男子の根性
体育館裏に呼び出された。
あたしを呼び出したのは隣のクラスの段田紺青くん。中休みにうちの教室にやって来て、あたしの机を勢いよく叩いて、あたしの名前を叫んで──
「朝日奈笑っ! 放課後、体育館裏に来い!」と決闘状を叩きつけるように言われた。
あたしみたいなちっちゃな女子と決闘するわけがないし、場所がベタだし、なんとなく用事はわかってる。
でも、その強引さに負けたのか、それとも好奇心が止められなかったのか、放課後になるとソワソワと席を立った。
親友の梓ちゃんがびっくりしたように聞いた。
「行くの? 体育館裏?」
「うん。あっ、一人で大丈夫だよ? ちょっと行ってくるね」
「心配だから陰から見とく」
「あっ。じゃ、頼んだ」
「あんたって猫系だから、好奇心止められないんよなー……。気をつけなよ? あのひと、ちょっとおかしなやつって噂だよ?」
おかしなやつ──
梓ちゃんの魅力的な言葉に、あたしの目が輝いた。
どんなおかしなひとなんだろう? 楽しみ!
体育館裏に行くと、段田くんは直立不動の姿勢であたしを待っていた。
拳を強く握りしめすぎて、プルプル震えてる。
彼の前に立つと、あたしはちょっとだけその顔を、見上げた。ちょっと猿っぽい。
低身長のあたしの首が痛くならないぐらい、彼の背は高くない。中学生にも見えるくらい。
でも、頭のてっぺんから空へ伸びるアホ毛の先は、とんでもなく高く見えた。
「来たよ? 段田くん……。用事はなぁに?」
とてつもなく緊張してるらしい彼の拳を緩めてもらおうと、にっこりかわいい笑顔であたしが聞くと、唐突に段田くんが、叫んだ。
「こ、根性オォォーーー!!!」
びくっとしたけど、あたしは逃げなかった。正しくは彼の大声にいすくめられて、身動きできなかった。
「朝日奈笑! おまえが好きだーーッ!」
段田くんが空まで響く声で、叫んだ。
「俺と付き合え!」
「はい!」
あたしは手を挙げて即答していた。
「友達からお願いします!」
踊るように、壁の陰から爽やか系のイケメンが飛び出してきた。
「やったな、コンジョー!」
有名人だ。部活は無所属だけどバンドをやってて女子人気の高い、柏木陽翔くんだった。友達なのだろうか?
「ハルト! 俺、OKもらえた!」
段田くんと二人で抱き合って喜んでる。
「よかった! 根性で呼び出して、根性で告白したらOKもらえたよ! やっぱり何事も根性で乗り越えられるもんだな!」
「ハハハ! そんなのおまえだけだぞ、コンジョー!」
二人で抱き合って踊ってる男の子たちを呆然と眺めているあたしの後ろから、梓ちゃんがやって来て、言った。
「──いいの、笑? あんなのと付き合っちゃって?」
あたしがそれに答えるよりも早く、段田くんと抱き合って踊っていた柏木くんの耳がぴくっと動き、こっちへやって来た。
「聞こえたぞ? そこの女子!」
柏木くんが梓ちゃんに詰め寄る。
「オレの親友を『あんなの』だと? コンジョーを悪く言うやつは許さん!」
「ごめんなさい」
梓ちゃんが素直に謝った。
「でも……親友の笑が付き合うひとがどんなひとかわからなくて……心配になっちゃって」
「よし。じゃあ、知ってもらおうか」
柏木くんがなんか言い出した。
「今度の週末、遊園地でデートだ! コンジョーはもちろん彼女と! キミは俺と付き合ってもらう!」
「は? 付き合う……?」
梓ちゃんが引いた。
「何勝手に物事進めてんの、あんた? イケメンだからって調子に乗ってんじゃないわよ」
「安心しろ。付き合うといってもあれだ。二人の初デートのお供に付き合うみたいな意味だから」
「ハァ……?」
梓ちゃんが、背中から守るようにあたしに抱きついて、言った。
「ま……、いいけど」
「よし! 決まったぞ!」
柏木くんが振り返って、段田くんに言う。
「週末デートだ! いいな?」
「ぁぅ……?」
段田くんは反省する猿みたいにちいさくなって、チラッとあたしのほうを見た。
「め、迷惑じゃないかな……朝日奈笑が……」
「迷惑じゃないよっ」
あたしはにっこり笑ってみせた。
「楽しみだね、段田くんっ!」
段田くんが感動したように笑ってくれた。
二人の姿が消えると、梓ちゃんがあたしに言った。
