年末年始の話のネタとしての豆知識。
さて、いよいよ大晦日間近、そして新年。ということで、コタツに入りながら、ちびっこなどに語らう話のタネをここでひとつ。
まず、大晦日の「みそか」から。
「みそか」は、二十日を「はつか」と呼ぶのと同じく、三十日を意味する。ここに「晦日」という漢字が当てられているわけだが、晦は単体では「つごもり」と読み、月の欠けた「月末」を意味する。いわゆる月齢である。なので、毎月訪れる「みそか」の締めくくりが「大みそか」というわけだ(クライマックス)。
百八回の除夜の鐘。
百八が煩悩の数というのは有名な話だが、その内容までをも把握しているひとは意外に少ない。代表的なものとしては、三毒の「貪=欲望、執着」、「瞋=怒り・憎しみ」、「痴=無知、誤った認識」が挙げられる。これに「慢=驕り、優越感」「疑=疑い、迷い」、「悪見=誤ったものの見方」を加えると、六根本煩悩となる。細かいものになると、羞恥心の無さなどを指摘するものが多く、嫉妬や、ケチや短気、無気力なども、これに含まれる。
次に元旦。
元旦の「旦」は、漢字を見て分かる通り、「一日」を意味する。元は「はじめ」。年のはじめの一日なので元旦となる。そういえば、昔、元ちとせという民謡歌手もいたので、はじめ読みを知る人も少なくはないだろう(世代で)。
「旦」の追記)
感想欄よりのご指摘。
旦は、丸一日ではなく、「地平線から陽が昇る姿」を現しているらしく、夜明けから朝を指す漢字のようです。上記も修正すべきですが、戒めも込め、そのままに(だって、俺が昔読んだ本では「一日」て書いてたんだぜ、たしか ← ひとのせいにするマン)。ちなみに「旦那」の語源のサンスクリット語のダナ(お布施)は「一日ごとの施し」の意味なので、ここからに違いない(無理くり)。
―― 余談としては、三国志の曹孟徳(曹操)を「治世の能臣、乱世の奸雄」と評した許子将(許劭)の月旦評の旦も同じ意味。許子将は、月の初めに人物評の会を開いており、ここでも旦の言葉が出てくる。ちなみにこれは演義だけでなく、正史にも出てくるエピソードなので、実話だろう(月刊実話)。
門松は、その年の年神様が降りてくる「依り代」の役割。締め飾りは「結界」。鏡餅は、年神様の「魂が宿る場所」とされる(依り代と重複じゃね?)。ちなみに飾るのは12月28日までにが吉とされるとか(もう手遅れじゃん)。
本来の初日の出は、年神の降臨を拝むのが目的。たぶん、ほとんどの人間が意識していないことだろうが。
「一富士、二鷹、三茄子」の続きは?
「四扇」「五煙草」「六座頭」。
俚言集覧と呼ばれる江戸時代に編纂され、明治時代に出版された、全26巻の国語辞典に記載されているそうだが、知っていたひとは、どのくらいいるかな。
扇は末広がりの「繁栄」を現し、たばこの煙は「運気の上昇」、座頭(琵琶法師など)は毛がないので「ケガがない」という、日本人の好きなダジャレ縁起。ちなみにこの3つは、後代に付け足されたものとされるが、教養として。
おせち料理。
もともとは宮中の「節供料理」から。江戸時代に庶民にも広まったそうだが、中身はほとんどが語呂合わせで、供物としての機能はしていないのかもしれない。
「松の内」―― これは筆者も聞いたことがなかった話だが、年神様が家に滞在する期間をいう。関東では元旦から7日まで。関西では15日までとされる。
三が日にしてはならないこと。
掃除は、せっかくの年初の福を掃き出すことになるので禁物。刃物を扱う料理なども本来はダメ(まじかよ)。ケンカや散財などもあるが、これは三が日に限らず、控えた方がいいだろう。
―― とまあ、これくらいは知っておけば、ちょっと教養のある、おじさん・おばさんくらいの目で、親戚のこどもたちも見てくれるのではないだろうか。では、また。
門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
一休宗純の言葉とされるが、同じ新年なら、祝わなな、損、損である。




