力し、受話器のマークを押す。


 その時、脇腹にズシンと衝撃が走った。見れば、不届き者の爪先が俺の腹に突き刺さっている。靴にナイフを仕込んでいたのだろう。スマホに気を取られている隙に、蹴りで刺されてしまったようだ。


「ウッ……!」


 耐え難い痛みに、思わず呻き声が漏れる。たった三回のコールが永遠に感じられた。俺は息を切らしながら、何とか警察に事情を説明し、電話を切る。


 すぐさま現場に駆けつけてくれるそうで、一安心だ。体から力が抜けていく。


 いや、これは本当にただの脱力感なのか。唇が震え、手足が鉛のように重く感じる。視界もだんだん白けてきた。


 あぁこれ、駄目な奴だ。ナイフに毒でも塗られていたのだろう。遠退く意識の中、パトカーのサイレンがくぐもって聞こえた。




-----




 目を覚ますと、まだ夜の静寂が広がっていた。しかし、明らかにここは美術館ではない。右腕は点滴に繋がれ、体はフカフカのベッドの上に寝かされている。脇腹は熱を帯び、ツキンと痛んだ。


 外から足音が近づいてくる。ノックの後に扉が開かれ、ランタンの明かりが周囲を照らした。入ってきた人物を目にした途端、心臓が跳び跳ねる。


 艶やかな肌に高い鼻。低い位置でお団子結びにした、華やかなピンクブロンドの髪。吸い込まれそうなサファイアブルーの瞳。そこから零れ落ちた涙を思わせる、儚げな左目の黒子。


 もしかして、俺は死んでしまったのだろうか? 目の前にいるのは天使様で、お迎えが来たに違いない。


 そんな考えが頭を掠めたが、「あり得ないだろ」と理性が否定の声を上げた。本当に死んでいるなら、さっき脇腹が痛んだのはおかしい。それに天使様は、悪魔(おれ)の迎えには来ないだろう。


 しかしそうなると、部屋に入ってきた人物は実在する事になる。そちらの方が余計にあり得ないのではないだろうか。


 混乱しながらジーッと見つめていると、その人は心底ホッとしたような笑みを浮かべた。


「良かった、目を覚まされたんですね。私は手術を担当した、研修医のファイン・ギフトと申します。この三日間、意識不明の状態だったので、とても心配していたんですよ」


 なんてこった、こんな美人に俺の命を救ってもらえるなんて! 明日は隕石が落ちるかもしれない。


「貴女が命の恩人なんですね! ありがとうございます、ファイン先生」


「いえ、医者として当然の仕事をしたまでです。ところで、夜分遅くに大変申し訳ないのですが、お話ししたいことがあるんです。ご都合はよろしいでしょうか、ダンデレオン・ナイトムーンさん」


 意味ありげにフルネームで呼ばれ、ピクリと口角が下がった。ファイン先生は俺の様子を診にきたのではなく、『ナイトムーン』を訪ねてきたのだろう。高揚していた気分に冷や水をかけられた。


「あぁ、リファなら助手は取ってませんよ。足手まといになるから居らないって」


 大人げなく、棘のある言い方をしてしまった。でも、仕方がないじゃないか。俺を心配して来てくれたんだと思ったのに、権力目的で近づいてきただけなんて、心が荒むに決まってる。


 俺の義弟『リファ・ナイトムーン』は、それまで誰も開発する事ができなかった、奇病の抑制剤を生み出した天才科学者だ。それゆえ研究成果を盗もうと、助手になりたがる輩が沢山いる。


 こうして仲介人を頼まれるのは日常茶飯事だ。俺自身に興味を持って話しかけてくれるのなんて、ほんの一握りしかいない。


 ファイン先生の表情を窺うと、次の言葉を探して目を泳がせていた。額には汗が滲んでいる。酷く焦っているその様子に、陰湿な閃きが起こってしまった。


 たとえ権力目当てだったとしても、こんなに綺麗な女を手放すのは惜しい。この状況は逆に、自分へ振り向かせるチャンスではないだろうか。


「でも、ファイン先生は恩人だから、特別にリファへ紹介してあげますよ。連絡先を交換しましょう」


 そう提案すると、ファイン先生はパッと花が咲いたような笑みを浮かべた。


「本当ですか!? ありがとうございます、ダンデレオンさん! この研修が終わったら、奇病についてもっと詳しく研究したいと思っていたんです」


「へぇ、それはどうして?」


「私にはエーデルという弟がいまして、奇病の症状の一つ、天使病を発症してしまったんです。私はエーデルを救うために、完璧な奇病の治療薬を作りたいんです」


 ファイン先生は、淀みのない真っ直ぐな瞳で返答した。綺麗な人って、心の中も綺麗なんだな。


 スマホで連絡先を交換する最中、画面をタップする度に、指が針を刺したように痛んだ。邪推してつっけんどんな態度を取った上に、切実な想いを利用して我欲を満たそうなんて、俺は最低最悪だ。


 だけど、後悔はしていない。これは互いにとって良いことだ。渇いた心が、黒いオイルで満たされていくのを感じた。

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