「本当にいいの? あんなのと付き合っちゃって? 付き合うひとはよくよく選んだほうがいいよ?」
「ありがとう」
あたしはお礼の言葉だけ言って、笑った。
正直、彼の印象はふつう、悪いものなのだろう。言い方が乱暴で、顔も猿みたいだ。
でもあたしは、彼のことを、ものすごく面白いと思ったのだ。
最初はそれだけだった。
◆ ◇ ◆ ◇
あたしと梓ちゃんは『美人のキツネとかわいい猫のコンビ』と呼ばれてるらしい。もちろん美人は梓ちゃんのことだ。あたしは確かに猫だと自覚してるけど、かわいくはない。美人といつも一緒にいるついでにかわいいということにされてるのだろう。ありがたいことだ。
梓ちゃんと並んで遊園地へ行くと、すれ違うひとたちが梓ちゃんをチラチラと見る。美人と並んで歩くと鼻が高い。
「あっ、朝日奈さーん!」
ゲート前の広場で、柏木くんがあたしたちを見つけて手を振った。段田くんはその後ろに隠れるように立っていた。
「待った?」と、梓ちゃんが聞く。
「全然! オレらも今来たところだよ」と、柏木くん。
なんだか二人のデートにあたしたちがついて来たみたいな絵柄だ。イケメンと美人が遊園地にとても映える。
あたしと段田くんはお互いの親友の後ろにペットみたいにくっついてた。
「改めて今日はよろしく! 自己紹介、まだだったよね? オレは柏木陽翔」
「知ってる。バンドでギターボーカルやってる人気者じゃん? あたしは興味ないけどさ」
「アハハ! キミ、神崎梓さんだよね? 学年トップアイドルの──」
お似合いだ。
本当に、柏木くんと梓ちゃんがこれからデートするみたいだ。
帰ろうかな……。あたし、お邪魔虫だよね?
段田くんを見ると、柏木くんの背中から、そんなあたしを心配するように見ていて、あたしと目が合うと、思い出したように叫んだ。
「こ……、根性ーーー!!!」
「ひっ?」と、梓ちゃんがびっくりして叫ぶ。
柏木くんの背中から抜け出して、段田くんがあたしのほうへ、ズンズンと歩いてきた。美人の梓ちゃんのことはまったく見てない。あたしだけをまっすぐ見つめて、やって来ると、手を繋いできた。
「やったな、コンジョー!」
嬉しそうに柏木くんが声をあげる。
「根性で手を繋げたじゃないか!」
彼の手は固くて、力強くて、でも優しかった。
そのまま段田くんは、あたしの手を引っ張り、柏木くんと梓ちゃんを置き去りにする勢いで、遊園地のゲートへ私を連れて行った。
♣ ♧ ♣ ♧
まるで猿に無理やり引っ張られるようにして、それでも仲良さそうに遊んでいる猫みたいな親友を、私は少し離れた休憩スペースから眺めていた。
「クリームソーダとたこ焼きって、合うよね!」
目の前ではそんな共感できないことを言いながら、チャラ男が笑っている。
「心配だわ……」
そいつに言ったわけではなく、独り言が口をついて出た。
「あの子……初めてのカレシだから……男の子に慣れてないからとても心配」
「あのさ……」
チャラ男が真面目な表情になって、言った。
「コンジョーはいいやつだよ。オレが保証する」
チャラ男の保証なんて信用できない。
これでもこの神崎梓、学年1のモテ女子をやっている。男を見る目には自信のあるつもりだ。
でも、あの段田紺青とかいうやつは、わからない。
すごく純真無垢ないい子にも見えれば、下心満々の動物にも見える。
あんなのに大事な親友の笑を任せてもいいものか──
そう思っていると、向かいの席に座るチャラ男がたこ焼きを食べる手を止め、唐突に言いだした。
「根性があればなんでも出来る! 出来ないのは根性が足りないからだ!」
「……は?」
頬杖をついたまま、そいつの顔を、バカを見る目で見てやった。
「あんた昭和のオヤジ? そんなわけないでしょ?」
「うん。ふつうならそうだよね。出来るわけがないことは、いくら根性があっても出来ない」
チャラ男の顔が、優しくなった。
「でもね、あいつは──コンジョーは、本当にそうなんだ。根性を出せば、なんでも出来てしまうんだ」
「なんでも?」
思わず笑ってしまった。
「たとえばビルの最上階から飛び降りても、根性で死なないとか?」
「うん、そうなんだ」
チャラ男が真顔でうなずいた。
