第一章 ①
「部長、そろそろやばいです。ええ、冗談抜きで」
「え? なにがやばいの? 四月に君が入部して廃部の危険性も消えたし、部費もある程度せしめたんだから、我らが天文部は順風満帆。なんの問題もないと思うんだけど?」
僕を部長と呼んだ声に向き返りながら、そう訊いた。
「そんなことは心配していません。俺が言いたいのはもうすぐ学祭があるということです」
「へ?」
「へ?……じゃないですよ。どうするんですか? 学祭で文化部はなにか展示をしなければいけない規則なんでしょう」
「うん。そうだよ」
「だったら、なにを展示するべきか決めなきゃいけないでしょう」
「うん、そうだね。でも、心配したって仕方のないことなんだよ、祐人君」
「なんでです?」
「だって、僕にその決定権はないからさ」
「そうよね。まずは私に話を通してもらわないと。はい、お茶の準備ができたわ」
「ありがとう」
「ありがとうございます、美幸先輩」
美幸にお礼を言って、祐人君はティーカップに口をつける。
「まあ、俺としてはどちらが決めてもいいんですけど。生徒会への報告は明日が締め切りなんです」
分かってます? と首を傾げる祐人君。
「分かっているわよ。ねえ、晃」
まだ火傷するくらい熱い紅茶に口をつけ、もちろん、と首だけで答えた。
「今年の文化祭はプラネタリウムを作るわ」
「プラネタリウムですか」
「そう、プラネタリウム」
美幸は大きく頷いた。
「だって、なんか天文部らしいじゃない。それにせっかく展示するなら、私たちも楽しみながら作成したいし。去年は部員が私たち二人しかいなくて、廃部云々の問題もあって部費もロクに下りなかったから、四季別の星座についての論文を書いただけなのよ。主に私がね」
「美幸先輩が? 部長は何してたんです?」
「僕は、ほら、星座とか全然詳しくないし勉強も出来ないからさ。頭のいい美幸に全部やってもらったんだ」
私だってそんな詳しくはないわよ、と口先を尖らせ美幸が言った。
「じゃあなんで天文部に入ったんですか」
祐人君はため息交じりに、どこか呆れた様子で言った。
「僕は星というより夜空を観るのが好きなだけだから、天文部には観察するのに必要な道具があるからかな」
「そうだとしても。星座のこととか知ればもっと好きになりますよ? 今の時期ですと、西の空ではかに座、しし座、うみへび座、しかも冬の星座であるふたご座のカストルとポルックスが観えます。南の空では春の星座であるおとめ座にスピカや夏の星座であるてんびん座やかろうじて覘く赤い1等星アンタレスのあるさそり座が綺麗ですね。北の空ではカシオペア座がしっかりとWの形に見えますし、東からは空低くに見える1等星、彦星で有名なアルタイルがいいですよ」
普段はクールな彼が、まるで宗教に勧誘するおばちゃんみたいにくるくると口が回る。
玩具を買ってもらった子供のように表情を綻ばせ、カッコイイ顔は、カワイイ顔に変化した。
すごく幻惑的な、無邪気なそれは、男の僕からでも凄く魅力的に映る(決してホモではない)。
僕がじっと見つめているのに気づいて、こほんとわざとらしい咳払いを挟み、元のかっこいい顔に戻った。
「少しは伝わりました?」
「十分に! でも、僕はやっぱり詳しくなくていいんだ」
「そりゃまたなんで?」
「だって先入観を持ったらさ、自然とその星々に目が行っちゃうだろう? そうしたら、空が二の次になる。僕にとって、空が一番で星は引き立て役なんだ」
そういうことさ。
なるほど。
僕がそういうと、どこか納得した様子で、祐人君が頷いた。
「部長らしいです。その考え方。自分の価値観をしっかりと持っているところは尊敬します」
ありがとう。
本当は確立した自分像なんてないんだけど、褒められたから、御礼だけは言った。
「まあ、晃の持論は綺麗さっぱり水に流して、どうかしらプラネタリウム」
すっかり置き去りにされていた美幸が、少し拗ねた声色で訊いてきた。
忘れていた。
もちろん、そのことは声に出さなかったけれども。
「いい案だとは思うけど、時間が足りないんじゃないかな?」
僕は壁に掛ったカレンダーに目を向ける。
今日は6月22日月曜日、文化祭は7月10日と11日。まだ三週間はあるが、学期末テストが三日間あるから、勉強期間も入れて実質二週間程度しかない。
今から作り方の確認、材料の調達、制作、会場の確保や設営、その他諸々(思いつかなかっただけだけど)。
どれだけ時間がかかるか分からないけれど、到底三人じゃ終わりそうにない。
「そこはほら、気合いとかで何とかしましょう」
「体育会系じゃないんだから、あまり精神論は持ち込まないでよ」
「どうでしょうか。俺はプラネタリウムに詳しくないですからなんとも言えませんが、小規模のものなら気合いで間に合うんじゃないかと」
「本当に!?」
「ええ」
目を輝かせる美幸に、相槌を打つ祐人君
「じゃあ、決まり! それでいいわね、部長」
そう言ってウインクをする彼女。
美幸は知っているのだ。そのような仕草で僕が彼女に魅了されてしまうことに。
おねだりするときは決まって、ウインクであったり、上目づかいであったり、腕を組んできたりを行うのだ。
理解している上でやるから性質が悪い。
「最初に言っただろう、僕に決定権はないってさ」
気恥かしくて、それを認めたくない僕は、誤魔化すために口からそんな言葉が出る。
何時まで経っても彼女には勝てそうにない。
そんなことを思っているうちに、今日の部活動はお開きになった。
「祐人君はどうして天文部に入ったのかしら」
帰り道。空が赤みを帯び、夜の足音が徐々に近づいた頃、美幸はふと、そんな疑問を零した。
「それは美幸の可愛さに魅かれたからじゃないのかな」
「そんなわけないじゃない。きっと星が大好きだからかしら。あなたに星の説明していた時の顔は、本当に楽しそうだった」
「確かに。でも、君と彼ならきっとお似合いだと思うよ。彼も、そして君も、とても魅力的な人間だから」
「それ、本気で言っているの」
今の言動はお気に召さなかったのか、少し言葉に怒気が含まれていた。
「冗談だよ。だって君があの時言ったじゃないか。僕は君が好きで、君は僕が好きだって」
だから、君は誰にも渡さない。
そう口にしようと思ったけど、恥かしくて言えなかった。
「分かっているならいいわ、あーくん」
あーくん。
大人らしい彼女は、二人きりの時にだけこう呼ぶ。
周りに聞かれるのは恥ずかしいと言いながら、僕が、二人きりでも恥ずかしいからやめてくれと何度いっても「幼馴染みの特権だから」と、いとも簡単に却下された。
家が隣りで、同い年で、幼稚園も小学校も中学校も一緒で……。
どこから一緒に居れば『幼馴染み』と呼べるのか、定義なんて知らないけれど、気付いたらそういうカテゴリーに入っていた。
それでも、さすがに高校まで一緒に通うことになるなんて想定していなかった。
僕が志望したところは今通っている学校で、偏差値も普通の、何の取り柄もない中堅進学校だった。
ただ家に近くて、僕の学力にも合っている気がした。
そんな理由で選んだ道だった。
一方、頭の出来がいい美幸はもっと上の進学校に行くのだと思っていた。
彼女はきっと、いつか僕とは違うレールを走っていくのだと、本心は一緒にいたいのに、ニヒルを気取りたい年頃の僕の脳が出した結論はそれだった。
だけど、何故か彼女は僕と同じ学校に通うと言い出した。
彼女の両親も、僕ももちろん止めたけれど、彼女は頑として首を縦には振らなかった。
当時は全く理由は分からなかったけど、去年、その理由が分かった。
彼女は僕が好きで好きでたまらなかったのだ。
僕がそうであるように、彼女もそうだった。
それが勘違いじゃないことは七夕に証明された。
僕たちが、今も隣り合って歩いている。
僕がまだ、あーくんと呼ばれ続けている限り、彼女の特別で在れる。
そういうことでいいんだと思う。
「何をニヤニヤしているの?」
考え事が顔に出ていたのか、美幸に指摘されて口角がつりあがっていることに気付いた。
「うん。ただ楽しかったから」
「なんとなく?」
「そう、なんとなく」
「変なの」
そういう彼女も蔑むような顔ではなくて、薄らと笑っているように思えた。
彼女にとっても僕が特別。
そういうことなんだと思う。
感想、間違いの指摘等、あったらよろしくお願いします。