「なんでも出来てしまうんだ。ただ、根性が発動するのには条件があってね──」
超人かよと心の中でツッコみながらも、黙って聞いてあげた。
「自分の欲望のためには発動しないんだ。誰かを助けるためなら、そしてその誰かがあいつにとって大事なひとであればあるほど、あいつはでっかい根性を発動できるんだ」
鼻で笑ってツッコんであげた。
「笑に告白する時、『根性ー!』って叫んでたけど、あれ自分の欲望のためだったじゃん?」
「あぁ……」
チャラ男がくすっと笑った。
「柏木さん……キミも親友なら気づいてるだろ? 朝日奈笑さん──彼女もすごい能力もちだよね?」
そう言われて、うなずいた。
「笑は誰もを笑顔にする。特に愛に恵まれないひとを見ると、心から興味をもって優しくする。誰でもを笑顔に出来る。……それで危ない感じの陰キャたちから大人気。『天使猫』とか呼ばれてる」
「そう。そんな朝日奈さんを、コンジョーは尊敬して、前から好意以上の想いを寄せていたんだ。それで、自分が付き合えば、朝日奈さんの力になれる、彼女を幸せに出来るって言って──」
「何それ」
興味がなさすぎて、私はそっぽを向いた。
その時だった──
「事故だーーー!」
誰かが叫ぶのが聞こえた。
見ると、ジェットコースターが逆さまになった状態で止まっている。
乗客はみんな髪を逆立てて、苦しそうだ。落ちてしまいそうなひともいる。
その中に、並んで座っている笑と段田くんの姿も見えた。
「笑!」
思わず立ち上がった私の手を、チャラ男が掴んだ。
「大丈夫、コンジョーがついてる!」
♠ ♤ ♠ ♤
「むうっ……!」
隣で段田くんが声を出した。
「むうっ……! むうぅっ……!」
ジェットコースターが途中で止まってしまった。
みんなパニックになってる。無理もない、これ、ふつうに走行してくれてるより怖いもん。逆さまになってて苦しいし──
安全バーを外そうとしてるひとがいるのを見て、あたしは大声で言った。
「大丈夫ですよっ! 信じて助けを待ちましょう!」
言わなかったけど、あたしはこの状況を楽しんでた。
こんな珍しい出来事、滅多に経験できるもんじゃない! キャホー!
でも死ぬのは嫌だなぁと思っていると、隣の段田くんがあたしの顔をじっと見つめているのに気がついた。
「どうしたの? 段田くん」
「こ……こん……」
「こんな時に? うんこしたくなったとか?」
あたしはにっこり微笑んであげた。
「大丈夫、助けが来るから。そしたら落ち着いてトイレで出来るよ」
あたしの顔から光が溢れたようにでも見えたらしい。
段田くんは感動したように震えると、叫んだ。
「て、天使猫、出たーーーっ! お、お、俺は絶対におまえを助ける!」
そして安全バーから自分だけ、迷いもなく抜け出した。
「何してるの!? やめなさい!」
叱りつけるあたしに構わず、段田くんが絶叫した。
「こここ……、根性ううぅーーーッ!!!」
信じられなかった。
段田くんは重力を無視するような動きで車体の後ろへあっという間に移動すると、押した。
彼に押されてジェットコースターが動き出した。
だんだんと勢いがつき、やがて轟音をあげて走り出すと、無事にゴールした。
スリルのあるはずのジェットコースターが、とても安心できる乗り物に思えた。
ホームで降りるまでに何度も振り返った。
段田くんはレールの上に取り残されて、どんどん遠ざかった。
見ると遠くのほうで、レールから飛び降りる彼の影が見えた。
「根性オォォッ!」と叫びながら──
「笑っ!」
心配して駆けつけてくれた梓ちゃんに笑顔を一瞬向けると、あたしはお説教を続けた。
背の低い段田くんがあたしの前に土下座して、より小さくなってる。そのつむじを睨みつけながら、あたしは言った。
「二度とあんなことしちゃダメだよ! 段田くん、死んだかと思ったじゃん!」
「すまない! すまない!」
平謝りする彼に、だんだんあたしの怒りも収まってきた。
「……でも、すごかったよ、段田くん。すごいこと出来るんだね?」
笑顔であたしがそう言うと、嬉しそうに彼が上を向いた。
その顔が、かわいくて──
次の朝、目覚めると、あたしは段田くんのことを考えてる自分に気づいた。




